照屋林助「生き返り節」


先週の土曜日、
雨のなか大切な年中行事の
1つである新宿花園神社のお酉様に行ってきた。
目的はそう、見世物小屋である。
僕は子どもの頃から見世物小屋が大好きで、機会があれば熱心に観入っていたものだ。

残念なことに見世物小屋は現代では、その姿を消しつつある。
僕が見世物小屋を見られる機会も、このお酉様のときだけである。
だからこそ、僕はなんとしてでも行く。
僕が行かなきゃ、見世物小屋の木戸も開くまいってなもんだ。

今年は暦の関係上、二の酉までしかない。
お酉様は酉の日とその前夜にしか開かれないので、
今年見世物小屋を観ることができるのは
1110()11()22()23(金・祝)である。
ということで、さっそく先週の土曜日、勇んで花園神社に出かけた次第だ。

僕が花園神社に着いたのは夜7時過ぎであった。
だいたい
8時過ぎぐらいから見世物小屋は開くので余裕をもって出かけたのだが、
なんと着いたときには見世物小屋ははじまっていた。
急いで小屋のなかに入ると、伝説の蛇女・お峰太夫やその後継者の小雪太夫、
そしてこの見世物小屋の興行主である大寅興業の皆さんの姿があった。
僕は
1年ぶりの再会を心の中で喜びながら、舞台に目を移した。

舞台では子犬のハイちゃん
&ローちゃん、ウーロンちゃん、
もこみちちゃんによる芸が行われていた。
犬が筒を押しながら二足歩行したり、
輪くぐりやハードル飛びをしたりといった芸を披露するのだが、
その内容は去年と何ら変わっていなかった。
ふむふむと舞台を眺めつつ大寅興業のお姐さんの口上を聞いていたら、
ラッキーなことに初日第
1回目の公演がはじまったばかりであった。

その後もガラスを突き抜けるヘビ、双頭の子牛のミイラ、
箱抜けマジック、ニシキヘビの大蛇、小雪太夫によるヘビ喰い、
そしてお峰太夫による火吹きといった
何度見ようとも絶対に飽きない素晴らしい見世物のオンパレードが続いた。

あらゆるものが性急に移り変わる現代において、
1年前と変わらない出し物を観ながら僕は懐かしく温かい気持ちになった。

結局、2回目の公演も観て僕は大満足で会場を後にした。
出口でお金を払ったあと、大寅興業の社長さんに
「今年もお峰さんが元気でよかったですよ」と挨拶をした。
お峰さんは、この道ウン
10年の大ベテランで、もうかなりの高齢なのだ。
たとえ年に
1回でも見世物小屋が観られるのはうれしいが、
そこにお峰さんの姿がないのはやはりさみしい。
社交辞令でもなんでもなく、僕の本心であった。
そんな僕に大寅興業の社長さんは
「いやあ、お峰さんも年だからねえ。来年はどうかな」といって笑った。
そんな社長さんに僕は「二の酉にまた来ますので」と笑顔で答え、
雨が降りしきる外へ出た。
そうなのである。僕はまた行くのだ。二の酉に。
もちろん、見世物小屋を観に。

花園神社を出て、靖国通り沿いを傘を差しつつホテホテと歩いていたら、
例年と同じ場所に白蛇が祀られている屋台があった。
白い生きた蛇が、いるのだ。

白蛇は古代インドにおいて財運招福の神「弁財天」の化身といわれ、
白蛇が棲みついた家は金運・財運に恵まれると信じられてきた縁起物である。
この屋台では、白蛇の招運グッズが売られているのだが、僕は買ったことがない。
毎年ただ観で失礼させていただいているのだが、
白蛇の姿を観ただけでもなんとなくご利益がありそうである。

ご利益がありそうといえば、
今年も見世物小屋でニシキヘビの大蛇に触らせてもらい、
脱皮した皮を少し分けてもらった。
僕はヘビはもともと大の苦手なのだが、
昨年見世物小屋に行った際、勇気を振りしぼって触らせてもらったところ、
案外スベスベしていて全然気持ち悪い感触ではなかった。

沖縄の三線は、ニシキヘビの皮を張ってつくる。
僕はこの三線の音が世界一好きな楽器の音である。
以前、沖縄に遊びに行ったとき買ってきたかったのだが、
沖縄でもかなりの値段がして泣く泣く諦めてきたことがある。
まあ、買ってどうするのだといわれれば、それもそうだなと答えるしかないのだが・・・。


それでも三線の音色はいい。
僕が沖縄の音楽に惹かれる大きな理由は、三線の音色である。
一時期、僕はとり憑かれたように沖縄の音楽ばかりを聴いていた時期がある。
りんけんバンドも大好きなバンドであった。
りんけんバンドのリーダー・照屋林賢さんのお父さんは、
「てるりん」こと照屋林助さんで、沖縄音楽界の大御所であった。
残念ながら
2005年の3月に亡くなられてしまったが、
沖縄音楽はもとより日本のミュージックシーンに遺した功績ははかり知れない。

「てるりん」の歌で僕が大好きだったのは『生き返り節』という曲である。
戦争で打ちのめされた沖縄の人々の心を、ユーモアを交えながら明るく唄っている。
しかし、この歌には明るい曲調とは裏腹に痛みがいっぱいつまっていると僕は思う。
が、それを哀しい調子で唄わず、明るく唄い飛ばすところに、
若輩者が生意気ないい方をして恐縮だが、「てるりん」の真骨頂があると感じるのだ。

戦後間もなく「てるりん」は、師匠の小那覇舞天(おなはぶーてん)さんと共に、
「命のお祝いをしましょう」といって、戦争で親族を亡くした各家庭をまわったという。
今回の戦争では沖縄の
4人に1人は亡くなってしまったが、4人に3人は生き残った。
だから、生き残ったことをお祝いしようといって各家庭を訪問し、唄い踊ったそうだ。

「てるりん」が遺した言葉で、僕がいまも大切にしている言葉がある。
沖縄のチャンプルーの考え方について「てるりん」が語った言葉だ。
「てるりん」曰く、沖縄のチャンプルーというのは、
あれはいいがこれはダメではなく、
「あれもいい、これもいい、全部いい」と考えることなのだそうだ。
僕はこの言葉に触れて、否定的な考え方をなるべくするまいと思った。
たとえば誰かに対しても欠点を見つめるのではなく、
長所をまず見て、欠点すらも長所と受け取れるような人間になりたいなと思ったものだ。

しかし、まだまだ未熟者ゆえ、そんな境地にはいたっていない。
お恥ずかしい限りだ。

「てるりん」は長年の功績に対し、1994年に沖縄市文化功労賞を、
そして
2000年に沖縄県文化功労賞を受賞した。

表彰されればいいってものではないが、
「てるりん」の功績に対する正しい評価だと思う。

いまや残り少ない見世物小屋も重要無形文化財にすればいいのに。
僕は以前より、勝手にそう考えている。
そしてもちろん、お峰太夫は人間国宝だ。


2007.11