スーパートランプ「ブレックファースト・イン・アメリカ」


昨日の朝、
後楽園駅の近くの公園にいる猫ちゃんたちにゴハンをあげてきた。
先週は不覚にも寝坊してしまって行けなかったのだが、
今週はちゃんと起きて、ジャージ姿も勇ましく
朝の春日通りをイソイソと歩いて出かけた次第である。

この公園にはいつもなら56匹の猫ちゃんたちがいるのだが、
昨日は
2匹しかいなかった。
うち
1匹は噴水のところで気持ち良さそうにひなたぼっこをしていた。
せっかくのひなたぼっこを邪魔するのもかわいそうなので、
僕は近くにゴハンを置き、その足で御茶ノ水方面へと向かった。

心地よい春の陽気のなか、聖橋から神田明神の前を通り、
さらに湯島天神から本郷三丁目に抜け、白山通りへと出た。

神田明神も湯島天神も本郷三丁目も特に目的があって足を向けたワケではないのだが、
白山通りには用事があった。

「自信の味!! 立喰そば」という看板のおそば屋さんが目当てだったのである。
しかもこのお店、ご丁寧にも看板には「是れはうまい」とも書かれている。
「自信の味
!!」ときて、「是れはうまい」である。
有無をいわさぬ力強い謳い文句ではないか
!!
コピーライターの僕もこの一文の前には脱帽である。

このおそば屋さん、前々からずっと気になってはいたのだが、
なかなか入るチャンスはなかった。
しかし、気になる。どうしても、気になる。
だが、なまじっか近所にあるだけに、
そのうち行けばいいやなんてついつい思ってしまう。
そして、そうこうしているうちにズルズルと時間だけが経ってしまい、
行くチャンスを永遠に逃してしまう。
人生はそういうものだ。それではいけない。

なので昨日、意を決してこのおそば屋さんで朝食を食べることにしたのだ。

僕がはじめて立喰いそばを食べたのは、
まだ小学校に入るか入らないかのときだった。
旅先の駅であまりにいい匂いがするので母親に食べさせてくれとお願いして、
食べさせてもらったのだ。
ビールケースを踏み台にしてもらって食べたあったかいおそばは、
それはそれはとても美味しかった。
おそばそのものよりも、お出汁がとても美味しかったのだ。
それはどっしりと腰のすわったお醤油の味がする、濃いめのお出汁であった。

これが僕の立喰そばの原体験となっている。
以来、この年齢になるまで何百杯、下手したら千杯単位で立喰そばを食べてきた。
立喰そば屋さんには時間がなくて、
急いでおそばをかき込むために立ち寄ったときもあったが、
その大半は時間がなくではなく、お金がなくであった。
200円台でどんぶり一杯のあったかいおそばが食べられるのである。
お金のない者にとって、これほどありがたいファーストフードはなかった。

しかし、味はといえば、ほとんどのお店のものはイマひとつであった。
もちろん立喰そばに、美味を求めるほうがナンセンスなのかもしれないが、
どうしても僕は子どもの頃に食べた
あのしっかりとした濃いお出汁の味が忘れられなかったのである。

そんな僕が、ここはうまい!!と思った立喰そば屋さんが新宿にあった。
ポルノ映画ばかり上映している新宿国際劇場の並びにそのお店はあった。
ここのお出汁はまさに僕が求めていた味だった。
このお店を僕に教えてくれたのは、学生時代の先輩である。
「あそこの出汁は味が濃くて、なかなかいけるぞ」という先輩のアドバイスを受け、
さっそく駆け込んだ次第である。
以来、僕は幾度となく、このお店に足を運んだ。
当時、僕がよく食べていたのはコロッケそばである。
たしか
270円だったと思う。
僕がコロッケそばを好んだのは、
かき揚げやお揚げよりも満腹感があったからである。
要するにコロッケそばがコストパフォーマンス的にいちばん優れていたのだ。

ある日のこと。
僕がいつものようにコロッケそばを食べようとこのお店に向かったところ、
シャッターが下りていた。
そしてシャッターには「改装の為、しばらく休業します」と張り紙がしてあった。
その後、今日こそは新装開店してるかなと楽しみに何度も出かけたのだが、
閉じられたシャッターが上がっていることはなかった。
そして、いつしかそこには違うものができていた。

先々週の土曜日、
佐野
(元春)くんのライブに行く前に、新宿に立ち寄った。
そして、かつて美味しい立喰そば屋さんがあった前を通った。
懐かしいもの、そしていまはもう失われてしまったもの
・・・僕はそんなことを考えながら、少し感傷的な気分でその前を通り過ぎた。

そこから新宿駅に向かった途中で、奇妙な曲を耳にした。
メガネチェーン店の店頭に置いてあったラジカセから流れてきた曲だった。
誰が唄っているのか知らないラップ調の曲に、
スーパートランプの
1979年の全米ナンバーワンヒット
『ブレックファースト・イン・アメリカ』がサンプリングされていたのである。

『ブレックファースト・イン・アメリカ』は僕が中2の頃、
日本でも大ヒットした。
たしか日立の
CMで使われていたと思う。
僕のサッカー部の仲間の
1人は、この曲をきっかけに洋楽を聴きはじめた。

この仲間は別の高校に進学したのだが、高校ではサッカー部に入らなかった。
1の秋、町でバッタリ会ったとき、そいつはバンドを組んでいるといって、
僕も知っている同級生数人の名前をバンド仲間として挙げた。
「よかったら、カツトシも一緒にやらねえか」と誘われたのだが、
僕はサッカーの部活が忙しかったのと、
押さえられないギターのコードがあまりにも多すぎたことがひっかかり、
その誘いを断った。
こうして僕がバンドマンになるチャンスは、その後訪れはしなかった。

スーパートランプの『ブレックファースト・イン・アメリカ』が流行っていた頃、
僕はサッカー選手か、ロックンローラーになることを夢見ていた。

あれから29年。
僕は恥骨炎のため草サッカーもやめた。
ギターの
Fコードは、いまだに押さえられる自信がない。
少しは世の中のことがわかってきたけれども、
相変わらず
40男にしては落ち着きがない。

僕は変わったんだろうか? 変わってないんだろうか?

いろんなことを考えながら、思わず足を止めて
懐かしい『ブレックファースト・イン・アメリカ』のメロディラインに聴き入った。

ところで昨日、食べたおそばの味だが、
まさに「看板に偽りなし」の美味であった。
濃い醤油味のお出汁は、まさに僕が探し求めていた味だった。
こんな近くに、こんな美味しい立喰そば屋さんがあったなんて
!
これは、村上春樹がいうところの
小確幸
(小さいけれど、確かな幸せ)といっても過言ではない!!

美味しい朝食を食べ、お腹も心も大満足になった僕は、
ウキウキした気分で『ブレックファースト・イン・アメリカ』のメロディラインを
アタマのなかで口笛を吹きつつ、
立花隆先生の事務所・通称猫ビルを横に見ながら、
伝通院へと続く坂道を軽やかにのぼった。

2008.04