わらべ「めだかの兄妹」


すごいものを見てしまったという感じであった。
その場に居合わすことができて本当に良かったと心から思った。

読者よ! 友よ!!
いったいナニがすごいものなのか?といえば競馬である。
日曜日に行われた秋の天皇賞である。

武豊騎手騎乗のウオッカが、
安藤勝己騎手騎乗のダイワスカーレットをわずか
2センチ差で振り切り、
しかもコースレコードで優勝したあの天皇賞をこの目で、
間近で見てきたのである。

日曜日、いつものごとく後楽園のWINSに立寄り愛しのターフィーくんと戯れたあと、
僕は意気揚々と府中へと向かった。

今回の天皇賞に臨むにあたり僕は事前に7頭の馬をピックアップしていた。
3番のエアシェイディ、5番のサクラメガワンダー、7番のダイワスカーレット、
8番のポップロック、14番のウオッカ、15番のトーセンキャプテン、
そして
16番のカンパニーである。

5番のサクラメガワンダーは応援している福永祐一騎手が、
15番のトーセンキャプテンはオリビエ・ペリエ騎手が騎乗してするので早々に押さえた。
ウオッカとダイワスカーレットは、
とりあえず外すわけにはいかないだろうと思っていた。
さらにエアシェイディとカンパニーはなにか波乱を起こしてくれそうな気がした。

最後の最後まで迷ったのはポップロックである。
2006年の有馬記念でペリエ騎手騎乗のポップロックは2着に入った。
競馬のケの字もほとんど知らなかった僕がポップロックの単勝と複勝を
1点買いし、
生まれてはじめて当てた馬券なのである。
そんなゆかりのある馬なので、どうしても情が湧いてしまう。
しかし、勝負という観点からすると、
ポップロックはちと厳しいかもというのが正直なところだった。
が、僕は結局ポップロックもそのまま押さえることとした。

本当は馬券を買う前にパドックの様子を見てから最終判断をしようと思っていたのだが、
すでに天皇賞の数レース前からパドックは人・人・人で、
その数は増えていく一方だった。
これではじっくり馬を観察することができないと判断した僕はパドックをあきらめ、
馬券売り場へと急いだ。
混雑を避けるために早めに馬券を買って、
レース観戦のポジション取りをしようと思ったのだ。

馬券はピックアップしていた7頭の馬を複勝で、
そして
7頭の馬が絡む枠を全通り買うことにした。
すべて
100円ずつ()
相も変わらず我ながらセコい競馬である。

メインスタンドもパドックに負けず、すでにかなりの混雑であった。
体感的には
61日に日本ダービーを見に来たときの比ではないぐらい混雑していた。
僕は人ごみのなかをスルスルと抜け、
ゴールから
400メートルぐらい手前のあたりに陣取った。
そして、選ばれし競走馬たちが入場してくるそのときを待った。

61日に生まれてはじめて東京競馬場にきたとき、
日本ダービーを制したのが四位騎手が騎乗したディープスカイである。
今回の天皇賞にもディープスカイは四位騎手騎乗で参戦していた。
単勝人気ではウオッカ、ダイワスカーレットに次ぐ
3番人気だった。
が、僕ははじめからこの馬はないだろうと踏んでいた。
さらに同じ枠のアサクサキングスもないと踏んでいた。
もし、この
2頭のどちらかが枠連に絡んできた瞬間、
僕の枠連馬券は紙くずと化す。
僕はディープスカイとアサクサキングスの負けに賭けた。

世のなかには同じことを考えている人がいるもので、
ディープスカイが入場してきたとき目の前にいた若い男の子が
「四位ぃ、今日は余計なことすんなよーっ
!!」と叫んでいた。
思わず、その男の子に
1杯ごちそうしたくなったのはいうまでもない。

そうこうしているうちに次々と出走馬が入場してきて、
いよいよウオッカの番となった。
ウオッカは入場してくると、
そのままゆっくりと真っすぐスタンドのほうに向かって歩を進めた。
その瞬間、僕は全身の毛がザワザワと逆立つような感覚を覚えた。
こんなことになったのは
14年前にはじめてジーコに会ったとき以来である。
なんちゅうか、かんちゅうか、本中華
(古いギャグでスマヌ)
ウオッカの威風堂々とした姿に威圧されてしまったのである。
その姿は、まさに神々しいといっても過言ではないほど
威厳に満ちあふれたものであった。

レースは冒頭にも書いた通り、
ウオッカがダイワスカーレットを
2センチ差で制し、優勝した。
各馬が最終コーナーを回ってきたときの歓声・怒号・悲鳴たるや、
そりゃあもう形容しがたいほどの大迫力だった。
足下から響いてくる競走馬たちの足音を聞きながら、
目の前を颯爽と駆け抜けていく競争馬たちを見ながら、
思わず僕も「ワォー」だか「ワー」だか「アー」だかわからぬ声を発してしまった。

レースは1着・2着、そして3着・4着がそれぞれ写真判定となった。
レースが終わってしばらく、誰もがその場から動こうとしなかった。

3着争いは僕が押さえていたカンパニーと、
僕が外していたディープスカイであった。
12着が人気順なので配当はさほど期待できなかったのだが、
もしカンパニーが
3着に入っていれば、これはちょっとした穴になる。
僕はカンパニーの
3着をただひたすら願い続けていた。

しかし、競馬の神はそう甘くはなかった。
僕はさっきの男の子が叫んだ言葉を、心のなかで噛みしめた。

結局、1,700円の投資額は半分も回収できなかった。
が、僕はまったく後悔していない。
負け惜しみでもなんでもなく本当に後悔していない。
なぜなら、とにかく素晴らしいレースだったからだ。
この日の天皇賞は、これからも続いていくであろう競馬の歴史のなかで、
ずっと語り継がれるに違いない名勝負であった。

しかもウオッカも、ダイワスカーレットも牝馬なのである。
聞くところによると秋の天皇賞で牝馬が
並みいる牡馬を抑えて
12着を占めたのは50年ぶりだという。
果たして次に牝馬が
12着を独占するのはいつの日になるだろう。
まさに何
10年に一度の奇跡を、僕は目撃したのだ。

以前にも書いたことがあると思うが、
かつて伊勢丹の広告に「女の記録は、やがて、男を抜くかもしれない。」
というコピーがあった。
僕が
10代のころから心に止めている名コピーである。

秋の東京競馬場で、僕はこのコピーを心のなかで静かに想い出した。

さらに僕は、これまた以前にも書いたことだが、
1998年の第20回東京国際女子マラソンで優勝した浅利純子選手と
2位だった市橋有里選手のことを想い出した。
このときのレースは
42.195キロを走って1位と2位の差が
わずか
50センチだったといわれている。
僕はこのときも、そのゴールシーンを実際にその場で見た。

2000メートルの競馬で2センチの差もすごいが、
マラソンの
50センチの差もすごい。

今回の天皇賞、そして1998年の東京国際女子マラソン。
どちらも女性同士による史上まれに見る僅差のレースということに、
そしてそれを目の当たりにできたことに深い感銘を覚えずにはいられなかった。

最終レース終了後、パドックでタレントの見栄晴と
元ジョッキーで競馬評論家としてもお馴染みの細江純子さんによる
天皇賞のレース回顧が行われることになっていた。
せっかくだからそれを見ていこうと思い、僕はパドックへと急いだ。
幸いにして最前列を確保することができた。
やれやれとホッとした僕は、ついつい持ち前の遊び心がうずきはじめ、
あることを思いついた。
この日、買ったターフィーくんの小ちゃいぬいぐるみの写真を撮ろうと思ったのである。

で、撮った。
ひと仕事を終えた僕はホクホク顔で、見栄晴たちの登場を待った。

ところで見栄晴の本名を知っている人は、果たして何人いるであろうか?

ご存知のとおり、
見栄晴は“欽ちゃんのどこまでやるの
!?”の長男・見栄晴役でお茶の間の人気者となった。
当時は、本名の藤本正則の名で芸能活動をしていた。
同じ番組で見栄晴の妹役、のぞみ、かなえ、たまえを演じていたのが
高部友子、倉沢淳美、高橋真美の
3人である。
この
3人によるユニット、
わらべの『めだかの兄妹』を記憶している人も多いと思う。

“欽ちゃんのどこまでやるの!?”は番組開始当初はよく観ていたのだが、
中学・高校生になるにつれ観なくなっていた。
なんとなく出演者たちのエセ家族っぷりがハナについて、
観ていてつまらなくなったのである。

わらべの『めだかの兄妹』がヒットしたころ、僕は高校2年生だった。
当時の仲間の
1人が、倉沢淳美の大ファンだった。
パンチパーマをあて、眉と額にソリ込みを入れている
辰吉丈一郎によく似たヤツだった。
僕は「よくおまえ、その人相でわらべが好きなんていえるな」とからかったものだ。

余談ではあるが、
僕は高校生のころの高部友子と何度か電車のなかで一緒になったことがある。
いわゆる「ニャンニャン事件」のあとで、彼女は芸能活動を休止していた。
間近で見た高部友子は、なんちゅうか、かんちゅうか、本中華
(再びスマヌ)
まさに透き通るような色白の肌の持ち主で、
オトコのエロリビドーを刺激するようなオーラを漂わせた
妙に色気のある女性だったことを憶えている。

と、それはさておき見栄晴はその後、藤本正則の名を捨て、
見栄晴として芸能界にしぶとく生き残った。
大の競馬好きで知られる彼はいま、
CS2つの競馬番組のレギュラーを持っている。
まさに「芸は身を助く」である。

レース回顧の後半には天皇賞を制した武豊騎手も登場した。
トークの最後に武豊騎手は
「皆さん、今日はぜひウオッカで乾杯してください」とシャレたこといい、
パドックをとり囲んだ大観衆から大きな拍手を浴びた。

レース回顧が終わったのは5時半近くだった。
人もまばらになった競馬場のあちらこちらで、
清掃スタッフの人たちが忙しそうに働いていた。
つくづく思うのだが、
なぜ競馬場で人は平気でゴミをそこいらじゅうに散らかすのだろうか
?
それは「兵どもが夢の跡」などと呼べるものではない。
ただのゴミだ。

まるで無法地帯のようにあたり一面に散らばっているゴミを見ながら、
そして一生懸命にゴミを片づけているスタッフの人たちの姿を見ながら、
とあるマラソンランナーのエピソードを想い出した。
それは前述の第
20回東京国際女子マラソンの開催を記念して、
レースの数日前に開かれたシンポジウムでのことだった。

このシンポジウムには第
1回大会・第2回大会優勝で優勝した
イギリスのジョイス・スミス選手も招かれていた。
そのなかでジョイス選手がレース中ハンカチを握りしめながら走り、
しきりに口元を拭いていた理由について質問が出された。

その問いに対し、ジョイス選手は
「走っている最中に唾を路上に吐き捨てるのはマナーとしても良くないし、
また見た目にも美しくないと思い、唾が出てくるたびにハンカチで拭っていたのです」と答えた。

僕はこのこまやかな心づかいに、思わず「うーん」とひと声うなり、
ポンと膝を叩きたくなるほど心を打たれたことをいまも鮮烈に憶えている。

こういう心づかいができる人は、心がきれいな人である。
そして、こういう心づかいができる人は絶対にゴミのポイ捨てなどしないはずだ。

賭けてもいい。

2008.11