ローリング・ストーンズ「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」

今日は、これも僕の年中行事のひとつとしている、
浅草の今戸神社詣でに行ってきた。
新撰組の沖田総司終焉の地として知られる神社だが、
これについては諸説あり、真偽のほどはわからない。
ほかにも今戸神社は縁結びの神様や、
招き猫発祥の地としても知られている。

僕の年中行事は、新撰組にまつわる場所でのことが多い。
大晦日に除夜の鐘を毎年撞きに行く伝通院は、
新撰組の前身・浪士隊結成の地である。
この伝通院へは、わが家から徒歩
5分。
なので、機会があるごとによくお詣りに出かける。

また、この
3日にも行った増上寺は浄土宗の本山ということもあるが、
ここには新撰組が警護した徳川十四代将軍の家茂公とその奥方・和宮様のお墓がある。
そして、今戸神社は前述のとおりである。


元旦のブログにも登場した中村敦夫さんは大の新撰組好きで、
土方歳三を題材にした映画をつくろうとしたことがある。
残念ながら、この作品は敦夫さんの手による脚本は完成したものの、
諸般の事情で映像化するまではいたらなかった。
敦夫さんの土方歳三に対する思いは相当なもので、
土方歳三を演じられなかったことが俳優人生のなかで、
大きな悔いとして残っているという。

そんな話を敦夫さんとしながら、
もし僕が新撰組を題材に映像をつくるとしたらと、
などと勝手に思いをめぐらせたことがある。
オープニングは、どしゃ降りのなか、
新撰組隊士が不逞浪士どもを斬りまくっているシーンである。
そして、このシーンにかぶさる音楽とくれば
ローリング・ストーンズの『ジャンピン・ジャック・フラッシュ』であろう。
自画自賛ではあるが、
これは絶対にカッコいいシーンになること間違いない。
新撰組には、やはりロックが似合う。

武士道を生きる指針とし、
日ごろからサムライ魂を説いている僕が、
昨日「タカハシさん、それでも武士ですか?」と後輩からいわれてしまった。

何故か?
原因はトドカレーである。

年末年始に北海道に行ってきた社員が
“いやげモノ”として買ってきたトドカレーを、
僕が食べたがらなかったからである。
それでも武士かといわれたら、食べるしかあるまい。
僕は意を決して食べた。
ら、やっぱりおいしくなかった。

僕は基本的に、食べるものにはほとんど興味がない。
好きな食べ物は?と問われたら、
胸を張って「大根おろし」と答える人間なのだ。
だから珍味の類は、まず食べない。
そんなことで冒険しようとは思わないのだ。

ほかにもトドの大和煮とえぞ鹿の大和煮を食べた。
えぞ鹿は生姜が効いていてまだ食べやすかったが、
トドはやはりダメだった。
僕の武士道も、トドには完敗である。

昨年、ストーンズが来日したとき、
僕は行こうとも思わなかった。
正直いって僕のなかではストーンズは終わっている。

それは、いまから
78年前のある日の休日のこと。
僕はストーンズの“ヴードゥー・ラウンジツアー”
(1995)
“ブリッジズ・トゥ・バビロンツアー”
(1998)のライブ映像をたて続けに見た。
ら、“ホンキー・トンク・ウィメン”の間奏のなかで
キースがキーボードに乗り、足先でキーボードを叩くシーンが、
同じタイミングで、同じように行われていることを発見したのだ。
つまり、ストーンズはもはやライブバンドではなく、
歌舞伎のような伝統芸能なのだ。
ステージでくり広げられているのはロックンロールショーではなく、
ロックンロールのスタイルをとった舞台なのだと思ったら、
急にストーンズに対する熱が冷めてしまった。

ミック・ジャガーが同じようなことをやるならまだしも、
キースまでがそんなことをしているのかと思ったら、
とても悲しくなってしまったのだ。

もちろん、そのキースのふるまいはまったくの偶然であり、
僕が指摘するようなことが真相ではないかもしれない。
しかし、僕は以前のようにストーンズを熱く語ることはできない。
それは事実だ。


武士は食わねど高楊枝といったものだが、
ストーンズはそれとは真逆の、
金のにおいしかしないバンドのような気がしてならない。
己の信じる道を愚直なまでにまっすぐ進み通した
新撰組のような気組みがまったく感じられない。

ミック・ジャガーがこのブログを読むことなど、
万に一つもあり得ない話ではあるが、
悔しかったら僕にもう一度
「さすがはストーンズ
!!」とうならせるような活動をしてほしい。
なんやかんや文句を並べてはいるが、
そんなうれしいサプライズを心待ちにしているのである。


2007.01