杉並児童合唱団「ピンポパン体操」


ガチャピンの次に
僕が好きなぬいぐるみ系のキャラクターといえば、
“ママとあそぼう!ピンポンパン”のカータンである。
ガチャピンと違い、21世紀の今日
カータン関連のものはなかなか手に入れることが難しい。
以前は
20センチぐらいのカータンの人形を持っていたのだが、
なくなってしまった。

昨年、なにかカータン関連のものはないかと探していたところ、
オークションで見つけたのが実に
50センチ大のぬいぐるみである。
もちろん、僕が勇んで落札したのはいうまでもない。

“ママとあそぼう!ピンポンパン”は僕が小学校に入る前から放送していた。
いったいいつから放送していたのだろうと思って調べてみたら
1966年であった。

つまり僕が生まれた年に誕生した番組なのである。

僕が小学校に入ったばかりの頃、
授業の前にみんなでピンポンパンを観たことを憶えている。
そしてクラスみんなで『ピンポンパン体操』を躍るのだ。
ピンポンパンの放送開始を調べた際に、
この『ピンポンパン体操』の作詞が阿久悠さん、
作曲が小林亜星さんであることを知った。

この
2人の守備範囲の広さには、ホントに感服してしまう。
都はるみの『北の宿から』も、このコンビによる作詞作曲なのだ。

1999年、雑誌“文藝春秋”誌上で、
この両氏による「歌謡曲ベスト
100を選ぼう」と題した
戦後歌謡曲の名曲選を行ったのだが、
『北の宿から』とともに『ピンポパン体操』も選ばれている。
『ピンポンパン体操』に対する両氏の思い入れの深さが伝わってくるようだ。

同じく1999年、
カータンの声優を務めていた大竹宏氏について書かれた
“カータンのなみだ”
(山口真一著)という本が出版された。
僕はたまたま新宿の紀伊國屋で見つけたのだが、
喜び勇んで購入し、一気に読んだ。

驚いたのは、大竹宏氏がカータンの声優を務めていただけではなく、
実際にカータンのなかに入っていたということである。

この本によると、カータンのかぶりモノの内部にはマイクが内蔵されていて、
大竹氏はアテレコではなくリアルタイムでカータンの声を出していたというのだ。

またこの本では、カータンの生まれ故郷であるタカハタ山についても記されていた。
なんでも大竹氏が東京都日野市の高幡不動に住んでいたことから、
タカハタ山という設定になったという。
ほかにもカータンに関するエピソードが満載で、
僕のようなカータンファンには堪えられない一冊であった。

ピンポンパンの歌といえば、忘れられない想い出がある。
僕が小学校
1年生か2年生のときだったと思うが、
軽い言語障害と診断されたことがあった。
ある日、学校を早退して診察に行った際、
母がピンポンパンのレコードを買ってくれたのだ。

たしかレコードには『ピンポンパン体操』のほかに
『正調デベロン音頭』『おふろのかぞえうた』
『パジャママンのうた』という
3曲が入っていたと思う。

しつけに厳しく、普段はなにも買ってくれなかった母が
珍しく買ってくれたので憶えているのだ。
すごくうれしくて、何度も何度も聴いた。
ひょっとしたら、このレコードが、
僕が自分の意思ではじめて買った
(正しくは買ってもらったのだが)レコードかもしれない。

そういう意味でも杉並児童合唱団の唄った
『ピンポンパン体操』は、僕のルーツのひとつとなる
1曲である。

“ママとあそぼう!ピンポンパン”は、
素人の子どもたちも出演していて
番組のラストには好きなおもちゃがプレゼントされていた。
それが羨ましくてうらやましくて、
僕もピンポンパンに出たいと思ったものだ。

ホント、あの頃は欲しいおもちゃがたくさんあったのだ。

 

2007.03