テレサ・テン「時の流れに身をまかせ」


先日、俳優のポール・ニューマンが引退するというニュースが流れた。
ポール・ニューマンも
82歳なのだそうだ。
俳優には定年がない。
やろうと思えば、死ぬまで続けられる。
しかしポール・ニューマンは
「もう満足のいく演技ができなくなった」と引退を発表した。

落語家の三遊亭円楽師匠もそうである。
噺家としてもう満足のいく高座が務められないといって、
高座を終えたその日に引退の記者会見を行った。

僕はポール・ニューマンと円楽師匠の引退のニュースに触れ、
プロとしての矜持をまたひとつ教えられたような気がする。

子どものころ「継続は力なり」と教えられた。
たしかにそれは一理ある。
しかし、惰性で続けることとこの言葉の意味することでは大きな隔たりがあると思う。


僕はまだ
41歳。
引退を考えるにはまだまだ若すぎる。
僕だっていつか引退する日がくるだろう。
それは死によってかもしれないし、
自分自身の決断によってかもしれないし、
まわりをとり巻く状況かもしれない。

いずれにしても僕はもっともっとやりたいこともあれば、
やらなきゃいけないこともある。
その
1つひとつをしっかりと実現していくためにも、
僕は「継続」していなければならない。

ポール・ニューマンの代表作は数多くあるが、
僕らの世代だとやはり“ハスラー
2”の印象が強いのではないだろうか?

ポール・ニューマンが演じる伝説のビリヤードプレーヤー、
エディがトム・クルーズ扮するヴィンセントという若者をハスラーとして仕込んでいく。
その過程で、ポール・ニューマン自身がハスラーのカモにされてしまう。

エディはヴィンセントと袂を分かち、
自身もいちプレーヤーとしてトーナメント選手権に参加する。
そのトーナメントにおいてヴィンセントとの勝負に勝つが、
それはエディ
VSヴィセントの勝者を予想する賭けを利用した
ヴィンセントのいかまさだった。
ヴィセント自身がエディの勝ちに賭け、自分がわざと負けたのである。

それを知ったエディは、あらためてヴィンセントに勝負を挑む。
そして、ブレイクする瞬間、
まるで自分自身に向けて宣言するかのように「カムバック」という。

このラストシーンは何度見てもカッコいい。
つい先日も、夜遅くまでついつい見入ってしまったばかりだ。

この映画の公開によって、
日本にもビリヤードブームが起きた。
あちらこちらにビリヤード場やプールバーができ、
2時間待ちや3時間待ちが当たり前のなか、
みんなビリヤードに興じていたものだ。

僕はもともとビリヤードをやっていたのだが、
この時期はプレーするのを避けていた。
薄っぺらな感じのビリヤードブームを毛嫌いしていたのだ。

世はまさにバブル前夜。
世の中は浮かれまくっていた。

その後、ビリヤードブームは、あっという間におさまった。

僕らがまた落ち着いてビリヤードに興じれる時代がやってきたのである。

そんななかで出会ったのがヨコヤマさんである。
ヨコヤマさんは僕よりひとまわり以上、年齢が上なのだが妙にウマが合い、
よくつるんでビリヤードをしに行った。
ヨコヤマさんは
2度の離婚歴があるというなかなかの人生のツワモノなのだが、
ビリヤードの腕もかなりのものだった。

僕はヨコヤマさんと一緒にプレーするなかで、
ビリヤードの腕を磨いていった。
ヨコヤマさんとのプレーに比べたら、
それまで僕が体験してきたビリヤードなんて子どものお遊びのようだった。

2時間から3時間ぐらいプレーしたあと、
僕らはお約束のようにいつも飲みに行った。
ヨコヤマさんはフィリピンパブが大好きで、
僕もよく連れられていったものだ。

ヨコヤマさんの
2度にわたる離婚歴のうち、
2度目の離婚はフィリピン人の奥さんとである。
ビリヤード同様、
ヨコヤマさんのフィリピーナ好きは筋金入りなのである。

そんな風にして、僕らはバカをやっていたのだが、
ヨコヤマさんが転職したり、僕が忙しかったりして
なかなか一緒に遊ぶ時間が取れなくなってしまった。

ヨコヤマさんからの連絡がぶっつりと途絶え、
どうしてるんだろうと思っていたある日、
1枚のハガキが届いた。
東急田園都市線・鷺沼駅前にある
居酒屋の共同経営者になったという報せだった。

印刷会社の営業から、居酒屋経営者へ。
この突飛な転身もヨコヤマさんらしいなと思った。

さっそくその週末、ヨコヤマさんのお店を訪ねた。
そして僕らの交流はまた始まった。

この間、僕は何度かヨコヤマさんのお店を訪れ、
またヨコヤマさんのお店が休みである日曜日には
2人で遊びに行った。
ヨコヤマさんは相変わらずフィリピンパブが大好きだった。

しかし、このお店も結局は閉店してしまった。
閉店の報せはヨコヤマさんから受けていない。
ある日、お店に行ったら、違うお店になっていたのだ。

ケータイに電話してもつながらなかった。
僕とヨコヤマさんの接点は、こうして途絶えた。


以来、ヨコヤマさんとはもう
10年近く会っていない。
でもヨコヤマさんのことだ。
きっとまたどこかのビリヤード場で玉を撞いているに違いない。
きっと、フィリピンパブ通いだって卒業していないだろう。

先日、テレビでテレサ・テンのドラマをやっていたようだが、
ヨコヤマさんがフィリピンパブのカラオケで
いつも唄っていたのがテレサ・テンの『時の流れに身をまかせ』である。

いつかまた、どこかでヨコヤマさんとばったり会えるような気がしてならない。
その日が来たらヨコヤマさんと人生の奇跡に乾杯し、
そして一緒にまたビリヤードをしたいものだ。

2007.06