内山田洋とクールファイブ「東京砂漠」

1990年の41日。
「史上最低の遊園地」なる広告が新聞に掲載された。
広告主はとしまえんである。
としまえんの広告は、まさに
1980年代の後半、
ひとつの時代をつくり上げた。

この「史上最低の遊園地」は、
いまも新聞というメディアの特徴を最大限に活用した
一大傑作といわれている。
41日はエイプリルフール。
そこを逆手にとって、
としまえんは史上最低につまらない遊園地
という広告を掲載したのだ。

もちろんこの広告が世に出た背景には、
クライアント、つまりとしまえんサイドの深い理解がある。
この広告の制作を担当された大先輩から直接聞いた話なのだが
この「史上最低の遊園地」は、世に出る
3年前から
提案し続けていたアイディアという。
あきらめなかった代理店サイドもすごいが、
それを一蹴することなく、代理店のスタッフと一緒に考え、
掲載の可能性を模索し続けたクライアントのご担当者も素晴らしい。

いわば
3年間という年月をかけて検証され、
「機は熟した」とばかりに掲載されたのが、
この「史上最低の遊園地」なのである。

この広告のすごいところは、
細部にいたるまで実にきめ細かにつくられているところだと思う。
紙面にハエは飛んでいるは、カエルはいるはと
ビジュアル的にこだわったつくりをしているかと思えば、
「早くお家に帰ろうよ」と泣いている男の子の顔写真のそばには
「子供は正直」というキャプションがつけられている。
ほかにも「各方面から非難殺到!」
「異口同音に『情けない!』」
「お父さんはカタなし」などといった自虐的なコピーが
これでもかこれでもかと紙面に踊っている。

僕がこの広告を目にしたとき
「史上最低の遊園地」というコンセプトもさることながら、
隅々にまでこだわったその緻密なつくりに衝撃を覚えたものだ。

キャプションひとつに至るまで計算されている。
情報にムダがない。
つくり手に迷いがない。
「史上最低の遊園地」のような広告は
表現を中途半端にしてしまうとダメなものになってしまう。
ふざけるなら徹底的にふざけなさい、
ということを僕はこの広告から学んだ。

「史上最低の遊園地」が世に出てから数ヵ月後、
以前チラリと書いたことのある社会派コント集団
“ザ・ニュースペーパー”の公演ポスターをつくった際、
にっかつ映画の“狂った果実”をもじって
「狂った事実」というキャッチコピーをつけた。
そしてにっかつ映画のポスターさながらのビジュアルをつくり込んだ。

まだ
Macなんて当たり前でない時代である。
さまざまな大きさに変倍をかけた写真のモノクロコピーを
人物
1名につき数パターン用意し、
デザイナーがうんざりするほどの試行錯誤を重ね、
しつこくつくり込んでいったことを憶えている。

「史上最低の遊園地」で学んだことを、
僕なりに実践した広告づくりであった。
このチャレンジの場を与えてくれたザ・ニュースペーパーの関係各位には、
いまも深く感謝している。

このザ・ニュースペーパーに、
ザ・ドリフターズの付き人だった
すわしんじ氏が加入していたことがある。
8時だョ!全員集合”でブルース・リーのモノマネや、
突然ステージに乱入してくる馬をやっていた人である。

実は、僕はすわしんじさんの自伝を書きたいとずっと思っている。
タイトルはズバリ「ドリフターズになれなかった男」。
このタイトルでは、すわさんがイヤがるであろうか?

しかし、テレビ界の歴史にさん然とその名を残す
ドリフターズのアナザーヒストリーとして、
すわさんの証言はすごく貴重な史料となると思う。

このすわさんと同級生で、
なおかつザ・ニュースペーパーの創設メンバーの1人であった
松元ヒロ氏がコンビを組んで、
すわ&松元とバナナーズというコミックバンドを結成していたことがある。

すわさんはギターも上手いし、歌も上手いのだ。
で、よく替え歌を唄っていた。
そのなかでも僕が特に好きだったのは
内山田洋とクール・ファイブの『東京砂漠』の替え歌である。
一瞬の芸なので、見逃さないでほしい。

では、いきます。

5秒前

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「ああ、あなたがいれば、私は差し歯」


2007.03