ヴェルヴェット・アンダーグラウンド「ロンサム・カウボーイ・ビル」

今日511日は、
歳さんこと新撰組副長・土方歳三の命日である。

僕は尊敬する人は?と聞かれたら「土方歳三」と答えてきた。
僕のなかで土方歳三という人は、
生きる指針といっても過言ではない。

歳さんは、
1869年の511(新暦では620)
箱館戦争のさなか銃弾に斃れた。
奇しくも盟友・近藤勇と同じ
35年の生涯であった。

今日はあちらこちらで、
歳さんを偲ぶことが書かれたり話されたりするだろう。

ということで、
今日は以前お約束した僕の作詞による
Lonesome サムライ』を大公開したいと思う。


 1 誰も知らないオレがいる

  誰にも見せないオレがいる

  ここは北野 上七軒

  愛しきオンナのヒザの上

  まぶたを閉じてため息つけば

  思い浮かぶは日野の浅川

  ホントのオレはこんなじゃないが

  悔やんじゃいないさ 鬼でもいいさ

  今宵は静かに眠りたい

 

2 誰もが恐れるオレがいる

  誰もオレの目を見ない

  ここは鴨川 千鳥鳴き

  今日も静かに日は落ちる

  夕日を眺めてため息つけば

  思い浮かぶは試衛館

  ホントのオレはこんなじゃないが

呼びたきゃ呼べよ 九尾の狐と

橋のたもとで立ちつくす

 

3 誰にも見せないオレがいる

  誰もが見たことない姿

  ここは島原 輪違屋

  隊士一同バカ騒ぎ

  席を外してため息つけば

  思い浮かぶはとうかん森

  ホントのオレはこんなじゃないが

  もはや戻れぬ武士の道

月を見上げてひとり泣く




歳さんはある意味、
新撰組副長・土方歳三を演じていた部分があると思う。
Lonesome サムライ』は
その部分にスポットを当てた詞である。

歳さんほど孤独な感じのする人物を、
僕は知らない。
思うに歳さんは母親の愛情に飢えていたのだと思う。

歳さんのお母さんは、
歳さんが
6歳のときに亡くなっているのだ。

幼くして母を失った歳さんは、
兄嫁によって養育された。
幼いころから武術に親しみ、
生家の庭に矢竹を植え、
「将来武士になって名をあげてやる」と誓ったという。

この矢竹はいまも歳さんのご子孫宅に植えられている。

歳さんは11歳のときに、
上野松坂屋に奉公に出されたが、
番頭と口論の末、夜を徹して甲州街道を逃げ帰ったという。

僕は6年ほど前、
このエピソードに倣い、
上野松坂屋の前から日野の高幡不動まで歩いてみたことがある。

距離にして約
40キロ、
朝の
8時に松坂屋前を出発して8時間ぐらいで歩いた。
当時、僕のまわりの人たちは
このおバカな試みに拍手喝采を送ったものだ
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その後、歳さんは25歳で天然理心流に正式入門すると、
実家で作っていた“石田散薬”という薬の行商をしながら、
「絶対に武士になってやる。
このまま一介の薬売りでは終わらない」との思いを胸に
各地の剣術道場を訪れ、試合を申し入れていたという。

新撰組は慶応3(1967)6月、幕府直参に取り立てられ、
副長・土方歳三は大御番組頭に任じられた。

多摩の農家の四男坊が幕府直参の武士になったのである。
まさに初志貫徹の人生であった。

僕が歳さんの人生からいちばん学んだのは、
意志の強さである。
気持ちが萎えそうになったときは、
いつも歳さんを思い浮かべて自分にムチをくれてきた。

それは、これからもきっと変わらないと思う。

歳さんは「新撰組の鬼」と恐れられた反面、
女性にはめちゃめちゃモテた。
新撰組時代、故郷日野に「すばらしきものを贈る」という書状とともに、
ある荷物が届いた。
中身は歳さんがあちらこちらの花街の女性からもらったラブレターだったという。
それを見て、日野のみんなは「こりゃまた歳さんにやられた」と大笑いしたそうだ。

歳さんは、こういうおちゃめなところがあったのである。
仕事に対しては厳しいが、遊び心を忘れない。
僕自身もそういう男性でありたいなと思う。

「ロンサム○○」というタイトルの歌は古今東西いろいろとあるが、
僕がパッと思い浮かぶのは
”The Boss”ブルース・スプリングスティーンの
『ロンサム・デイ』と、
そして僕の座右の銘「ワイルドサイドを歩け」の生みの親、
ルー・リードが率いたヴェルヴェット・アンダーグラウンドの
『ロンサム・カウボーイ・ビル』である。

そういや最近、ルー・リードの唄声を聴いていない。
思い立ったが吉日、今日は歳さんの命日。
久々にヴェルヴェット・アンダーグラウンドの世界に浸ってみるか。
週末だしね。


2007.05