シング・ライク・トーキング「スピリット・オブ・ラブ」


読者よ! 友よ!! なんの脈略もなく、
何年も聴いていなかった曲が
突然アタマのなかで鳴り出すという経験はないだろうか
?

僕はある。
先週の土曜日の夜、それがきた。
シング・ライク・トーキングの『スピリット・オブ・ラブ』という曲である。

この曲をはじめて聴いたのは、いまからちょうど13年前。
武豊と佐野量子の結婚披露宴の
TV中継にてである。
なぜ僕がそのとき、この披露宴中継を観ていたのかはさっぱり憶えていない。
当時は競馬にはまったく興味がなかったし、
もちろん佐野量子の大ファンだったワケでもない。
のに、なぜか僕はたしかにこの中継を観ていた。

披露宴で宮沢りえがスピーチをしていたときのこと。
宮沢りえが「ここでお二人に歌のプレゼントをしたいと思います」といった。
宮沢りえが小室哲哉作曲によるデビュー曲
『ドリームラッシュ』でも唄おうというのか
?
んな、まさか!?と思いながらTV画面を見ていたら
披露宴会場内にあった幕がスルスルと開いた。
用意されていたピアノの前には
シング・ライク・トーキングの佐藤竹善が座っていた。

そして唄い出したのが、この『スピリット・オブ・ラブ』なのである。
すごくいい曲だなとは思ったが、
CDを買って聴くほど夢中にはならなかった。
以来
13年。
半ば忘れかけていた曲だった。

のに突然、この曲がアタマのなかで鳴り出して止まらなくなったのである。

翌日の日曜日は、牝馬による競馬のG1レース「エリザベス女王杯」だった。
僕はこれは天の啓示だと思った。
武豊にとって、きっと一生忘れられないであろう
この『スピリット・オブ・ラブ』がアタマのなかで鳴り出したということは、
明日は武豊がやってくれるに違いないと確信した。

僕は武豊が騎乗する3枠のポルトフィーノの馬券を買うことにし、
日曜日の朝を待った。

日曜日は朝から雨が降ったり止んだりの肌寒い天気だった。
僕はうーむ、これはどうしたものかと空を見上げて思案していた。
エリザベス女王杯が開催される京都競馬場の馬場状態を心配していたワケではない。
東京の空を心配していたのだ。

なぜなら、この日は東京国際女子マラソンが開催されるからであった。

東京国際女子マラソンは今年の第30回大会をもってその歴史に幕を下ろす。
最後の東京国際女子マラソン、
東京で最後のマラソン女王を決めるレースなのである。
僕が行かずにはスタートの号砲も鳴るまいてと勝手に思い込んで、
国立競技場に行こうとしていたのである。

天気予報では午後からの降水確率は40%だった。
僕はこれなら天気はなんとか大丈夫だろうと思いつつも、
寒ガリータ対策としてダウン地のグラウンドコートを着込み、
手袋とフリース地の膝かけをカバンのなかにひそませ家を出た。

国立競技場に向かう途中で例によって後楽園のWINSに寄った。
馬券を買う用事もあったが、目当てはもちろんターフィーくんだ。
東京国際女子マラソンとはいえ、ターフィーくんは忘れてはいけない。
我ながら忙しいオトコである。

エリザベス女王杯の馬券を買ったあと入口付近の行列に加わった。
G1レース開催日に行われるガチャガチャ式の三連単おみくじを引くためである。
この三連単おみくじで大吉が出ると景品として
JRAグッズがもらえるのだが、
僕は一度も大吉を当てたことがなかった。

それが一昨日はついに出たのだ! 大吉が!! 
僕は
JRAグッズをもらい
「こいつぁ朝から縁起がいい♪今日のエリザベス女王杯もいただきだ☆
ワッショイ、ワッショイ」とホクホク顔で国立競技場へと向かった。
天気が不安定だったためターフィーくんは残念ながら現れてはくれなかったが、
ターフィーくんにはまた来週も
G1レースがあるから会えるしと
ノーテンキに前向きな気持ちで総武線に乗り込み、千駄ヶ谷で降りた。

こしゃこしゃと急ぎ足で国立競技場のゲート前に着いたとき、
見覚えのある方がマラソンのコースマップを配っていた。
毎年、僕が箱根駅伝を観戦する御成門の前にいつもいる係員の方だった。
きっと日本陸連の関係者の方なのだろう。
この方は僕のことなどまったく知らないだろうが、
僕はこの方を勝手に知っている。
思わぬ再会
(!?)を喜びながら、
僕は再びこしゃこしゃと正面スタンドへと向かった。

三連単おみくじの大吉効果もあって、
ラッキーなことにスタート地点正面に席を確保できた。
満足顔を浮かべながらさっそく持参したきた膝掛けをカバンのなかから取り出し、
スタートのときを待った。

そして迎えたスタート時間の1210分。
スターターは第
1回・第2回大会の優勝者のジョイス・スミスさんだった。
まさに
30回記念大会にふさわしい演出である。
レースも
30回記念大会にふさわしい素晴らしい内容になることを願いつつ、
国立競技場を出て行く選手たちを拍手で見送った。

国立競技場に集まった観客のなかには
選手たちがスタートしていくと今度は沿道に応援に出かける人がかなりいるのだが、
僕はずっと国立競技場で選手たちが帰ってくるのを待った。
レースの模様は競技場内の大型ビジョンに映し出されていたので退屈することはなかった。

レースは東京のマラソンコース名物、市ヶ谷の坂で大きく動いた。
スタートからトップを快走していた三井住友海上の渋井陽子選手が
途中
4位を走っていた第一生命の尾崎好美選手に抜かれたのだ。
ビジョンに映し出された渋井選手と尾崎選手の姿は明らかにスピードが違っていた。
競馬でいえば、まさに「差した」という見事な走りでの逆転劇であった。
このとき国立競技場内では歓声と悲鳴が入り交じった大きなどよめきが起きた。

尾崎選手が国立競技場に帰ってくる少し前、
競技場内のトラックに黄色と黒のジャージを着た小柄な女性が姿を現した。
僕はすぐにその女性が、第一生命の監督である山下佐知子さんであることがわかった。

山下さんは1991年に東京で行われた
世界陸上の女子マラソンで見事銀メダルに輝いている。
このとき
4位だったのが有森裕子さんである。

山下さんは翌年のバルセロナオリンピックにも出場した。
このときの山下さんを僕は鮮明に憶えている。
バルセロナで山下さんは
4位だった。
ゴール後のインタビューで山下さんは自分のことより
「私の前を有森さんが走っていたと思うんですけど」と有森さんを気にし、
有森さんが銀メダルだったことを知ると、まるで自分のことのように喜んだ。
僕はこの山下さんの姿に深い感銘を受けたのだ。
そして、その山下さんの気遣いというか心配りに対し、
すごく素敵な女性だなと思った。

山下さんについてそんな想い出があるだけに
尾崎選手の優勝を喜ぶ山下さんの姿を見て、また心が熱くなった。

38キロ地点までトップを快走していたのに
結果は
4位に終わってしまった渋井選手はレース後の表彰式で涙を見せ、
3位のマーラ・ヤマウチ選手に慰められていた。

勝った者、負けた者。悲喜こもごものレースではあったが、
まさに
30回記念大会にふさわしい、
そして
30年の歴史に幕を下ろすレースにふさわしい名勝負を見させてもらった。

よく走り終え発汗した競走馬はいいようもなく光り輝いて美しいというが、
42.195キロを走り終えた女性たちの姿もみな輝きに満ち美しかった。
別に僕が青天井で底なしの女好きだから
どのランナーも美しいと感じたワケではないことを
ここで断っておかねばならないが
()
とにかく美しく素晴らしい女性たちの姿を
いっぱい見させてもらったという感じである。
それはなにも今回に限らず毎回、
東京国際女子マラソンのゴールを見届けるたびに感じてきたことだ。
本当に今回で終わってしまうことが惜しまれる。

今大会のゴールで特に印象的だったのが松田千枝さんのゴールである。
1回大会にも出場した松田さんは今回、27回目の出場だった。
最多出場を誇る、まさに東京国際女子マラソンの代名詞ともいえる選手である。
そうした松田さんの実績に敬意を表したのであろう。
今回参加した市民ランナーのなかで唯一の招待選手として松田さんはレースに出場した。

トップの尾崎選手がゴールしてから1時間以上経過したころ、
松田さんが国立競技場に戻ってきた。
松田さんは、すべての人に感謝するように大きく手を振りながら笑顔でトラックを
1周し、そして笑顔のままゴールした。
ゴール地点には先にゴールをしていた娘さんの玲さんが松田さんを待っていた。
そして
2人で抱き合い、手を取り合った。

女性同士、母と娘、マラソンランナーとしての先輩と後輩、
そして同じレースを走った仲間・・・松田さんのゴールは
そんな玲さんとのさまざまな関係を凝縮した美しい光景であった。

最後のランナーのゴールを見届け、僕は帰路についた。
時刻はすでに
4時近くだった。

帰宅したあと三連単おみくじの大吉景品であるJRAグッズの入った袋を開けてみた。
なかには
JRAのロゴが入ったパスケースと、
先日の秋の天皇賞を制したウオッカと
2006年の有馬記念を制した
ディープインパクトの名前が入ったコースター、
そして必勝祈願と書かれた紙が同封されているオッズカードが入っていた。

僕はさっそくこの必勝祈願のオッズカードを、
我が家の全長
60センチの超特大
「第
50回記念有馬記念ターフィーくん」の頭に飾ってあげた。
このオッズカードは今年の有馬記念が終わるまでこのまま飾っておくつもりである。

マラソンの女王を観たあとは牝馬の女王だとばかりに、
僕はパソコンを立ち上げエリザベス女王杯の結果を見ようとした。
ら、武豊がスタート直後に落馬したというニュースが出ていた。

驚いてYouTubeで探してみたら、
早くもそのレースの映像がアップされていた。

ゲートが開いた次の瞬間、
武豊が騎乗したポルトフィーノは前につんのめり、
武豊は馬の右肩あたりから地面に叩き落とされた。
スタート直後の混乱のなかである。
映像で見る限り一歩間違えば頭を蹴られて選手生命どころか
生命にすら関わる大事故になってもおかしくない落馬だったと思う。
幸いにして打撲程度で済んだとのことだが、
武豊もヒヤリとしたことだろう。

結局、レースはポルトフィーノがカラ馬のまま1着で入線したが、
もちろんこれは失格。
1着は8枠のリトルアマポーラで、
僕のエリザベス女王杯は
2着のカワカミプリンセスの複勝のみが的中、
配当はわずかに
110円というトホホトホホな結果に終わった。

果たしてシング・ライク・トーキングの
『スピリット・オブ・ラブ』は天の啓示だったのだろうか
?
そして三連単おみくじの大吉は?

きっと大吉のご利益も『スピリット・オブ・ラブ』の天の啓示も、
その一部が僕のもとから武豊に移っていって
武豊を大事故から守ってくれたのだと思いたい。

馬券は外れ、ターフィーくんには会えなかったが、
東京国際女子マラソンは最初から最後まで観戦できた。
念願だった大吉も当てた。それで
OKなのだ。


2008.11