横浜銀蝿「ツッパリHigh School Rock’n Roll(登校編)


今日は午後イチから打ち合わせがあったので、
猛暑のなかホテホテと水道橋の駅まで歩き、
いい感じで冷房の効いた総武線→山手線を乗り継ぎ、
恵比寿へと出かけてきた。
いま進めている仕事の撮影が29日にあるので、
その打ち合わせのために出かけた次第である。

滞りなく打ち合わせを終え、
気持ち良く帰ろうとしたとき、悪夢の連絡があった。

昨日、プレゼンをしてOKを頂戴した、
とある新商品のロゴ
&パッケージ案が、
一夜にして社長の心変わりによって振り出しに戻ったのだ。

先方は、コンセプトがどうのこうのと、
いっている本人が何を云わんとしているのかわかってないようなことをいっていた。
これ以上話をしていても、ラチがあかない。
時間のムダである。
こういうときは、直接会って話を聞くのが一番である。

僕は恵比寿から、その会社のある渋谷へと急いだ。
時は午後
2時半過ぎ。
暑さはまさにピークであった。

僕は年中Gパンしかはかない。
その上にいつもジャケットを羽織っている。
ジャケットの下は夏なら
Tシャツ、春秋はシャツか長袖のカットソー、
そして冬はジャケットの上からハーフコートを着る。
スーツなんて、この何年も冠婚葬祭以外では着たことがない。

今日もそのようにGパンにTシャツ&ジャケット姿で外出したのだが、
着ていたジャケットは汗でびっしょりになった。

何もそんな暑い思いをしてまでジャケットを着ている必要はないのかも知れないが、
ネクタイはしない、スーツも着ない僕にとって、
そのいでたちが最低限の仕事着だと思うからである。
なので僕は、どんなに親しい人間とざっくばらんな打ち合わせをするにしても、
仕事のときは必ずジャケットを着ることにしている。

僕がはじめてジャケットを買ったのは高校1年生の秋である。

高校1年生といえば、まさに思春期である。
カッコつけたい時期である。
大人ぶりたい時期でもある。
そんにことから僕はジャケット姿に憧れたのだ。
その背景には、細身のスーツをパシッと着こなしていたジャムのポール・ウェラーや、
Tシャツにジャケット姿でステージに上がっていた
The Boss”ブルース・スプリングスティーン、
そして佐野
(元春)くんの影響があったことは否めない。

高校1年生の秋、ミトさんという先輩から、
黒いジャケットを買わないかというハナシをもちかけられた。
値段はたしか
5千円だったと思う。
当時の僕にとって
5千円は大金であったが、
大先輩のジャケットを譲ってもらえるのである。
なんとかお金を工面してそのジャケットを手に入れ、
得意顔で着て歩いた。

ジャケット
1枚羽織るだけで、
シャツにコットンパンツ姿で歩いている同級生たちより、
ちょっと大人になった気分になったことを憶えている。
中身はたいして変わらないどころか、
すでに僕より大人な体験をしていた同級生も数多くいたのにである。

そもそも僕がミトさんと接点を持ったのは、
夏休みが終わった始業式の日である。
体育館から出てきたとき、
教室の窓際にいたミトさんと目があった。
そしてその直後、教室に向かう途中で中学時代の先輩から、
ミトさんが呼んでいるから来いとミトさんのいる教室へと連れて行かれた。

ミトさんといえば番長
(死語?)とまではいわないが、
在校生の誰もが一目置く存在であった。
そのときまで僕はミトさんと口もきいたことがなかった。
ミトさんはミトさんで、生意気そうな
1年生である僕に、
ずっと目をつけていたに違いない。

僕はいったいこれからナニが起ころうとしているのだとビビリつつも、
それを悟られないようにミトさんのいる教室へと入って行った。
序列の厳しい高校時代、高校
3年生の教室に1年生が入って行くこと自体、
半ば異常なことである。
案の定、中学時代の先輩に連れられ教室に入って行った僕を見て、
教室にいた他の
3年生たちは「なんだコイツは!?」という顔をしていた。

僕ははじめてミトさんの目の前に立った。
いま思えば、はじめて豊臣秀吉に謁見した伊達政宗のようである。
1年生のなかでは暴れん坊でも、
ミトさんと僕とでは格が違いすぎたのだ。

緊張しまくりの僕に対し、
ミトさんは人懐っこい笑顔を浮かべながら、
チンケな学生カバンを僕に見せた。
ビニール製のいかにも安物だった。
カバンの把っ手の部分にはこの当時「ケンカ買うぜ」のシルシであった
赤テープが巻かれていた。
おまけに、カバンの表面には、
これまたチンケなマーカーで「飛竜」と書かれていた。
僕のセンスからすれば、
絶対に持ち歩きたくない類いのものであった。

これを買えという。
僕はふたつ返事でわかりましたと答えた。
金額はこのときもたしか
5千円だった。
それ以来、僕はミトさんにいろいろと目をかけてもらえるようになった。
ミトさんと親しく話せるのは、
1年生では僕だけであった。

学生カバンに赤テープというのは、
横浜銀蝿の『ツッパリ
High School Rockn Roll(登校編)』の
「タイマン張りましょ赤テープ同士で」
(作詞・タミヤヨシユキ)というフレーズから
広く一般に知られるようになったと思うが、
僕は横浜銀蝿というのが実は大嫌いで、
横浜銀蝿的なモノ
(白いドカンズボンに革ジャン、
リーゼントはもちろん赤テープの学生カバンにいたるまで
)
すべてがイヤでしょうがなかった。
ので、ミトさんから買えといわれた学生カバンを買うとはいったものの、
どうしようと思った。

僕には無用の品なのである。

さんざん頭を悩ましたあげく、転売することにした。
しかも
1万円で()
買い手はちゃんとつき、
僕は労せずして差し引き
5千円の儲けを手にした。

その後、ミトさんに譲ってもらったジャケットをこの稼ぎで買ったと思えば、
いわばタダで手に入れたようなものである。
高校
1年生のビジネスとしては大したものだ。

ミトさんとはじめて言葉を交わしたときもそうであったが、
僕は相手が誰であれ、そしてどんな状況下であれ、
卑屈な態度をとらないことをずっと心がけてきた。

今日もそうである。
いろいろとワケのわからないことをいい続けるクライアントに対し、
感情を抑え毅然とした態度で打ち合わせを続けた。
内心はムカついて仕方がなかったが、僕も大人になった証拠である。

ビジネス上で「喧嘩上等」などと
カバンの把っ手に赤テープを巻いても仕方ないのである。

お金にもならなければ、時間もムダになる。
いいことなど何もない。

僕が大好きなジャックスの曲の一節ではないが、
敵はもっと遠くにいるのだ。

2007.08