舘ひろし「泣かないで」


いよいよ今日は僕が退職することを発表する日。
なのだが、どうも先週の金曜日の時点で、
一部には発表されてしまっているらしい。

金曜日の夜、後輩のスズキくんが怒ったような顔で
「コクブさんが『タカハシさん、辞めちゃうんですか?』といってきました。
あんなに悲しそうなコクブさんは見たことないっすよ」といってきた。


コクブさんは
430日の日記にも書いたように、
ずっと僕の隣で仕事をしていた。
去年の
6月にスズキくんが入社してきたとき、
コクブさんはスズキくんに対して
「タカハシさんの秘書のコクブです」と冗談でいった。
ら、愛すべきバカヤローのスズキくんはそれを真に受け、
入社後しばらくはコクブさんのことを本当に僕の秘書だと思っていたらしい。

コクブさんは、いつも笑顔を絶やさない子だ。
疲れている顔は何度か見たことがあるが、
悲しそうな顔というのは見たことがない。
スズキくんが見たコクブさんの悲しそうな顔とは、
どんな表情だったのだろうか?


そんなことを聞くと、やはり心が痛んでしまう。

コクブさんはアルバイトなのだが、
実によく気がきくし、よく働く。
そんなコクブさんだから、ついつい社員並みにというか
社員以上に働かされてしまうことが多々ある。
まだ新婚で、しかもダンナさんの帰宅は早いのだ。
残業しているコクブさんを見つけると僕はいつも
「早く帰んなよ」としつこくいっている。

去年のことだが、
コクブさんが営業部のチーフと呼ばれる人間の仕事で、
お昼ゴハンも食べずに仕事をしていたことがある。
この日、僕は打ち合わせのために外出したのだが、
午後
3時をまわってもお昼に行かないコクブさんに対して出かける前に
「ちゃんとお昼は食べてね」と声をかけた。
コクブさんは「はい、ありがとうございます」といつものような笑顔を見せた。

会社に帰ってきてからコクブさんに「ちゃんとゴハンを食べた?」と聞いたら、
食べてないと答えた。
「間に合わないんです」といって仕事を続けるコクブさんを見て、
僕は猛烈に腹が立ち、そのチーフを呼びつけて怒った。

その姿を見ていたデザイナーの1人は、
「あんなに怖いタカハシさんを見たのははじめてだった」と後日僕にいった。

去年の忘年会の席でコクブさんは僕に
「席は離れちゃいましたけど、
タカハシさんが会社にいてくれるというだけで安心感が全然違うんですよ」
といってくれた。
このとき、すでに僕は退社することを決めていたのだが、
その言葉はすごくうれしいものだった。
そして、いずれコクブさんにも
お別れを告げなければならないんだと改めて思ったものだ。

そして、そのときがやってきたのである。

僕が退職することを告げる以前から
「タカハシさんがいなきゃ、ウチの会社はダメですよ」と、
何人かの社員が異口同音にいってくれた。
それはそれでありがたいのだが、実際はそんなことはない。

エンケンこと遠藤賢司が『幾つになっても甘かネェ!』という曲で唄っているように
「俺のかわりなんていくらでもいるのさ」である。
余人をもってかえがたいなんてことはないのである。

先週の金曜日、一緒に飲んだクライアントのご担当者は、
僕が去年の秋から今年の
7月に退社することを決めていたことに対して
「よくモチベーションを保ってられましたね」といった。
それに対して僕は「クリエイターとしての意地ですよ」と笑って答えた。

実際そうなのである。
会社に対して見切りはつけたが、仕事で手を抜くわけにはいかない。
自分自身の誇りがかかっているからだ。

いまの会社で仕事をするのも、あと7週間となった。
舘ひろしの『泣かないで』ではないが、
どうか僕が辞める日がきても「オレのために泣かないで」である。

やれ鬼だ、悪魔だと恐れられる僕ではあるが
泣いている人を見ると、一青窈の歌のタイトルではないけれども
ついついもらい泣きしてしまうのだ。
それはちょっと恥ずかしい。
僕はさりげなく、辞めていきたい。

2007.05