ブルース・スプリングスティーン「ボーン・トゥ・ラン」

僕がレイモンド・カーヴァーという作家を知ったのは、
1985年のことである。
当時、僕は安田成美のファンだった。
で、彼女の特集が載っている
Bombという雑誌を買って読んでいたところ、
最近読んだ本でおもしろかったものとして挙げていたのが
レイモンド・カーヴァーの“僕が電話をかけている場所”である。


「一冊、同じ本読んでいれば、会話することができると思うの。」
と書いたのは、僕が尊敬するコピーライターの仲畑貴志さんであるが、
僕もそれと同じような心境でレイモンド・カーヴァーに興味をもった。
加えて、タイトルがいい。
きっといい本に違いないと確信して、さっそく新宿の紀伊國屋へと向かった。

目指すその本は、すぐに見つかった。
カバーを見て驚いた。
村上春樹の翻訳だったからだ。
僕は“風の歌を聴け”の初版本をもっていたぐらいの、
村上春樹フリークだったのである。

これはもう、絶対にいい本に間違いない。
僕はそそくさとレジに向かい、お金を払った。

そして、その日のうちに一気に読んだ。
富も名声も得ていないアメリカのいち生活者たち。
その日常のワンシーンをスパッと切り取り、
深い洞察力と緻密な表現力で描き出されたカーヴァーの世界は、
“ダンスしないか?”という最初の
1話を読み終えただけで僕を夢中にさせた。

ドラマティックな展開があるわけでもなく、
感動的なエンディングを迎えるわけでもない。
しかし、妙に心に残る短編小説が
8話収められていた。

これはまるで、ブルース・スプリングスティーンの歌のような小説だ。
僕は、一読した後、そんなことを感じた。

The Boss”ブルース・スプリングスティーンの歌に登場する人たちも、
ごくごく普通のアメリカ人たちである。

“サンディ”や“ウェンディ”“ボビー”といった
街のありふれた人たちの日常を描写しながら、
スプリングスティーンはアメリカのリアルな姿を歌い続けてきた。

僕とってスプリングスティーンは、まさにアメリカそのものだった。

エルヴィス以来、半世紀にわたるロックンロール音楽の歴史のなかで、
もっとも代表的なロックンロールナンバーを挙げろといわれたら

僕は迷わずスプリングスティーンの『ボーン・トゥ・ラン』を推す


希望も絶望も、恋する気持ちも反逆心も、
この曲にはロックンロール音楽のすべてがつまっていると思う。

僕は少年の頃から、
気合いを入れたいときはこの曲を聴くようにしている。

『ボーン・トゥ・ラン』について、大好きなエピソードがある。

佐野(元春)くん

NHK-FMサウンドストリート”でDJをやっていたときに
話してくれたものだ。

それは佐野くんが、まだ広告代理店に勤務していたときのこと。
取材でアメリカに行っていた佐野くんがある朝、
ラジオをつけたところ流れてきたのが『ボーン・トゥ・ラン』
だった。
曲が終わり、
DJはこういったという。
「まだ、起きてないヤツがいるようだね。
じゃあ、そんなヤツらのために、もう
1曲“Born To Run”」


話はこれで終わらない。
2回目の曲が終わった後、DJはさらにこう続けたという。

「だいぶ、みんな目が覚めたようだね。
でも、実はオレ自身がまだ起きてないんだ。
そんなオレのために、もう一回かけさせてくれ。
ブルース・スプリングスティーン“
Born To Run”」


僕はこの話を聞いて、
スプリングスティーンがいかにアメリカの人たちに愛されているか、
少しだけわかったような気がした。

アルバム“Born In The U.S.A.”の大ヒット、
そしてワールドツアーの大成功のあと、
スプリングスティーンは過去の音源を集大成した
5枚組のライブアルバムを発表した。

しかし、当時の僕はお金がなくて買えなかった。
そのアルバムをつい先日、近所の中古レコード屋さんで購入した。
そして、真っ先に『ボーン・トゥ・ラン』
を聴いた。

このアルバムを買うまで20年もかかってしまった。
でも、それはそれでいいと思っている。
スプリングスティーンの歌う『ボーン・トゥ・ラン』
には、
年齢制限も賞味期限もない。
いくつになって聴こうが、いつ聴こうが関係ないのだ。
仮に
20年前に買っていたとしても、絶対にいまも聴いていると思う。


そして聴くたびに、
10代の少年の頃のように気持ちを高ぶらすのだ。
それはこれからもきっと変わらないだろう。


2006.12