上々颱風 「愛よりも青い海」

僕が沖縄にはじめて行ったのは1991年の6月。
プライベートではなく、仕事がらみであった。
この年の
JALの沖縄キャンペーンソングが、
上々颱風の『愛よりも青い海』である。


上々颱風を知ったのは、雑誌“ロッキング・オン”に
松村雄策氏が書いた原稿を通してである。
音を聴く前に文字情報で知ったわけだが、
松村氏が絶賛するバンドであれば、まずハズレはないだろうと思い、
僕の“お気に入りリスト”にさっそく加えた。

で、実際聴いてみたら、まさに“大当たり”であった。
聴いているうちに自然とココロもカラダも踊りだす、
極上のダンスミュージックであったのだ。

これまで上々颱風は
11枚のオリジナルアルバム(ライヴ盤などを除く)を発表しているが、
そのなかで
1枚を選べといわれたら、
僕は前述の『愛よりも青い海』も収録されている
セカンドアルバムに
1票を投じる。

『愛よりも青い海』はもちろん、
独自の歌詞と独特のアレンジでつくりあげた
ビートルズの大胆なカバー『
Let It Be』や、
メロディラインの美しさに思わず涙してしまった『菜の花畑でつかまえて』など、
いまだに時折聴きたくなってしまう佳作揃いのアルバムなのだ。

1991年の沖縄初体験の後、僕は2度ほど沖縄に遊びに行く機会に恵まれた。
美しい沖縄の海原を横に見ながら国道
58号線上を移動するときのBGMは、
もちろん『愛よりも青い海』であった。
リピートしまくりで、これでもかこれでもかというほど聴いた。
いまでもこの曲を聴くと、そのときの情景がくっきりと思い出され、
そのときの多幸感が鮮やかによみがえってくる。

最後に沖縄に行ったのは1999年のことだから、
もう
7年間行っていないことになる。

その沖縄から今年の夏、僕を訪ねて上京してきた学生がいた。
Yくんである。

Y
くんは、僕が勤務する会社の求人広告を見て、
どうしてもわが社に入社したくなり、僕にメールを送ってきたのだ。
わが社は設立
6年目の若い会社で、新卒者を採用したことがない。
なので、一応代表に聞いてみたところ、
もし面接してみてよさそうであれば採用してもよいとのことだった。
その旨を
Yくんに伝えたところ、彼は大喜びで、
ものの数週間のうちにわざわざ沖縄から面接にやってきた。
しかも、スーツケースを持ったままで
!!

僕はYくんの行動力がうらやましかった。
彼ならきっといい広告屋になるだろうと思い、
即座に内定を出し、
Yくんは翌日喜んで沖縄に帰っていった。

沖縄に帰る前に、再びわが社に立ち寄ったYくんに
「入社前に一度、家庭訪問して
Yくんのご両親にご挨拶しないとね」といったら、
Yくんは大きな目を輝かせながら「ぜひ来てくださいよ」といった。
残念ながら、その約束はまだ果たせていない。

「夜が明けたなら行こう 遠くまで遠くまで
 人はみな青い海の向こうからやってきた」
(作詞紅龍)

沖縄どころか、
行きたいライブにすら行けないような毎日を送っている僕ではあるが、
せめてスピリットだけはボヘミアンのように
「いつだって、どこにでもいけるさ」と思っていたい。


2006.11