トワ・エ・モア「誰もいない海」


TBSアナウンサーの川田亜子さんが、亡くなられた。
正直いって僕は川田さんについてほとんど知らない。
川田亜子というお名前を見ても、
パッとお顔が思い浮かばなかったぐらいである。

プロフィールによると川田さんは1979117日生まれ。
白百合女子大学文学部卒業後、
2002年にTBSに入社。
主にバラエティ番組を中心に活躍されていたが、
昨年の
3月にTBSを退社。
その後、フリーアナウンサーとして情報番組などで活躍されていたという。

伝え聞くところによると川田さんがTBSを退社した理由は、
報道番組を担当したかったためだそうだ。
事実、フリーになった直後のインタビューで、
目標とする人物としてニュースキャスターの安藤優子さんや櫻井よしこさんの名前を挙げ、
将来は自分の言葉で物ごとを伝えていけるようになりたいと語っていた。

前述のように僕は、川田さんのお顔さえまともに知らなかった人間なので、
川田さんの死についてあれこれと語るのははなはだ僭越だと思うが、
どうしても気になることがあったので文章にまとめてみようと思った。

川田さんが亡くなる1週間前ぐらいのことだったと思うが、
Yahoo!のニュースで川田さんがブログに不安定な文章を書いているということを知った。
僕は妙に気になって、さっそくそのブログを見に行った。
そこにはブログを休止する旨が書かれていたかと思えば、
すぐさまそれを撤回するなど、たしかに不安定さを匂わせる文章がつづられていた。
母親との精神的なトラブルを暗示させるような記述もあった。

その数日後の22日、再び見に行ったブログには、
一番苦痛でありますという書き出しに続いて、
昔は本を読んだり、ボーッとしたりすることが楽しかったのに、
いまは切ないという文章が短くつづられていた。

僕はこの川田さんの文章が、痛いほどよくわかった。

僕も川田さんと同じく、フリーで生計を立てている。
サラリーマン時代ともっとも大きく違うのは、
仕事がないということは、即収入がなくなるということである。
サラリーマン時代は、本を読んだりボーッとしたりすることは、
息抜きであったり、知識やエネルギーをチャージしたりする
すごく有意義な時間であったのに、
いまはそれをどこか心から楽しめていない自分自身を痛感するときがあるのだ。

「たまにはこんな時間も必要さ」という肯定的な自分と、
「おいおい、こんなことをしていていいのかよ」という否定的な自分が常に格闘している。

そんな自分自身を知っているから、
川田さんのブログを読んで、
川田さんもきっと同じような悩みを抱えているのかもと勝手に思ったのである。

収入面もそうだが、仕事の内容面についてもそうである。
川田さんが報道にたずさわる仕事をしたいと思い独立されたように、
サラリーマンからフリーになるというのは、
サラリーマンとしての現状では実現できない、
なにかしらの志を成そうとしてのことだと思う。
しかし、そんな志が望み通りに実現できるほど、
世の中は簡単にはできていない。

もちろんフリーになってサラリーマン時代以上の大成功を収めている人は多い。
が、そうでない人もいる。
僕だって、理想としていることの
1/5も実現できていない。
現実は厳しいのである。

亡くなる少し前、
川田さんは仕事が減ってきているということをこぼしていたという。
この時点で川田さんが仕事の減少、
さらには仕事に対する理想と現実のギャップに
悩み、苦しんでいたのであろうことは推測できる。

去年の11月ぐらいだったと思うが、
日曜日の朝フジテレビ系で放映されている“ボクらの時代”というトーク番組に、
元日本テレビの福澤朗氏、元フジテレビの八木亜希子さん、
そして元
TBSの渡辺真理さんという、
それぞれサラリーマン時代に局アナとして大人気を集め、
その後フリーに転身した
3人が出演された。
その番組のなかで福澤氏はフリーになったときのことに触れ、
フリーになってテレビの仕事がゼロになったとしても、
結婚式の司会とかイベントの司会で
絶対に女房・子どもを食べさせていくという
強い決断があったというような話をしていた。

僕はそれを聞いて、フリーでやっていくには
やはりそれぐらいの心構えがないと生き抜いていけないんだろうなと
妙に感心したことを憶えている。

この番組のなかで福澤氏は、
プライベートではほとんど無駄な長話をしないというようなことも語られていた。
福澤氏にすれば、電話も
5分も話したら長話になるというのである。
その話を聞き、テレビではあれほど饒舌な福澤氏の意外な一面を見た気がしたが、
福澤氏は放送時間の制約があるなか
5分間も続けて自分1人でしゃべり続けることはほとんどないので、
無駄な長話をしないというのはアナウンサーの職業病みたいなものだと語るとともに、
無駄話をしている時間が許せないと語っていた。
ちなみに福澤氏はボーッとするときも、
よし
15分間ボーッとしようと決めてボーッとするという。

川田さん死亡のニュースを聞き、
僕のなかでずっと鳴り響いている歌がある。
トワ・エ・モアの
1970年の大ヒット曲『誰もいない海』である。
作詞は山口洋子さん、作曲は越路吹雪さんのご主人でもあった内藤法美さんのこの曲は、
ちゃんとレコードで聴いた記憶はないのだが、
子どものころにいつしか憶えたのであろう。
いまでも
3番目の歌詞までしっかりと憶えている。

『誰もいない海』は、
1番から3番までの歌詞を要約するとこういう内容の歌である。
(勝手に歌詞を要約するのは、
作詞家である山口洋子さんに対し、大変失礼な行為とは思いますが、
この文章の筆者である僕が、伝えたい文意を簡潔に表記するためのことなので
何卒ご容赦ください
)

「今はもう秋。誰もいない海。
 知らん顔して人がゆきすぎても、たったひとつの夢が破れても、
 いとしい面影帰らなくても、私は忘れない。
 海に、砂に、空に約束したから。
 つらくても、淋しくても、ひとりでも、死にはしないと。」


つくづく死ぬことも勇気がいると思うが、
生き続けることも大変だと思う。

福澤氏が無駄話は大嫌いという意外な面を持っているように、
人にはそれぞれ本人しかわからないことってあると思う。
それに対し、いいだ、悪いだと他人がとやかくいう権利はない。

川田さんにしてもそうで、
川田さんは川田さんで、人生の決断をされたのだ。

ただひとつだけ僕が強く思うのは、
誤解を恐れずにいえば、死ぬことなんていつでもできるのである。
しかし、生き続けられる時間は無限ではない。
僕だっていつかは否応無しに死ななきゃならないときがくるのだ。
ならば、そのときが来るまでベストを尽くそう。
それでもダメだったら、それはもう仕方のないことなのである。

なんやかんやと恥の多い生涯を送っている僕ではあるが、
死ぬときは「まあオレの人生、良しとしよう」と思って死にたいと願う。

今回の川田さんの訃報は、
いろんな意味でいろんなことを考えさせられた。


2008.05