白浜久「6月の雨」


僕が
20歳前後の頃、
よく聴いた曲に白浜久の『
6月の雨』がある。


6
月の雨のように長く悩ませ続ける

 正体がわからないままに追い詰められてゆく」(作詞・白浜久)
という唄いだしではじまるこの曲は、
若者の妊娠・中絶を唄った歌である。

白浜久はめんたいビートバンドの1つ、ザ・モッズを脱退後、
少年少女のセラピストのような仕事をしていたという。
正しくはどうか知らないが、
この『
6月の雨』はそんな経験から生まれた曲のような気がする。

 
 夏が終わり
20万の命に気づくころ

 無責任な子どもたちはオレじゃないというさ

 ()

 暑い夜に狂わせた思いが覚めてゆく

 麻酔が切れ目が覚めても悪夢は続くだろう


なかなかヘビーな歌である。
僕は妊娠・中絶の是非について、とやかく論じるつもりはない。
当事者には当事者なりに、それぞれ事情があるのだ。
それを他人がとやかくいうもんじゃないと思う。

そんな僕ではあるが、
高校
2年生のときに妊娠騒動に巻き込まれたことがある。
といっても、僕が妊娠させたわけではない。

僕が通っていた高校のすぐそばにあった女子高で、
ある生徒の妊娠騒ぎがあったのだ。
そして相手はどうも、
僕の通っている高校にいるらしいという噂が広まった。

このとき僕は登校を禁じられていた。
悪さをして停学になっていたわけではない。
流行性角結膜炎、いわゆる流行り目というものに感染してしまい、
完治するまでドクターストップがかかっていたのだ。

僕がそんなことになっているとは知らぬ学校の先輩・後輩・同級生たちは、
この騒動の勃発と時を同じくして登校していない僕が
この妊娠騒動の当事者と思ってしまったのだ。

僕はそんなことは知らずに、毎日せっせと通院し、快復に努めた。

そして、医者からようやく登校を許されたのは、夏休みの前日だった。

登校するなり僕は校内放送で、
校長先生よりも権力があるという
僕らの高校の
OBでもある数学教師に呼び出された。
休んでいる間、
数学のミニテストを受けられずにいたので、その追試の件であった。

しかし、この校内放送が決定打となり、
僕は一躍「疑惑の人」となった。

会う人、会う人が「おまえ大丈夫か?」とか
「大変だったな」と声をかけてきた。
僕は笑顔で「もう大丈夫
!!」と返事をした。
この時点でまだ僕は、
まさか自分が妊娠騒動の渦中にいるなどとは知らなかったのである。

僕がすべてを知ったのは、
サッカー部の先輩との話のなかでである。

僕が隣の女子高生を妊娠させ、停学になり、
登校と同時に数学教師に呼び出され説教を受けた。
みんなのなかでは、こういうストーリーだった。

僕はやっきになって否定した。
しかし、信じる者もいれば、信じない者もいた。

挙げ句の果てには、
女子高の生徒にまで「あの人らしいよ」などと後ろ指を指される始末だった。

結局、この妊娠騒動は想像妊娠ということで一件落着したという。
だいたいその女子生徒が誰なのかも僕は知らないのだ。
目も合わせていないのに、
いったいどうやって妊娠させることができるというのだ。
しかし、一部の者たちからの僕に対する疑惑の目は晴れることはなかった。

後年、高校の同級生の結婚式があり、この騒動の話題となった。
そのとき聞いた話によると、
野球部連中のあいだではその後もずっと僕が騒動の張本人だと思われているという。

ここまでくると、もはや冤罪である。

いまもきっと僕のことを
「ああ高校のとき、想像妊娠させたヤツね」と思っている人たちがいるだろう。

そんな連中へ、ひとこと。
オレはヤッてない
!!


2007.06