トルコ行進曲「シェッディン・デデ」

テレビドラマの歴史を語るとき、
名作中の名作として一作挙げるとしたら、
僕は迷わず“阿修羅のごとく”を挙げる。

2003年の秋に森田芳光監督によって映画化されているが、
オリジナルは
1979年にNHKで放映されたもので、
演出は和田勉であった。

佐分利信さん演じる年老いた父の愛人騒動を軸にドラマは進行していくのだが、
その
4人の娘たちもそれぞれ問題を抱えている。

お花の師匠として出入りしている料亭の主人と交際している長女役に加藤治子さん、
夫の浮気を疑っている次女役に八千草薫さん、
堅物で恋愛下手の三女役にいしだあゆみさん、
そして駆け出しのボクサーと同棲している四女役に風吹ジュンさん
という豪華なキャスティングに加え、
次女の夫役に緒方拳、
三女が父の浮気調査を依頼した興信所の職員役に宇崎竜童、
四女の同棲相手役に深水三章など、
男性陣も魅力あふれる顔ぶれだった。

このドラマはパート1とパート2があり、
パート
2では次女の夫役を
“太陽にほえろ”の「山さん」こと露口茂が演じている。

僕はこのドラマのなかでいちばん印象的なシーンが
パート
1の最終回で、
ついさっきまで国立の家で長女と次女相手に白菜漬けを行っていた母が、
代官山にある夫の愛人宅の前で一人じっとそのアパートを見つめている場面である。

娘たちはてっきり母は父の浮気を知らないと思っていたのだが、
母はしっかり知っていたのだ。
そしてさまざまな思いを胸に、
夫とその愛人がいる街まで来てしまっていたのである。

この母の姿を偶然見てしまったのが、次女である。

驚いた次女は、慌てて目の前の自転車を倒してしまう。
その音に気づく母。
そして、次女がその場にいることも・・・。

次の瞬間、母は困ったような、照れくさいような、
情けないような、泣き出しそうな、複雑な表情を浮かべる。

この母役を演じた大路三千緒さんについて詳しいことは知らないのだが、
この表情はどんな名女優でも簡単にできる演技ではない。
ドラマはもちろんフィクションなのだが、
ノンフィクションを超えたリアリティあふれるフィクションがあることを
僕はこのドラマから教えてもらった。

いちばん見られたくない自分の姿を娘に見られてしまった母は、
ショックのあまりその場に倒れてしまう。
そして持っていた買い物袋から買ったばかりの卵が落ち、
割れた卵が地面を這う。
それはまさに女性“性”の象徴のように思えた。

一昨年の年末、テレビを観ていたら
爆笑問題の太田が“阿修羅のこどく”について、
実にきめ細かな分析をしていた。
太田がいずれは映画を撮りたいというハナシは聞いていたが、
太田の語る“阿修羅のごとく”論を聞いて、
太田の映像クリエイターとしての可能性を感じずにはいられなかった。

“阿修羅のごとく”のテーマ曲に使われていたのが、
トルコ軍隊の行進曲『シェッディン・デデ』である。
トルコ行進曲といってもピンとこないひともいると思うが、
何年か前に所ジョージが出演していた
スライスチーズの
CMに使われていた曲であるといえば、
何人かの人はわかってくれるだろうか?

パート1の最終回、
亡くなった母の納骨を終えた娘
4人の後方を、
緒方・宇崎・深水の
3人が歩いている。
その後姿を見ながら、緒方拳が突然「阿修羅だねえ」という。

怪訝そうに緒方拳を見る
2人に
阿修羅についてひと通り説明したあと、
緒方拳は「勝ち目ねえよ」と言葉をつなげる。
そして最後に「俺たちも気をつけようぜ」という。

それは、実に味のある名演技であった。

広告の仕事をやっていて、
つくづく思うのは商品寿命のサイクルが、
昔に比べてどんどん短くなっているということである。
ロングセラー商品が、なかなか出ない。
メーカーもメーカーで、
ちょっとでも市場の反応が悪いとすぐに新商品を出そうとする。

スローライフだとかロハスだとかいわれても、
現代社会はやはりいろんな意味で性急だと思う。

ドラマもそうである。“阿修羅のごとく”のように、
四半世紀経っても語り継がれるような、
四半世紀経っても色あせないような名作が生まれているだろうか?

数か月単位で消費されていく
広告づくりに携わっている者がこういうのもなんであるが、
いまの子どもたちが大人になっても、
あのドラマはすごかったといいたくなるようなドラマを
テレビマンたちはつくってほしい。

畑は違えど、
同じモノづくりをしている者のひとりごとである。


2007.03