トム・ペティ&ハートブレイカーズ「ユー・ゴット・ラッキー」
昨日、ずっと心に引っかかっていた仕事がようやく片づいた。
投資関係の仕事だったのだが、
僕は生まれてこのかた一度も株や為替というものをやったことがない。
自慢じゃないが、投資に関して知識もなければ興味もない。
それなのに渡世の義理で仕事を受けてしまった。
受けてから猛烈に後悔した。
とにかく資料を読み込むだけで、すでに大仕事なのである。
しかし、受けた以上はキッチリこなすのがプロである。
と、理屈ではわかっているのだが、
仕事の下準備が整った時点でどうも気分が乗らない。
まだ締め切りまで時間があるのをいいことに僕は怠け者と化した。
やらねば、やらねばと気持ちだけは焦りつつ、
ズルズルと日にちだけが過ぎていった。
昨日は朝から出かけていた。
午前中に飯田橋で、午後から新橋で打ち合わせを済ませ、
凍えつくような冷え込みのなかをホテホテと帰った。
後楽園駅の脇にある公園の猫ちゃんたちも寒そうにしていた。
帰宅し、のほほんとしながらホッとひと息入れ、
明日こそは朝からその仕事に取りかかろうなどと考えていたら、
たて続けに2件の仕事が舞い込んできた。
うち1件は明日の朝まで欲しいという。
欲しいといわれれば、差し出すしかない。
僕のダレきったアタマは一気に仕事モードになった。
依頼された急ぎの仕事は、時間的にはまったく問題なかった。
明日の朝までどころか、今夜中にもなんとかなる内容のものだった。
そこで僕は、その仕事に集中すべく、
まず問題の投資関係の仕事を一気に片づけてしまおうと考えた。
気乗りのしないやっかいな仕事を片づけ、
アタマもココロもクリアにした状態で、
急ぎの仕事に取りかかろうと思ったのだ。
しかし、そんな僕の思惑とは裏腹に仕事は難航した。
なかなか思うように仕事が捗らないのである。
焦る気持ちと苛立ちをなんとかなだめすかしつつ、根気強く作業を進めた。
どんなイヤなことでも、永遠に続くことはない。
はじめてしまえば、いつかは必ず終わる。
長時間、悪戦苦闘しつつもようやくその仕事を片づけることができた。
書き上げたデータを保存したとき、僕は心のなかで万歳三唱をした。
そしてすぐさま、新しい仕事に取りかかった。
こちらはスイスイと進んだ。
何の問題もなかった。
書き上げたデータを送り、久しぶりに安らかな気持ちで眠りについた。
最近、懐かしい夢を見ることが多い。
先日は、以前飼っていた猫が出てきた。
懐かしい真っ白いカラダを抱き上げながら、
僕は夢の中ながら幸せな気分にひたった。
昨日は、高校時代のガールフレンドの夢を見た。
しかし、夢の中に彼女は出てこなかった。
夢は僕が彼女の家に電話をしているというものだったのだ。
彼女とはお互いに部活が忙しかったこともあって、
そう頻繁には会えなかった。
その分、よく電話で話した。
最初は10分・20分だったのが、そのうち1時間・2時間となり、
しまいには真夜中までずっとしゃべっているようになった。
いまのように携帯電話や子機などない昭和の時代である。
僕も彼女も玄関先で何時間も話し続けた。
当然、双方の親からは顰蹙を買った。
でも、僕らは長電話をやめないどころか、
その通話時間はますますエスカレートしていった。
最長8時間というのが当時の記録である。
電話を切ったときは、朝の4時を回っていた。
これが夏ならばまだいい。季節は冬だった。
暖房もない玄関先のことである。
当然、寒い。
話している間に冷え込む。
しまいには鼻水も垂れてくる。
しかし、寒いからという理由で電話を切ることはなかった。
それだけ長電話をしていったい何を話していたのかというとよく憶えていない。
が、音楽の話はしょっちゅうしていたように思う。
1983年のいまごろ、
トム・ペティ&ハートブレイカーズの
『ユー・ゴット・ラッキー』という曲がラジオからよく流れていた。
後にジョージ・ハリソンやボブ・ディランらと共に
トラベリング・ウィルベリーズを結成するトム・ペティのことを
僕はこの曲ではじめて知った。
僕はトム・ペティ&ハートブレイカーズのステージを一度だけ観たことがある。
1986年にボブ・ディランと共に武道館で来日公演を行ったのを観たのだ。
ボブ・ディランとトム・ペティである。
いま考えても夢のような顔合わせである。
僕のロックンロール人生のなかでも、実に貴重な体験であった。
1989年、トラベリング・ウィルベリーズが活躍中のころ、
トム・ペティは『アイ・ウォント・バック・ダウン』という曲を発表した。
この曲のプロモにはジョージ・ハリソンとリンゴ・スターが出演している。
このことからも、いかにトム・ペティが
偉大な先輩ミュージシャンたちからかわいがられていたかが理解できようかってものだ。
その後、トラベリング・ウィルベリーズが活動を休止してからも
トム・ペティとジョージ・ハリソンの親交は続き、
ジョージがビルボード誌の功労賞を受賞したときのブレゼンターをも務めている。
もちろん2002年に行われたジョージの追悼コンサート
“コンサート・フォー・ジョージ”にもトム・ペティはハートブレイカーズとともに参加し、
ジョージのビートルズ時代の『タックスマン』と『アイ・ニード・ユー』、
そしてトラベリング・ウィルベリーズの代表曲『ハンドル・ウィズ・ケア』を演奏した。
僕が知る限り『ハンドル・ウィズ・ケア』が生演奏されたのは、このときだけである。
それだけでも実に貴重なコンサートだったといえる。
この場に居合わせた人たちがうらやましくてしょうがない。
トム・ペティはその素晴らしい音楽性やキャリアに比べ、
日本での評価は残念ながらそれほど高いとはいえない。
でも、少なくとも僕にとっては大切なミュージシャンの1人である。
実は今、この文章を書きながら『ユー・ゴット・ラッキー』を聴いている。
今年の冬も寒いが、1983年の冬も寒かった。
『ユー・ゴット・ラッキー』を聴いていると、
まだ何者でもなかった高校2年生の冬のあれこれが次から次へとよみがえってくる。
All things must pass.
過ぎてしまえば25年なんていうのも、実にあっという間である。