シド・ヴィシャス「マイ・ウェイ


2005
年、オリコンが
ビートルズのカバー曲のランキングを発表したことがある。
これはカバー曲の多い順にランクづけしたもので、
1位は『イエスタデイ』、以下『ヘイ・ジュード』『エリナー・リグビー』
『レット・イット・ビー』『ミッシェル』がトップ
5にランクされた。

お気づきの方も多いと思うが、すべてポールによる曲である。
他のメンバーの曲はどうしたと思ったら、
6位にジョージ・ハリソンの『サムシング』がランクインしていた。
ジョージを愛する1人として、心から安心した次第である。

『サムシング』はフランク・シナトラもカバーしているが、
シナトラはこの『サムシング』を聴いたとき
「いいねぇ〜♪レノン=マッカートニーの最高傑作だ」と語ったというのは有名な話だ。
またマイケル・ジャクソンもジョージ本人を前にビートルズの話をしていたとき、
「えっ? 『サムシング』はあなたが作ったのですか
??」といったという。

まったく、どいつもこいつもである。

フランク・シナトラといえばやはり『マイ・ウェイ』である。
この『マイ・ウェイ』を大胆にもパンク調でカバーしたのが、
セックス・ピストルズのシド・ヴィシャスである。

シド・ヴィシャスはもともとピストルズのファンで、
ヴォーカルのジョニー・ロットンの友人でもあったことから
ピストルズの初代ベーシスト、グレン・マトロックの後釜としてベーシストに収まった。

グレン・マトロックはピストルズのなかで
唯一作曲ができる才能豊かなミュージシャンだったのだが、
ポール・マッカートニーが好きだという理由でクビになったという、
実にピストルズらしいエピソードが語り継がれている。

音楽的な才能に恵まれていたグレン・マトロックとは正反対に、
シド・ヴィシャスはピストルズ加入当初まったくベースが弾けなかったという。
その後もシドのベースは演奏ツールというより、
客との喧嘩道具として多く使用された。

そのまさにパンキーな生き方は、
God of Punks”としていまなお多くの人々から支持されているが、
実際のシドは気弱で貧弱な青年であったという。
いわばシド・ヴィシャスは精一杯気張って
シド・ヴィシャスを演じていたワケである。

1986年に公開された映画“シド・アンド・ナンシー”は、
シド・ヴィシャスとその恋人ナンシー・スパンゲンとの
狂気的で破滅的ながらも純粋な愛を描いた映画である。
人間シド・ヴィシャスをよく理解できる傑作だ。

シド・ヴィシャスは197922日に亡くなった。享年21歳。
シド・ヴィシャスは
1957年の510日生まれだから
生きていればちょうど
50歳である。

フランク・シナトラは
1998514日、
心臓発作のため
82歳で天寿を全うした。
マフィアとの関わりをはじめ
さまざまな黒い噂に包まれたシナトラの生涯に比べると、
シド・ヴィシャスのそのあまりにも短い人生は清々しさすら感じる。

シナトラは、シド・ヴィシャスの唄う『マイ・ウェイ』を
聴いたことがあったのだろうか?

そしてもし聴いていたとしたら、
いったいどんな感想を漏らしていたのだろうか?


2007.05