竹内まりや「もう一度」


日本のミュージックシーンで、
理想的なおしどり夫婦といえば誰を思い浮かべるだろう?

僕が少年の頃は加藤和彦氏と安井かずみさんであったのだが、
安井かずみさんは
1994317日、
肺がんのため
55歳で亡くなられている。

加藤和彦&安井かずみご夫妻を引き継ぐかたちで、
僕のなかで理想的なおしどり夫婦No.1となったのが、
山下達郎と竹内まりやである。

竹内まりやは1978年、
『戻っておいで・私の時間』でデビュー。
1979年には『ドリーム・オブ・ユー』や『September』がヒットし、
1980年には『不思議なピーチパイ』がヒットした。

ちなみに『戻っておいで・私の時間』と『不思議なピーチパイ』は
加藤和彦・安井かずみご夫妻の作詞作曲である。

この当時の竹内まりやは、
どちらかといえばアイドル歌手的な扱いをされており、
本人も不本意に思っていたらしい。
1981年には目指す音楽性とアイドルイメージの現実とのギャップから、
一時音楽活動を休止した。

そして翌年、山下達郎と結婚するのである。

このニュースを知ったときの驚きはなかった。
その組み合わせの意外性にである。
しかし、あとで知ったところによると竹内まりやは
シュガーベイブの頃から達郎のファンで、
よくライブにも足を運んでいたらしい。

この結婚に際し、竹内まりやに相談を受けた
慶応大学の先輩の杉真理が
「あんなヤツはやめとけ」とアドバイスしたというのは有名な話である
()

山下達郎との結婚後、
竹内まりやはシンガーとして表舞台には出ず、
もっぱらソングライターとして活動し、
河合奈保子の『けんかをやめて』などを手がけた。

このままシンガーとしてはリタイヤしてしまうのかと思われていた1984年の4月、
突然に届けられたがシングル『もう一度』である。
イントロから山下達郎のコーラスではじまるこの曲は、
メロディ的にもサウンド的にもクオリティが実に高く、
あらためて竹内まりやの実力を世に示した。
もちろん、その陰には山下達郎の献身的なサポートがあったことを忘れてはいけない。

竹内まりやが語っていたのだが、
山下達郎は竹内まりやのレコーディングとなると、
自分のレコーディング以上に張り切ってがんばるらしい。
そんなエピソードからも、この夫婦の素敵な関係が読み取れる。

竹内まりやの曲のなかでは、この『もう一度』と
1992年にリリースされた『家に帰ろう』が僕のなかでは双璧である。
この
2曲は奇しくも、夫婦のすれ違い、
そしてその克服を唄ったポジティブソングである。

竹内まりやと山下達郎夫妻にそんな時期があったのかどうかは知らないが、
二人のおしどり夫婦ぶりからそんな気配は微塵も感じられない。

ミュージシャンである以上、
いつまでも素晴らしい作品をつくり続けるのは当たり前であるが、
竹内まりやと山下達郎夫妻については、
それ以上にいつまでも素敵な夫婦でいてほしいなと思う。


2007.03