トラヴェリング・ウィルベリーズ「ハンドル・ウィズ・ケア」

今日はジョージ・ハリソンの誕生日である。
ジョージは
1943年生まれなので、生きていれば64歳である。


1988
年、トラベリング・ウィルベリーズなるバンドの広告を
ロッキング・オン誌上で見た。
メンバー全員サングラス姿であったが、
どう見てもボブ・ディラン、ジェフ・リン、トム・ペティ、
ロイ・オービソン、そしてジョージ・ハリソンであった。

前年に発売されたアルバム“クラウドナイン”に続き、
ジョージが活発に音楽活動を行ってくれているのを知り、
とてもうれしかったことを憶えている。

トラベリング・ウィルベリーズは
異母兄弟のオーティス
(ジェフ・リン)、ネルソン(ジョージ)
レフティ
(ロイ・オービソン)、ラッキー(ボブ・ディラン)
そして親戚のチャールズ・
T・ジュニア(トム・ペティ)という設定で、
各ミュージシャンの所属レコード会社が異なるために、
このような覆面&変名バンドとなった。

そもそも、このバンドが結成されるきっかけとなったのが、
僕が昨年の
1130日にこのブログでとり上げた
ジョージの『
This Is Love』である。

この曲がシングルカットされるにあたり、
B面のレコーディングをジェフ・リンとジョージが行おうとした際、
他の
3人も集結。
せっかくだから、このままこのメンツでレコードを出してしまおうということらしい。
その際にレコーディングされた曲が、
このバンドの第
1弾シングルにもなった『ハンドル・ウィズ・ケア』である。

このプロモが実に素晴らしい。
つり下げられた
1本のマイクに向かって、
次々とこの豪華メンバーが歌っていく様は、
まさにロックンロール・レジェンドたちによる奇跡を見るようであった。

残念ながら、ロイ・オービソンは
トラベリング・ウィルベリーズのファーストアルバムの発売直後に亡くなり、
このメンバーで『ハンドル・ウィズ・ケア』が生演奏されることはなかった。
一説にはニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンでの
ライブも予定されていたというだけに、
ロイ・オービソンの訃報は実に実に残念なニュースであった。

さらにはジョージも亡くなり、
永遠にこの曲のライブは聴けないと思っていた。

ら、ジョージの死から1年後の20021129日、
ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールにて開催された
ジョージの追悼コンサートで、トム・ペティとジェフ・リンが、
ジョージの息子ダニーを交えて『ハンドル・ウィズ・ケア』を演奏してくれたのだ。

コンサートの模様は、
DVDとなって200311月に発売された。
ジョージにゆかりのあるミュージシャンが、
それぞれジョージの曲を演奏したこのコンサートのなかで、
いちばん印象的なパフォーマンスが、
この『ハンドル・ウィズ・ケア』であった。

このジョージの追悼コンサート
『コンサート・フォー・ジョージ』と同名の本がある。
全世界
2,500部限定シリアルナンバー入り、
1冊ずつ手作業で製本したという超豪華本である。
ジョージの妻だったオリビアの直筆サインはもちろん
さまざまな特典も満載の、ジョージファンにはたまらない
1冊だ。
価格は税抜きで
95,000!!!!

今月、僕が誕生日を迎えるにあたり、
後輩が何かプレゼントで欲しいものはないかと聞いてきた。
もし、この本が欲しいといったら、彼はどうしただろう?

愛すべきバカヤローのことだ。
きっといろんな人から賛同金を募り、手に入れてくれたに違いない。

どんな豪華なものでも、貴重なものでも、
しょせんモノはモノである。
それがなくたって生きていけるし、人生だって楽しめる。
それよりも、やはり仲間がいちばんだ。

先週土曜日の飲み会で、
人のケータイや荷物を間違って持ち帰ったり、
前後不覚になって吐きまくったりと
ホントにどうしようもないヤツではあるが、
そんな仲間をこれからも大切にしたいと思う。

多くのミュージシャンに慕われていたジョージの誕生日、
あらためてこんなことを思った。


2007.02