憂歌団「渚のボードウォーク」
今日は日帰りで大阪に行ってくる。
僕が手がけた某化粧品の新シリーズが、
大阪で行われるフェアで発表されるため、
その立会いに行ってくるのだ。
時間のないなかでのハードな仕事ではあったが、
とりあえずは満足できるものができたと思う。
クライアントの人たちも喜んでくれた。
あとは一般市場での反響がどうかである。
うまく人々に受け入れられるといいなと願っている次第だ。
大阪といえば、いかにも関西!!と思わせるミュージシャン、
グループがいくつかある。
なかでも筆頭は、いまは無期限活動停止中の憂歌団である。
僕は憂歌団のライブには一度しか行ったことがないが、
それはそれは楽しい体験だった。
ステージに出てきたヴォーカルの木村は、
紙コップに入った水割りをおいしそうに一気飲みしたあと、
「僕らも好きなようにグダグダやりますんで、
みなさんも好きなように楽しんでってください」といった。
そのチカラの抜け具合が、
逆に自分たちのパフォーマンスに対する絶対的な自信の表れに思えた。
ステージ中、木村は水割りを飲み続け、
最前列の客からはビールまでご馳走になっていた。
そんなことがたたったのだろう。
木村は「ちょ、ちょ、ちょっとトイレ」といって
ステージの袖に引っ込んでしまった。
残されたメンバー3人も
「じゃあ、オレも休憩してこよ」といってステージから消えてしまった。
ライブ途中で、メンバー全員がいなくなるとは!?
そんなことも憂歌団ならアリだと思ったし、
もっといえば憂歌団らしいなと思った。
僕が憂歌団の歌をはじめて聴いたのは、
高校2年生のときだった。
NHK-FMの特別番組でRCサクセションと共演したとき、
はじめて聴いたのである。
このとき司会をしていたのが糸井重里氏だったと記憶している。
はじめて聴いた憂歌団の歌は、すごかった。
とにかくすごかった。
木村のヴォーカルはこれまで聴いたことのない類の声だった。
この憂歌団がライブのオープニングでよく唄っていたのが
『渚のボードウォーク』である。
オリジナルはドリフターズである。
といっても、いかりや長介率いるあのドリアターズではない。
1950年代から60年代にかけて隆盛を誇った
アメリカの黒人コーラスグループである。
僕が唯一観た憂歌団のライブでも
この曲がオープニングだった。
1998年12月、無期限活動停止の前に九段会館で行われたライブも
この曲ではじまったと記憶している。
残念ながら、僕はこのライブには行けなかったのだが、
NHKのBSでこのライブの模様がOAされ、
観ることができたのだ。
憂歌団のライブは客のヤジが飛び交う。
しかし、そのどれもがあたたかく愛情にあふれたものだった。
2007年の今日。
憂歌団は、無期限活動停止を解いていない。
メンバー4人で活動を再開するのか、しないのかは誰にもわからない。
たった1度だけではあるが、
憂歌団のライブを体験できたのは、実に幸せなことだと思う。
ほな、これから大阪にいってくるでぇ〜。