高野寛「虹の都へ」

今日は5時に起きて、出社した。
誰もいない会社で、
今週木曜日のプレゼンで提出する
企画書をつくろうという寸法である。

僕は休日出社するときは、
絶対に早朝と決めている。
ただでさえ平均
11415時間近く会社にいる人間だ。
なけなしの休日までも、
1日の大半を会社で過ごすのはもったいない。
少しでも遊びに行きたい。
だから、早朝に出社して、
少しでも早く仕事を片付け、
遊びに行くのだ。

その仕事にかかる前に、
このブログを書いている。
そんな暇があったら、
さっさと仕事を済ましたほうがいいんじゃない、
というご指摘はごもっともであるが、
企画書づくりはかなり集中して行わなければいけない作業なので、
その前にブログを書いて
頭のウォーミングアップをしようとしているのである。

さっきから自分で編集したMDを聴きながら、
この文章を書いているのだが、
いま流れているのは高野寛の『虹の都へ』である。
1990年の冬、MIZUNOのスキーウェア
“ケルビンサーモ”の
CMソングとしてヒットした曲だ。

ジョージ・ハリソンをこよなく愛する僕は、
曲を聴いているなかで
「おっ、この人はジョージがきっと好きだろうな」
と思うアーティストと出くわすことがある。
高野寛もその1人である。

『虹の都へ』は1990年の冬を思い起こさせてくれるとともに、
僕のなかでは
2002年の冬も思い起こさせてくれる曲だ。

この年の
2月、僕は仲間たちと京都に行った。
京都といえば、都。
しかも季節は冬だ。
そんなキーワードをむりくりこじつけて、
この曲を京都旅行のマイ・テーマソングとした次第である。

このとき何しに京都へ行ったかというと、
湯豆腐を食べに行ったのである。
しかし、ただの京都グルメ旅行ではない。
桂三枝師匠が主催している“ゆどうふ食べくらべ大会”に招待され、
それに出場するために上洛したのである。

大会ルールはこうだ。
まず
10分間で4丁を食べる。
これが
1次予選。
予選を通過したものは
10分間の休憩のあと、
また
10分間で4丁食べる。
ここで
4丁たいらあげた者が決勝に進める。
決勝は
10分間で、何丁食べられるかで競う。

この間、出場者はトイレに行くことも、
水を飲むことも許されない。
ひたすら湯豆腐を口にしなければならないという、
いやはやなんともな大会なのである。

僕が出場したこのときの優勝者は、たしか18丁食べた。
なんと、その人は小柄な女性だったから驚きだ。

僕はといえば、2丁半しか食べられず、
1次予選で早々に敗退した。
この豆腐、まず
11丁がとにかくデカいのである。
それが、でっかい土鍋に
4丁入っているのである。
その威圧感たるや、ハンパではない。
まるで、豆腐が「どや!」といって
ファイティングポーズを取っているかのようである。

僕は、一口目の豆腐を飲み込む前から、
目の前の豆腐
4丁に飲み込まれてしまったのだ。
しかも、豆腐の食感が濃いのである。
スーパーで売っている絹ごし豆腐が
グリコのプッチンプリンぐらいの食感だとすると、
この大会で出された豆腐はケーキ屋さんで売っているような
濃厚なプリンの食感なのである。

ひと口食べるごとに胃は重くなり、ノドが乾いてくる。
最後のほうは食道がパサパサしたような感じになり、
僕は冷や汗を流しながら、湯豆腐を口に運んでいた。

基本的に僕は小食である。
仕事が忙しいときは、お昼抜きで真夜中まで仕事をしていても、
空腹感をおぼえることがない。
前にも書いたように、僕は食に対する興味があまりないのだ。

そんな僕が、なぜ三枝師匠の
“ゆどうふ食べくらべ大会”に出ることになったかというと、
三枝師匠が大の新撰組好きで、
その関係で招いてくださったのである。

湯豆腐大会の結果はさんざんであったが、
みんな僕に対してあたたかく接してくださり、
とても楽しいひとときであった。

大会が終わった後、
三枝師匠もまじえて関係者で宴会が行われた。
そこでも、湯豆腐をはじめ豪華な豆腐料理が出された。
まだ
2丁半の豆腐が胃の中でうごめいていた僕が、
せっかく用意していただいた豪華料理を
ひと口も食べられなかったことはいうまでもない。

本当にごめんなさいである。

湯豆腐自体は嫌いではない。
できれば今度はゆっくりと、
自分のペースで冬の京都で湯豆腐を味わいたいものだ。
そのときは、また高野寛の『虹の都へ』を聴きながら行こう。
うん、そうしよう。

またひとつ、人生の楽しいプランを思いついたところで、
さあ仕事だ
!! 
一生懸命働けば、昨日よりもっと楽しいことがいっぱい待っている。

「昨日よりもっと今日のほうがいい そして世界はまわってる」
・・・高野寛の『虹の都へ』の一節だ。


2007.01