山口百恵「夜へ…」


2006年の11月、
法政大学の学園祭において「歌いまくる
40歳」と唄いまくるトモフスキーに刺激され、
「よし
! オレも書きまくる40歳になろう!!」と決意し、
ここに駄文を書きなぐり出してから早
23か月。
当時
40歳だった僕は、明日43歳の誕生日を迎える。
40歳でこの世を去ったジョン・ノレンより長生きし、
ついには
42歳で死んだエルビス・プレスリーをも年齢だけは超えてしまうというワケだ。


この
23か月近くの間に、
僕が書きなぐった文章は原稿用紙にして
1,900枚以上に及ぶ。

誰からも制限されず、誰からも強要されず書きたいことだけを書きなぐってきた。
それらの内容について何ひとつとして後悔することはないのだが、
1つだけやり残してしまったことがある。

以前、俳優の岸田森さんについて、
いつかは書きたいと書いたことが実行できずにいたのだ。

奇しくも岸田森さんが亡くなられたのは43歳のとき。
ということで、
43歳になる前に岸田森さんについて書いておこうと思う。

岸田森さんは“帰ってきたウルトラマン”や“ファイヤーマン”などで
子どもの頃から知っていたが、
僕が怪優・岸田森を最初に意識したのは、
中学生のときに観たドラマ“傷だらけの天使”の再放送と
松田優作主演のドラマ“探偵物語”
そして映画“白昼の死角”にてであった。


いまでは伝説となっているのでご存知の方も多いと思うが
“傷だらけの天使”と“探偵物語”において、
岸田森さんは劇中カツラを外し、
役づくりのためにしていたスキンヘッドを披露した。

今日ではスキンヘッドはあまり珍しいものではないが、
この当時スキンヘッドにしている人は
失礼ないい方ではあるが「キワモノ」的なイメージがあった。
そのスキンヘッド姿を、
わざわざカツラをとってブラウン管を通してさらけ出す。
僕はそのあまりにもな展開にド肝を抜かされたものだ。

また“白昼の死角”で岸田森さんは、
くるくる回り唄いながら灯油を全身にかけ、
笑いながら炎に包まれる役を演じた。
このシーンはスタントマンを使わず
岸田森さんご自身が演じられたという。
僕は後日このエピソードを聞き、驚愕した。

岸田森さんは狂気を演じさせたらピカ一の俳優であったと思うが、
その狂気のどこかにユーモアが潜んでいた。
その絶妙のバランスは、まさに岸田森さんならではの妙味だったと思う。
後にも先にも、こんな俳優はいない。
聞くところによると“傷だらけの天使”で共演していた萩原健一も水谷豊も、
岸田森さんをリスペクトしていたという。
松田優作もそうらしい。


43
歳という若さで亡くなられたのが本当に惜しまれる。
50代・60代の岸田森さんの演技を観たかったと思うのは僕だけではあるまい。


岸田森さんは文学座附属演劇研究所の第一期生である。
悠木千帆
(現・樹木希林)さんも同期で、後にこの2人は結婚している。
岸田森さんと離婚後、希林さんはご存知のように内田裕也さんと再婚した。
岸田森さんと裕也さんである。
まったくもって余計なお世話であるが、希林さんの結婚相手は実にキャラが濃い。

さらに寺田農さんも岸田森さんや希林さんと同期生である。
寺田農さんも少年時代から気になる俳優の
1人であったのだが、
僕が「この人はやはりすごいな」と痛感させられた映画が“ラブホテル”である。
1985年に相米慎二監督によって製作されたにっかつ映画である。
僕はこの映画を公開当時に観ていない。
後にビデオで借りて観た。

僕の名誉のためにいっておくが、
僕はこの映画をタイトルだけで借りてきたワケではない。
ましてや妄想を膨らませながら借りてきたワケでもない。
もちろん期待に股間も膨らませてはいない。

僕は寺田農さん主演ということで、
ただただ寺田農さんの主演映画というだけで借りてきたのだ。
寺田農さんが主演の映画であれば、
それだけで「間違いはない」映画だと思って借りてきたのだ。

ホントに寺田農さんは、昔から大好きな俳優の1人なのである。

誰だ!! そこで「あやしいなぁ」などと
ニタニタしながら目を細めているヤツは
!?()

この映画で寺田農さん演じる主人公の村木は、
会社をつぶし、借金のカタに妻を犯され、
自殺を試みようとした夜にホテトル嬢を呼ぶ。
名美という名のホテトル嬢を演じたのは速水典子であった。
そこで名美は、村木によって異様なエクスタシー体験をする。

この夜、死にきれなかった村木は、2年後タクシー運転手となっていた。
そして
2人は偶然、再会する。

にっかつ映画なだけに、お色気シーンもあることはあるのだが、
僕にとってそれは性的な興奮を呼び起こすものではなかった。
むしろそれらのシーンは切なさが痛いほど伝わってくるような、
もの哀しいものであった。

そしてこの映画は、ロバート・デ・ニーロとメリル・ストリープの
“恋におちて”と同様、ある種の大人のおとぎ話だと思った。

つい先日、昨年CSで放映された際に録画しておいた“ラブホテル”を
あらためて観たのだが、その印象は少しも変わりなかった。

“ラブホテル”のなかで印象的に使われているのが
山口百恵さんの『夜へ…』という曲である。
「処女、少女」という歌詞をささやくような声で唄う大人っぽい歌を、
百恵さんは
20歳のときに唄いこなしていたのだ。
それを思うと山口百恵という歌手は、
あらためてすごかったんだなと思わずにはいられない。

21歳で惜しまれながら引退した山口百恵伝説がいまも語り継がれているように、
43歳で亡くなった岸田森さんも伝説のなかでいまなお生き続けている。

寺田農さんは昨年から東海大学で映画や演劇、戯曲・シナリオを教えているという。

生きながら伝説である人、伝説のなかで生き続けている人、
そして新しいフィールドで次の世代へ新たなる伝説をつなごうとしている人。
ひと口に伝説といっても、そのあり方は多種多様である。

僕なんかは多くの人々の伝説になるようなことは何ひとつしていないので
偉そうなことはいえないのだが、
せめてこの
23か月の間に書きなぐってきた駄文の1行でも、
ワンフレーズでも誰かの心に残ってくれたらうれしいなと思う。

それだけで、書きなぐってきた甲斐があろうかってなもんだ。

と、なんだか引退セレモニーのような文章になってしまったが、
もちろんこの日記も書くことをやめたりはしない。
「書きまくる
42歳」あらため「書きまくる43歳」として、
明日から新たなるスタートである。

と、ここまで書いて気がついた。
この
1年間はお世辞にも「書きまくる」というほど日記を書きまくってはいなかった。
誇大表現を用いましたことをお詫びして訂正します
()

2009.02