吉田よしみ「大ちゃん数え唄」


昨日は、夕方5時から五反田で打ち合わせだった。
多少、雲が出てきたもののまだまだ暑いなか、
ホテホテと歩いて水道橋の駅に向かい総武線に乗った。

ら、やたらと浴衣姿の女性が目についた。
「ハテナ
??」と思い、考えをめぐらせたところ、
神宮の花火大会であることに気がついた。
着物姿で花火大会。実に風情がある。
「美しい日本」というのは、
こういうところから実践していくべきだ。

いまはすべて知人にあげてしまったが、
僕もかつては着物をたくさん持っていた。
羽織・着物・袴はいうに及ばず、
黒紋付の羽織や果ては新撰組のダンダラ羽織まで持っていた。
で、折にふれ着物姿で外出したものだ。

着物の何がいいかというと、
背筋がシャンとするところである。
そして気持ちまでなんとなくシャキーンとしてくる。
羽織袴姿で電車の乗ると、ときたま奇異な目で見る人もいたが、
そんな視線は全然気にならなかった。

僕は女性の着物の着付けはできないが、
男性の着物であれば自分で着付けから
たたんで仕舞うまでの一切を自分でできる。
すべて独学なのであまり偉そうにはいえないのだが一応、
恥ずかしくはない程度に着こなせると自分では思っている。

なだけに、着方がだらしない着物姿の人を見ると
ついつい気になってしまう。
余計なことではあるのだが、どうも気になって仕方がないのだ。

男性の場合、帯位置が高すぎて
腰で決まっていない人を昨日も何人か見かけた。
着物姿は腰が決まってないとだらしなく見える。
これでは粋もへったくれもない。
本当に余計なお世話だけど、
せっかく着物を着ているのにもったいないなと思う。

現代人が着物を着る場合、意外と盲点なのが下着である。
僕も最初はそこまで気にしていなかったのだが、
6年前京都に行ったとき、ふんどしをもらってからは、
着物を着きるときはぶんどしを着用することにした。

ふんどしと聞いて思わず吹き出している読者よ!友よ!!
ふんどしは実に快適で機能性にも富んでいるのだ。
バカにしてはいけない。

僕が京都で頂戴してきたふんどしは、
「誠」という一文字が入った真っ赤なものである。
京都で染物屋を経営されている方がオリジナルでつくったものなのだ。
残念ながら、このふんどしもいまはもう手元にはない。

が、実は別のふんどしを僕は密かにもっているのだ。
エンケンこと遠藤賢司がつくったこれまた真っ赤なふんどし。
しかも、そのふんどしには「不滅の男」と書かれている。
どうだ
!? 「誠」のふんどしもいいが、
「不滅の男」のふんどしもなかなかいいであろう。

残念ながら、このふんどし…なかなか締める機会がない。
まさか
Gパンにふんどしというワケにはいかない。
そんなことをしたら、全然機能的でなくなってしまう。

ところで、赤いふんどしといえば、
忘れてはならないのが“いなかっぺ大将”の風大左衛門である。
僕は子どものころ“いなかっぺ大将”が大好きで、
よく弟とゲラゲラ笑いながら観ていたことを憶えている。

後年、“いなかっぺ大将”のオープニング曲
『大ちゃん数え唄』を唄っていた吉田よしみが天童よしみだったと知ったときは、
その意外なつながりにビックリしたものだ。

“いなかっぺ大将”でいまだによく憶えているのが、
大左衛門が歩いて京都に行き、
五条大橋だか三条大橋だかから五山送り火を見たシーンである。
僕はこれで京都の五山送り火のことを知った。

奇しくも昨日は、京都の五山送り火であった。
神宮の花火大会に向かう浴衣姿の人々を横目にしながら、
五山送り火に思いを馳せた。

僕は京都へは何度も行っているが五山送り火は一度も見たことがない。
一生懸命に働いて、いつか見に行きたいなとあらためて思った次第だ。

もちろん、そのときは着物姿である。
秘蔵の「不滅の男」ふんどしよ、
タンスのなかでそのときを待っててくれたまえ。


2007.08