タイガース「10年ロマンス」


昨日、麻生新総理が誕生した。
この新政権発足に関連して、僕は朝からある
1つのことを心配していた。
ニュースである。
麻生新内閣についての報道で
NHKニュースの放送時間が延長になり、
10時以降の番組の放送時間がズレることをヤキモキと心配していたのだ。

なぜなら昨日の夜11時から“SONGS”という番組に
沢田研二が出ることになっていたからである。

僕は決して政治に無関心な人間ではない。
が、麻生新内閣よりはジュリーである。
なんてったってジュリーである。
誰がなんといおうとジュリーである。

先週の水曜日の朝、
新聞のテレビ欄を見ていたら沢田研二の名前を見つけた。
僕はすぐさま録画予約をした。
そしてその夜、リアルタイムで観た。
今年
60歳になったジュリーは素晴らしかった。

この番組の冒頭、
ジュリーは「まだ唄っています」という自虐的なナレーションをしていた。
久々のテレビ出演だったからである。
しかし、ジュリーは決して過去の人ではない。
どっこい、しぶとくしたたかに、そして華麗にロケンロールを唄い続けている。
テレビ番組にひんぱんに出なくなってからもジュリーは
地道に毎年新しいアルバムをつくり、ツアーを行っていたのだ。
数年に
1度しかアルバムを出さず、ツアーにも出ないローリング・ストーンズは、
いますぐジュリーを見習ったほうがいい。

番組のオープニング曲は
今年
5月に発表されたニューアルバムのタイトルソング『ROCKN ROLL MARCH』。
昭和の時代からジュリーの活動をサポートしてきたギタリストの柴山和彦、
同じくギターに元ルースターズの下山淳、
ドラムは佐野史郎のバンド“
sanch”でも活躍している「女ジョン・ボーナム」GRACE
そしてキーボードが泰輝というバンドメンバーに加え、
100人のコーラス隊を従えての演奏は、まさに圧巻であった。
続いて演奏されたのが
先日の朝日新聞の夕刊にもとり上げられていた『我が窮状』。

 この窮状 救えるのは静かに通る言葉

 我が窮状 守りきりたい

 許し合い 信じよう

  (作詞:沢田研二)

窮状を憲法9条にかけたこの曲は、
ジョン・レノンの『イマジン』を凌駕するといっても過言ではない名曲だと思う。
なんといっても歌詞がいい。
大スターの沢田研二が平和を唄うという大上段に構えた感じもなく、
上から目線の歌詞でもなければ夢物語でもない。
まさに地に足をしっかりと着け、世の中をぐるりと冷静に見渡した視点で、
平和への願いを切々と唄っているところに大きな感動を覚えた。

番組の中盤ではムーンライダーズの白井良明も参加して、
ジュリーのソロデビュー曲『君をのせて』と、
ご存知『勝手にしやがれ』が披露された。
『君をのせて』もあらためて聴くと実にいい曲である。
1985年に出版されたジュリーの自伝“我が名は、ジュリー”のなかで、
たしかジュリーが自分の歌でいちばん好きな曲として挙げていたと思う。

番組はニューアルバムからの『神々たちよ護れ』という曲で
エンディングを迎えた。


それはそれは至福の
30分間であった。
そして、僕はまたジュリーに夢中になった。

以来この1週間、毎日ジュリーのCDを聴き、
ジュリーの
70年代後半から80年代終盤にかけての
ジュリーのヒット曲の数々を集めた
DVDを観るという生活を送ってきた。

そして昨日。
夜の
11時から2週にわたるジュリーの“SONGS”が放送されるのである。
この
1週間、待ちに待っていた番組なのである。
もし、麻生新内閣関連のニュースで放送時間がズレるようなことになったら、
麻生新内閣に対し
徹底して不支持を表明してやろうと思っていたことはいうまでもない。

先週の水曜日からジュリー三昧の生活を送ってきて
どうしても観たくなったのが
1975年、
僕が小学校
4年生のときに放映されていたドラマ“悪魔のようなあいつ”である。
主人公はもちろんジュリー。
藤竜也扮する元刑事のマスターが経営するバーで歌手として勤めながら
ときたまお金で女性たちに買われ、さらには藤竜也とはどうもデキていて、
そして
3億円事件の犯人であるという
設定からして強烈なキャラクターをジュリーが演じた。

プロデューサーは「ドラマのTBS」の歴史をつくったといっても過言ではない久世光彦さん、
原作は作詞家の阿久悠さん、脚本はのちにジュリー主演の映画“太陽を盗んだ男”を手がけた
ゴジこと長谷川和彦監督という面々によるこのドラマは、
この年の
1210日に迎えることになっていた
3億円事件の時効に合わせストーリーが展開していくというスリリングな設定で、
当時
9歳のタカハシ少年もハラハラドキドキしながら観ていた記憶がある。

のだが、実は僕はこのドラマを最初から最後までちゃんと観ていない。
金曜日の夜
10時からという放送時間に加え、
随所にお色気シーン
(死語)も出てくることから、
親の目を盗んで観る必要があったのだ。
もちろんその当時は自分用のテレビなどない。
テレビを観るなら茶の間で観るしかなかったのだ。
当然、親が茶の間にいれば観ることはできない。

しかも、僕の両親は沢田研二が大嫌いだった。

後に母は『カサブランカ・ダンディ』でウイスキーを吹くジュリーを不謹慎だといい、
『おまえがパラダイス』で唄いながら柴山和彦の頭をぐしゃぐしゃにするジュリーを
バカみたいといい放った。
父は父で、『勝手にしやがれ』の歌自体はいいが、振り付けが大嫌いだといっていた。


僕とほぼ同世代の人間とジュリーについての話をすると
「沢田研二を観ていると親に怒られた」という話題がよく出る。
当時のジュリーに対し、眉をひそめる大人たちがたくさんいたのは事実である。

しかし、僕はそんなジュリーが子どもの頃から大好きだった。
ビートルズをリアルタイムで体験した人から
「次は何をやってくれるんだろうと、
新しいレコードが待ち遠しくて仕方がなかったものだ」という話を聞いたことがあるが、
僕にとってはまさに同じことで
「今度のジュリーは何をやってくれるのか」といつもワクワクしながら新曲を待ち、
そして新曲が出るたびにジュリーの歌・衣裳・振り付けなどについて、
友だちとああだこうだと語り合ったものだ。

そんなことを想い出しながら、
パタパタとしているうちに夜
11時がやってきた。
幸いにして
NHKニュースは放送時間が延長されることなく、
予定通り“
SONGS”は始まった。
麻生新内閣も命びろいしたってなもんだ。

オープニングは“悪魔のようなあいつ”の主題歌だった『時の過ぎゆくままに』。
そして長年にわたりジュリーのプロデュースを担当していた
ワイルドワンズの加瀬邦彦さんも参加しての『危険なふたり』が披露され、
ジュリーが作詞し、加瀬さんが作曲した新曲『海にむけて』が披露された。

グループサウンズをリアルタイムで知らない僕にとって
ワイルドワンズの加瀬邦彦といえば、正直いって加山雄三に相通ずる雰囲気を持つ、
髮を横分けにしたオジさんというイメージが強かった。
しかし、昨日の加瀬さんは違った。ニット帽にジーンズ、
ラフなジャケット姿でアクションをまじえながらギターを奏でる加瀬さんは、
まぎれもなくロケンローラーそのものだった。
テレビに映るジュリーと加瀬さんは、
まるでまだ駆け出しの頃の佐野(元春)くんと伊藤銀次を見るようだった。

加瀬さんは1941年生まれだから当年とって67歳である。
最近つくづく思うのだがエンケンこと遠藤賢司といい、
原田芳雄さんといい、ロバート・ハリス兄といい、中村敦夫さんといい、
そしてジュリーといい、本当にカッコいい
60代が多い。多すぎる。

っても、麻生新総理は敦夫さんや芳雄さんと同じ
68歳で、
新たに総務大臣に就任した鳩山邦夫はジュリーやハリス兄と同じ
60歳なので、
ひと口に
60代といってもいろんな60代がいるのだが、
それにしても還暦を過ぎてなおカッコいいなと思える人たちがたくさんいる。
そんな人生の先輩たちに比べたら、
42歳の僕なんてのはまだまだヒヨッコってなもんだ。

加瀬さんとのセッションのあと、
今度はタイガースの元メンバーだった
岸部一徳と森本太郎がブラウン管に映し出された。
3人でタイガース時代の想い出話を語るその姿は、
まるで“ビートルズ・アンソロジー”のなかで、
ジョージ・ハリソン邸の芝生の上でビートルズ時代の想い出話を語る
ジョージ、リンゴ、ポールのようであった。

タイガースは、日劇が取り壊されることによって19811月に開催された“
さよなら日劇ウエスタン・カーニバル”を契機にメンバーが期間限定で再結集し、
10年ロマンス』や『色つきの女でいてくれよ』といった新曲を発表するとともに
コンサートも精力的に行った。
しかしドラマーのピーこと瞳みのるはこのプロジェクトに参加していない。

19711月のザ・タイガース解散後、瞳みのるは高校教師となり、
芸能界はおろかタイガースのメンバーとも交流を絶っていると伝えられる。

タイガースの解散コンサートについてはまったく記憶がない僕であるが、
さすがに
1981年の再結集当時のことはよく憶えている。
“さよなら日劇ウエスタン・カーニバル”の模様は
たしかフジテレビで放送された。
それを家族で観ていたときのこと。
タイガースの代表曲の
1つ『花の首飾り』を唄うトッポこと加橋かつみを観ながら
「うーん、いい曲だ。このヴォーカルの声もいいぞ」と聴き惚れていた僕の横で、
我が母は冷たくピシャリといい放った。
「この人って、たしか麻薬で捕まったことあるよね」と。

年代的には懐かしがっていいはずの加橋かつみを元犯罪者呼ばわりし、
一刀両断に斬り捨ててしまうとは
!!
まさに伝家の宝刀。我が母の毒舌ぶりに、あらためて驚かされた()


昨日の“
SONGS”では、
これまたタイガース時代の代表曲『君だけに愛を』に続き、
瞳みのるに捧げるためジュリーと岸部一徳が作詞し、
森本太郎が作曲した『
Long Good-by』という曲が最後に演奏された。

 僕らはきれいな大人になれたかな

 歳ばかり重ねてきたな

 30年以上 隙間は重いけど

 今なら笑い合いたい

 僕には君の決断がまぶしかったよ

 君は今 東京の何処かで暮らしてるんだ

 ほんとうに ほんとうに君のこと

 いつも気にかけてる

 永遠の今が続きならば 一度酒でも飲まないか

  (作詞:沢田研二・岸部一徳)

僕は不覚にも、この歌を聴きながら泣きそうになった。

沢田研二、60歳。
さすがに体型は昔とはずいぶん変わった。
しかし、ロケンローラーとしてのジュリーはいまなお輝きは失せていない。
少なくとも僕のなかではミック・ジャガーごときより
よほど立派で素敵なロケンローラーである。

この年末、ジュリーは京セラ大阪ドームと東京ドームにおいて
「人間
60年・ジュリー祭り」と題された一大コンサートを予定している。
このコンサート、途中休憩が予定されているとはいえ
15:00開演・21:30終演という空前絶後のものである。

タイガース時代も含め
まさにジュリーのキャリアの集大成となるコンサートとなるばかりか、
日本の音楽史上に残るコンサートになるだろう。
心から大成功を祈りたい。

たぶん演奏される曲数もハンパじゃないのだろうが、
あえて
1曲リクエストするなら1987年に発表された『きわどい季節』を挙げたい。
この曲は
1980年に発表された『おまえがパラダイス』以来、
久々に加瀬さんが作曲を手がけたシングルで、
作詞は阿久悠さんによるものだった。

 振り向けば乙女が まぶしい女になり

 抱きしめてみたいと両手を広げる

  (作詞:阿久悠)

この曲におけるジュリーのヴォーカルは、
まさにジュリーここにあり
!!という伸びやかで艶のあるもので、
セールス的には大ヒットとはいかなかったが、
隠れたジュリーの名曲の
1つだとあちらこちらで力説してきた。
さらに僕はこの歌を勝手に源氏物語の紫の上のテーマソングにしているとあちらこちらで言い放ち、
そのたびに「それがどうした
?」とか
「だから何なんだ
?」と冷笑を浴びせられたものである()

源氏物語といえば1980年のお正月、
ジュリーが光源氏を演じたスペシャルドラマがあったことを想い出す。
脚本は向田邦子さんで、久世さんのプロデュースだったと思う。

それはさておき、『きわどき季節』で唄われている世界は、
少女に恋している大人の男を描いたと思われるなんともムフフな世界である。

この曲をはじめて聴いた当時、僕はまだ21歳だった。
そして、僕も
40ぐらいになったら
10代の女の子に恋することがあるのだろうかと余計な想像をしたものだ。

いまのところ、その兆候はカケラもない()

 

2008.09