高橋研「懐かしの4号線」


昨日に引き続き、映画“戦国自衛隊”のハナシを続ける。
この映画にちょっと気弱な自衛隊員として出演していたのが高橋研である。
高橋研といってもピンと来ない人もいるかもしれないが、
アルフィーの『メリーアン』の作詞や
中村あゆみのプロデューサーとして知られたミュージシャンである。


僕が高橋研を知ったのは、中学
1年の春休みである。
当時、人気絶頂を誇っていたアリスの
3人が
ニッポン放送で毎週土曜日の夜放送していた
“ニューミュージック・スペシャル”なる番組で、
高橋研のデビュー曲『懐かしの
4号線』が紹介されたのである。

カッコいい曲だなと思い、
さっそくこの曲のシングルレコードを買ってきた。
そして文字通り、すり切れるまで聴いた。

レコードジャケットで見た高橋研は、
レイバンのサングラスをしていた。
当時、彼にはこだわりがあったのだろう。
“戦国自衛隊”のなかでも、
なぜかサングラス姿であった。
しかも長髪。

普通、そんな自衛隊員はいないと思うのだが、
そもそもが自衛隊が戦国時代にタイムスリップし、
武田信玄軍と戦うという壮大な空想の世界なのである。
長髪にサングラスの自衛隊員がしたところで、
なーんの問題もない。

1980年代半ばの中村あゆみのプロデュース以降、
高橋研の仕事ぶりはほとんどノーチェックであった。
いまどうしているのだろうと思い、
インターネットで調べたところ、
現在もミュージシャンとして活動していた。

20051月には音楽活動25周年を記念して“二十五”なるライブを行い、
この模様は
CDDVDとなって発売されているという。
しかも収録曲を見たら『懐かしの
4号線』もしっかり演奏されているではないか!!

これほど熱く高橋研について語っているにもかかわらず、
高橋研の顔は『懐かしの
4号線』のレコジャケと
映画“戦国自衛隊”以外ではほとんど知らない。
でも、ホームページの画像を見たら
当時の面影はやはりある。

僕はホームページを次々とクリックしながら、
なんか古い友人に偶然再会したような懐かしさを覚えた。

高橋研は早稲田大学在学中に、
学生のなかからプロのミュージシャンを発掘する
プロデュース研究会を立ち上げた。
いわば学生ベンチャーのはしりである。
そして、その第
1弾アーティストとしてデビューしたのが、
高橋研本人である。

しかし、ビジネスとしての音楽に失望した彼は、
1981年を最後に音楽業界から一時足を洗った。
その
1年後にレコード会社の宣伝マンとして業界に戻り、
1983年『メリーアン』の作詞というかたちで
ミュージックシーンの第一線に戻ってきた。

高橋研は高橋研なりに、
ミュージシャンとしての理想と現実にもがき苦しみ、
挫折したり失望したりしながらも、
やはり己の生きる場所として
音楽の世界を捨てきれなかったのだと思う。

高橋研は1956227日生まれである。
ということは、佐野
(元春)くんや桑田佳祐と同い年である。

オトコ
51歳。
人生のメインストリートだけを
のうのうと歩いてきたのではなかろう高橋研の歌を聴いてみたい。
それもライブで。

そんな僕にグッドなタイミングで、
46日に初台THE Doorsでライブが行われるという。

しかし、
19:00開演なので残念ながら仕事で行けそうもない。

でも、いいのだ。高橋研のライブを見る機会は、
これからもいっぱいあるだろう。
その日を楽しみにしながら、僕は僕で今日もがんばるのだ。


2007.03