SHOW-YA「ピース・オブ・マインド」


いやあ、めでたい、めでたい♪ 
ナニがそんなにめでたいかというと
F1である。
キミ・ライコネンが、
ついに悲願のワールドチャンピオンに輝いたのである。
しかも、チャンピオン争いでリードされていたマクラーレンの
2人、
“驚異の新人”ルイス・ハミルトンと
2年連続チャンプ”フェルナンド・アロンソを大逆転しての年間王者である。
僕は、そうなることを信じて、昨日の深夜
F1中継を観ていた。

モータースポーツファンであれば1986年のF1のチャンピオン争いと、
今回のチャンピオン争いをオーバーラップさせた人も多いと思う。
1986年のF1のワールドチャンピオン争いも、最終戦までもつれた。

チャンピオン争いでトップを走っていたのは、
ウイリアムズ・ホンダのナイジェル・マンセル。
初のワールドチャンピオンがかかっていた。
年間
2番手を走っていたのは、
マンセルと同チームのネルソン・ピケ。
ピケは
3度目のチャンピオンを狙っていた。

読者よ! 友よ!!
この状況からして、すでに今年のチャンピオン争いと瓜二つである。
新人にして初のワールドチャンピオンを目指すハミルトン。
それを追う
2年連続王者のアロンソ。
ともに同じチームながら、シーズン途中からは確執を噂された。
マンセルとピケも、そんな話は当時ゴマンとあった。

ハナシを1986年に戻そう。
マンセルとピケを追っていたのが、
マクラーレンのアラン・プロスト。
マンセルとは
7ポイント差で最終戦を迎えた。
奇しくもハミルトンとライコネンのポイント差も
7
再び読者よ
! 友よ!!
この偶然を諸君はどう見る?

“赤い皇帝”ミヒャエル・シューマッハの引退により今シーズン、
マクラーレンからフェラーリ
(余談だが、かつて日本ではフェラーリを
「フェラーリ」ではなく「フェラリ」と呼んでいた。
なんとなく、エッチな響きである←三たび読者よ
! 友よ!! スマヌ)
に移籍したライコネンに対し、
僕は開幕前から「今年こそ、ライコネンにチャンピオンになってほしい」と
願い続けてきた。
そうなのである。僕は、ライコネンを応援していたのだ。

では、1986年のときは?
僕は大のアラン・プロストファンであったのである。

応援するドライバーがトップと7ポイント差、そして最終戦。
きっと僕はこのような結末になるだろうと予想していた。
ハミルトンは絶対にトラブる。
アロンソはライコネンに勝てない。
そしてライコネンが優勝し、チャンピオンになると。

1986年の最終戦・オーストラリアGPで、
マンセルはストレートでタイヤがバーストし、リタイヤした。
ピケは
2位だった。
優勝したのはプロストである。
そして、プロストが
2年連続のチャンピオンになった。
当時は、まだフジテレビが中継を行っていなかったので、
僕はその映像をリアルタイムで観ることはできなかったが、
「プロスト逆転チャンプ」のニュースを知り、
狂喜乱舞したことを憶えている。

今年、ルイス・ハミルトンの活躍は、たしかに素晴らしかった。
しかし、
F1のワールドチャンピオンになるというのは、
そんなに簡単なことではない。
事実、マンセルが初のワールドチャンピオンに輝くまで、
1986年の悲運から6年の歳月を要している。

1992年、マンセルがワールドチャンピオンになったころ、
フジテレビの
F1中継ではドライバーごとに優勝のテーマソングがあった。
マンセルが優勝したときに流されていたのが、
SHOW-YAの『ピース・オブ・マインド』である。

「荒法師」との異名をとったマンセルの激しいドライビングスタイルと、
この「ピース・オブ・マインド」という言葉の
なんともいえないミスマッチ感が僕は好きだった。

なにはともあれ、
キミ・ライコネンの初のワールドチャンピオンはめでたい、めでたい。
バンザイ、バンザイである。

ところでキミ・ライコネンという名前は、
発音のバリエーションが楽しめる。
「君、らいこねん
?」という疑問型から
「君、らいこねん
!!」という関西弁風まで、
さまざまな呼び方ができる。

読者よ
! 友よ!! さあ、声に出して呼んでくれたまえ()


2007.10