スターリン「虫」


初体験。
この
3文字に、10代のころどれだけ夢を膨らませ、
ついでに股間も膨らませたことだろう。
初体験、嗚呼、初体験、初体験ってなものである。

そんな10代が過ぎ、そのうち20代が過ぎ、さらには30代も過ぎ、
40代まっただ中の僕が昨日、42歳にして初体験をしてきた。
それは、それは実に気持ちのいい体験であった。

今回の初体験を骨の髄から楽しみ、大成功へと導くため僕は
一昨日の土曜日、昼間っからいろいろと計画を練っていた。
ナニをどうして、コレをこうしてとワクワクしながらアタマのなかで
ありとあらゆることを考えていたのである。

日曜日、つまり昨日。

あ〜よく寝たと思って目が覚めたら、
まだ夜明け前の
3時ぐらいだった。
我ながら極端な人間である。
さすがにまだ起きるのは早いかなと自分自身に苦笑いしつつ、
僕は再び眠りについた。

次に目が覚めたときはカーテン越しに朝日が差し込んでいた。
朝が来たのである。
待ちに待った初体験当日の朝が来たのである。
僕はベッドから文字通りはね起きた。
時計を見たら、まだ朝の
5時半だった。

土曜日もそうだったが、
先週は天候がいまひとつの日々が多かった。
先週の日曜日も雨だった。

が、昨日は違った。
曇り空や雨が多かった先週を吹き飛ばすような、
待ちに待った快晴、待ちに待ったよく晴れた日曜日なのである。
もはや寝てなどはいられない。
僕はソソクサと身支度をし、
人も車もまばらな日曜早朝の春日通りへ踊るように飛び出した。

まず伝通院に行ってお詣りをした。
お詣りを終え、本堂の階段から空を見上げたら
心が洗われるような青空が広がっていた。
それだけでもう、いい
1日になりそうな予感がした。

その後、後楽園駅の近くにある公園に行ったら、
猫ちゃん
1匹とかわいい小猫ちゃん2匹がいた。
この公園の猫ちゃんたちにはよくゴハンをあげているのだが、
子猫ちゃんを見たのは初めてであった。
僕は「な〜んもしまへん♪」
(by広川太一郎さん)と猫ちゃんたちを安心させつつ、
逃げられないように細心の注意を払いながら近づき写真を撮った。

その後、武道館まで往復し、帰宅した。
8時半ぐらいだった。

汗だくになったジャージを脱ぎ、僕は着替えた。
もちろんパンツもはき替えた。
なんてったって、これから初体験なのである。

そして10時半、僕は再び出かけた。
まず後楽園の
WINSへと向かった。
ご存知、
JRAのマスコットキャラクター、ターフィーくんに会うためである。
実は先週の日曜日も雨のなかターフィーくんに会いに行ったのだが、
残念ながら会えなかった。
どうやらターフィーくんは雨の日は出てきてくれないのである。

ところがどっこい!昨日は快晴である。
期待通りターフィーくんは、僕の前に現れてくれた。
愛嬌をふりまくターフィーくんとしばし戯れたあと、
今度は京王線に乗るべく新宿へと向かった。

新宿から京王線に乗り、向かった先は東京競馬場である。
そうなのである。
75回日本ダービーを観戦しに行ったのである。

僕はもともとギャンブルに対して関心が低かったこともあり、
競馬自体も詳しくなかったし、ほとんど興味もなかった。
しかし、ターフィーくんをきっかけに僕は後楽園の
WINSに通うことになり、
なんとなしに競馬中継も観るようになり、
馬券も
100円単位というセコい金額ながら買うようになった。
少なくとも僕個人に限っていえば、
JRAのターフィーくんというキャラクター戦略は大成功といえる。

そしてついには「生」で日本ダービーを観戦しようとまで思わせ、
僕を府中へと向かわせたのである。

そう、これが僕の42歳にしての初体験なのである。

前述のように僕は競馬には詳しくはない。
ので、競馬新聞を買い綿密にデータを分析して馬券を買うことはしない、
というかできない。
馬券を買う際、僕が基準とするのは己の直感である。

今回の日本ダービーの下馬評では1番の馬が圧倒的とのことだった。
さらにこの馬に騎乗する四位
(しい)騎手は、
ダービー連覇がかかっているという。
が、ダービー連覇というのはかなり難しいことらしく、
朝日新聞の記事によれば過去
74回の歴史のなかでも6人しかいないとのことだった。

ナニを隠そう、僕は先週行われたオークスでも馬券を的中させている。
1,300円の投資で3,170円をゲットしたのだ。
この日本ダービーは、
いってみれば僕も
G1レースの連覇がかかっているのである。
僕は慎重に考えた結果、
1番の馬は外すことにした。
74回の歴史で6人ほどしか達成してない偉業なら、
四位騎手の連覇はないだろうと結論づけたのである。

そして僕は5頭の馬をピックアップした。
2番・3番・7番・10番・17番の馬である。
枠でいえば
1枠・2枠・4枠・5枠・8枠である。
僕はこの
5つの枠を全部の組み合わせで買うことにした。
10通りの組み合わせで100円ずつ、合計1,000円である。

しかし、これだけではどうもつまらないと考え、
馬番でピックアップした
5頭の複勝も買うことにした。
これでプラス
500円。
合計
1,500円の投資で、僕は第75回日本ダービーに臨んだ。

僕が今回、日本ダービーを観戦しようと思ったのは、
レースもさることながら
日本タービーという格式ある一大イベントの雰囲気を味わいたかったからである。
10万人以上の観客が詰めかけ、レース前には国歌斉唱があり、
ファンファーレの生演奏がある。
競馬ファンにいわせれば、
数多い競馬のビッグレースのなかでもダービーというのはやはり特別なレースらしい。
いってみれば
F1のモナコグランプリや
インディカーレースにおけるインディ
500のようなものである。
僕は、その空気に触れたかったのだ。

東京競馬場に着いたのは12時を少しまわったころであった。
僕は
4コーナーとゴールの中間地点に陣取り、
ジリジリと照りつける太陽の下で日本ダービー初体験のそのときを待った。
正面の向こう側にはターフィーくんの姿かたちをした、
子どもたちがなかに入って遊ぶでっかい風船が見えた。

そして、いよいよ出走馬たちが入場し、
日本を代表するソプラノ歌手・中丸
三千繪さんによる国歌斉唱が行われた。
僕は君が代という歌に対して、
賛成・反対も含めて政治的な思い入れは一切ないのだが、
やはりこういう場で聴く国歌というのは特別な響きがある。
僕は神妙な気持ちで、中丸さんの歌声に聴き入った。

滞りなくスタート前のセレモニーが終了し、
スターターが位置についた。
府中の空にファンファーレが鳴り響き、
10万人を超える大観衆はその音色に手拍子で応えた。

そのスタート前の様子はいままでテレビで観て知ってはいたが、
やはり「生」は違う。
僕は、今日ここに出かけてきてよかったと心から思った。

スタート位置は4コーナーを回ったちょっと先あたりだったので、
僕のところからはスタートの様子がよく見えた。
ぐるりと東京競馬場のコースを
1周し、
18頭の選ばれし競走馬たちは再びスタート地点に戻ってきた。
ドドドドドッというベースかドラムのバスドラの音にも似た競走馬たちの足音がすごい。
さらにその音をかき消すかのような観衆の悲鳴・怒号入り交じりの大歓声。
それは、まさに僕がこれまでの人生で体験したことのない類いの轟音であった。

前から後ろから、上から下から、右から左から聞こえてくる
さまざまな轟音をカラダ全体で感じながら、
うーむ、やっぱり「生」は違うなと、
あらためて僕はこの初体験の瞬間に浸った。

レースは下馬評通り1番の馬が優勝し、
僕がピックアップしていた
7番の馬が2位、
そして
3番の馬が3位になった。
幸いにして
2番の馬を押さえていたおかげで、
僕は
1-4の枠連を的中させ、さらには37の複勝も当てることができた。
競馬は外れたが、勝負には勝った。
配当金は合わせて
2,500円であった。

僕は差し引き1,000円の儲けで、
さっそくレース前はずっとガマンしていた生ビールを買い、
美酒に酔いしれた。
まさに初体験直後の至福の一杯であった。

大満足して東京競馬場をあとにした僕は、その足で次に下北沢へと向かった。
下北沢のとあるライブハウスで、
エンケンこと遠藤賢司率いるエンケン
&アイラブユーと、
元スターリンの遠藤ミチロウ率いる
M.J.Qのジョイントライブが行われるので、
それに向かった次第である。

昨年55日の日記の最後に僕はこう書いた。
遠藤ミチロウのステージを、いつかは観に行こう。
できればエンケンと
W遠藤で夢のジョイントをやってくれないかな。」

その夢がついになかったのである。
しかもエンケンは今回はバンドを率いての登場だ。
絶対にすごいライブになるに違いないと、
僕は股間は膨らませないまでも、大いに期待を膨らませて下北沢へと向かった。

会場に着いたのは、開場時間5分前の555分ぐらいだった。
入口へと続く階段に並びながら開場を待っていたら、
なんと会場のなかから遠藤ミチロウご本人が出てきた。
遠藤ミチロウはもちろん
10代のころから知っているが、
「生」で遠藤ミチロウを見るのはこの瞬間がはじめてだった。

「あっ、ミチロウだ」とドギマギする僕。
次の瞬間、ミチロウと目が合ってしまった。
「どうしよう」とさらに慌てる僕。
次の瞬間、僕は思わず軽く会釈をした。
ら、ミチロウもおだやかな笑顔を浮かべ、会釈を返してくれた。
僕がスターリン時代に抱いていたイメージとは正反対の遠藤ミチロウが目の前にいた。

数分後、ミチロウが戻ってきた。
手にはコンビニの袋が下げられていた。
透けて見えたコンビニの袋のなかには、
ランチパックという商品名でおなじみのパンが入っていた。
あの遠藤ミチロウが自らライブ前にコンビニで買い物をしているのである。
しかも、ランチパックをば。
僕はあらためて、遠藤ミチロウという人を長らく誤解していたことを深く恥じた。

ライブはまずエンケン&アイラブユーの演奏ではじまった。

エンケンは3つのバンドをもっている。
1つは元頭脳警察のトシと、
元子供ばんどの湯川トーベンとのユニット「エンケンバンド」。
そして
2つめはフラワーカンパニーズのグレートマエカワと竹安堅一が参加している
「エンケン
&カレーライス」。
そして
3つめが、今回の「エンケン&アイラブユー」である。

エンケン
&アイラブユーは、
ベースが曽我部恵一
BANDなどでおなじみの大塚謙一郎、
ドラムが元くるりの森“大左ェ門”信行である。
この
2人をメンバーにしたユニットがはじめてライブを行ったのは、
一昨年の
1123日。
奇しくも僕がこのブログを書きはじめるキッカケとなった
法政大学でのライブである。
そんなこともあり、僕はこの
3人のユニットに思い入れが深い。
さらにエンケン
&アイラブユーの演奏を聴くのは、
去年の
7月以来のことである。
だから余計に楽しみにしていたのだが、
昨日の演奏はその期待をまったく裏切らない、
轟音ビリビリのライブであった。

ライブの途中でエンケンはたまに公園を走っているときのことに触れ、
こんな
MCを披露した。
「途中で疲れて走るのをやめようかと思うと、
目の前に女性が走っていて、これがまたいいケツしてるんだよね
()
で、オレもまたがんばろうって思うんだ」

こんな話で会場を沸かせたあと、エンケンはこう言葉を続けた。
「でも、オトコって、みんなそうだよね」

そんなエンケンに対し僕は「異議なし!!」とばかり、
ちょっと静まり返った会場いっぱいに響きわたるように盛大な拍手を贈った。

アンコールでエンケンは名曲『夢よ叫べ』を1人で歌い上げたあと、
いつものように歌舞伎のような大見得を切りながらステージをあとにした。
僕もいつものように「よっ、日本一!!」と声をかけ、エンケンを見送った。

そして、いよいよ遠藤ミチロウ率いるM.J.Qが登場した。
ドアーズの『ジ・エンド』が会場いっぱいに響きわたるなか、
ミチロウは目元にスターリン時代と同じようなメイクを施し登場した。
そして、スターリン時代の『虫』という曲を、まず演奏した。

M.J.Qはミチロウを含む2台のアコースティックギターとドラムという3人編成である。
しかし、その演奏の凄まじさといったら、
とてもアコースティックギターで奏でているものとは思えないような、
これまたまさに轟音の嵐・雨霰・大洪水であった。
演奏のところどころでどことなく、
日本最初のロックバンドといわれる伝説のジャックスを彷彿とさせる部分もあり、
僕はいっぺんで遠藤ミチロウがいま奏でている音楽が好きになった。

こんなことならもっと早く、
ちゃんと遠藤ミチロウの音楽を聴いておけばよかったと思ったが、
きっと僕が遠藤ミチロウの音楽を、
そして遠藤ミチロウというアーティストを理解するまでに、
これだけの年月が必要だったということなのだろう。

ミチロウは開口一番「遠藤兄弟の弟です」といい
2人合わせて118歳です」と続けて会場を沸かせた。
僕は遠藤ミチロウはもう少し若いと思っていたのでビックリした。
エンケンが今年
61歳だから、ミチロウは57歳ということになる。
昨日のミチロウの
MCによると、2人合わせて100歳になったとき、
その記念としてエンケンとミチロウは「みちのく二人旅」をしたという。
そして来年は
2人合わせて120歳なので、
記念にまた何かをしたいというようなことを語っていた。
「みちのく二人旅再び」もいいが、
ぜひまた
2人合わせて120歳を記念してのジョイントライブを行ってほしいものだと、
僕は訥々と語るミチロウの
MCに耳を傾けながら、
エンケンとミチロウの
2009年に思いを馳せた。

ライブのラストはエンケンも参加し、『ワルシャワの幻想』という曲を演奏した。
この曲でエンケンは素晴らしいハーモニカの演奏を披露してくれたのだが、
僕が大いにウケたのはステージに登場する際、
エンケンが警報機付きの拡声器を手にして現れたことである。
スターリン時代、遠藤ミチロウがよくやっていたパフォーマンスである。

結局、ライブが終わったのは10時半近くであった。
東京競馬場ではほとんど立ちっぱなしで、
さらにこのライブでも立ちっぱなしだったため、
さすがに
42歳の肉体は疲労を感じずにはいられなかったが、
それは十分満足したあとの気持ちのいい疲労感であった。

日本ダービー初体験、遠藤ミチロウのライブ初体験。
初体験づくしの長い
1日だった。
そりゃそうである。
僕は朝の
5時半から起きていたのだ。

早く帰ってとにかくゆっくりお風呂に入ろうと思い、
会場の出入口のところに来たら、目の前に大塚謙一郎氏がいた。
僕は素通りするのも失礼かと思い、
「大塚さん、素晴らしい演奏でした。また期待しています」と声をかけた。
すると大塚氏は「ありがとうございます」とうれしそうな笑顔を見せて、
僕に手を差し出した。
僕も笑顔で、それに応えた。

大塚氏と言葉を交わしたのは、これが初めてであった。

200861日、日曜日。
日本ダービー観戦と遠藤ミチロウのライブという
2つの初体験をした僕に、
こんなうれしい初体験のおまけがついた。
こんな予期せぬことがあるから、人生は楽しい。

つくづく、いい6月のはじまりを予感させる、いい1日だった。


2008.06