平浩二「バス・ストップ」


先日、とり上げたホリーズの代表曲に
『バス・ストップ』という曲があるが、
『バス・ストップ』と聞けば僕の場合、
ホリーズではなく平浩二を思い浮かべてしまう。

 バスを待つあいだに涙を拭くわ

 知ってる誰かに見られたら あなたが傷つく

 なにをとりあげても私が悪い

 過ちつぐなうその前に別れが来たのね

 どうぞ口を開かないで 甘い言葉聞かせないで

 ひとりで帰る道がとてもつらいわ

 バスを待つあいだに気持ちを変える

 こないだこの手の温もりを忘れるためにも

  (作詞・千家和也)


うーむ、なんとも大人な歌である。
この曲が発売されたのは、あさま山荘事件が起きた
1972年。
僕は小学
1年生であった。

以前、とり上げた『あなたまかせの夜だから』と違い、
この曲のレコードはわが家になかった。
が、テレビで何度か観ているうちに、この曲をすっかり憶えてしまった。

どうも僕は子どものころ、
ムード歌謡に惹かれる傾向があったのだ。
自慢ではないが、僕はこの時期に流行ったムード歌謡を
いまでもかなり唄える(笑)

そんな僕が『バス・ストップ』のシングル盤を買ったのは
20歳のときである。
中野の中古レコード屋さんで見つけたのだ。
値段は
500円ぐらいだったと思う。
中古シングル盤としては、
お世辞にもお買い得とはいえない金額であった。

が、僕は躊躇せず買ってしまった。
どうしても聴きたくなってしまったのだ、
平浩二の『バス・ストップ』をば。

この当時、僕は仕事で知り合った
インチキサンルームのセールスマンとよく遊んでいた。
この人はまだ
23歳だったのだが、会社では課長だった。
訪販の世界は売り上げがすべてである。
23歳の課長もいれば50歳を過ぎたヒラ社員もいた。
この課長は
1つの契約をとるたびに
10万円単位の歩合が入るので羽振りもよく、
中野の弥生町にある瀟洒なマンションに住んでいた。

そんな課長が一時期、
僕のオンボロアパートに居候していたことがある。
何ゆえかといえば、同棲していた女性と別れたからである。

ある日、この課長から突然、
一緒に住んでいた部屋には帰りたくないから
泊めてくれという連絡があった。
仕方がないなと思いつつ泊めてあげたのだが、
それからまさか数週間にもわたって泊まり続けるとは夢にも思わなかった。

しかし、この奇妙な共同生活は楽しかった。
僕には弟はいるが兄はなく、
この課長には兄はいても弟がいなかったのである。
お互いが人生では経験したことのない、
兄役・弟役での生活を体験することができたのだ。

この課長はこの数ヵ月後、
すぐに新たな女性と同棲をはじめた。
つくづく同棲が好きな人である
()
そして、インチキサンルームの訪販会社をやめて、
ちゃんとしたサラリーマンを
目指そうとした。

しかし、前の訪販会社の同僚に誘われて、
今度はインチキ外壁材の訪販会社に入った。
ここでも元課長はめきめきと頭角を現し、
よく電話で羽振りのいい話を聞かせてくれた。

僕の当時のお給料は、たしか手取りで12万円ぐらいだったと思う。
その額以上のお金を元課長は
契約をとれば
1日で稼いできてしまうのだ。

僕はお金はなかったが、夢だけはあり余るほどあった。
仕事も楽しくて楽しくて仕方がなかった。
元課長は僕と真逆だった。
別にケーベツはしていなかったが、
少しずつこの人とは人生の方向性が違うなと感じはじめていた。


そんなことから僕は元課長と連絡をとらなくなっていった。
以来、一度も会ってない。

僕が22歳のある日、
渋谷でこの元課長によく似た人を見かけたことがある。
真昼にスーツ姿で歩いていた。
もし、まだインチキ訪販の会社に勤めているとしたら、
こんな時間に渋谷を歩いているワケはない。

元課長は以前そう考えていたとおり、
普通のサラリーマンになったのだろうか?

それとも僕の見間違いだったのだろうか?
答えはわからない。

平浩二はいまも現役で唄っている。
きっと元課長も、元気にどこかで活躍しているだろう。
20代前半で地位と富を得る成功を収めたあと、
どんな
20代・30代を過ごし、いまどんな40代を送っているのか。
他人の人生とはいえ、少しだけ興味がある。

 

2007.07