セックス・ピストルズ「アナーキー・イン・ザ・UK」


昨日は増上寺にお墓参りに行ってきた。
ちょうど、浄土宗の開祖・法然上人のご生誕を祝う
降誕会がとり行われており、
お墓参りを済ませたあと、
僕も本堂のなかでその法要を見学させていただいた。

本堂のなかには全国から集まった檀家さんにまじって、
外国人観光客の姿もあった。
ある外国人などは、まさに身じろぎもせず
真剣な表情で厳粛な雰囲気のなか執り行われている法要に見入っていた。

その一方で、すごく気になったのは、
写真をパシャパシャ撮っている人たちである。
人を押しのけ好き勝手に移動し、
フラッシュをガンガン焚いて熱心に撮影していた。

こういう人ははっきり言って、迷惑である。

僕が思うに、こういった厳粛な式典は、
その場の空気を感じることが大切なのであって、
写真なんていうのは二の次三の次でいいと思う。
記録したければ、自分の心のなかに記録すればいいのだ。
百歩譲って写真を撮るとしても、
絶対にまわりの人の迷惑にならないように
心配りをしなければならないと思う。

人の迷惑をかえりみず、
己の心だけで写真を撮り続ける檀家の人々の姿を横目にしながら、
この国は本当に大丈夫なのだろうかと思った。

こんな人たちばかりになるのだったら、
とある都知事候補が主張するように、
こんな国はとっとと滅ぼしてしまったほうがいいと、
デストロイな気持ちになった。

法然上人は「南無阿弥陀仏」と唱えれば、
身分などにかかわらず誰でも極楽浄土にいけると説いた。

ロックンロール音楽にたとえれば、
演奏テクニックの上手い下手なんて関係なく
誰でもバンドを組んでいいといっているようなものである。

だから僕のなかでは、
法然上人というのは仏教界のゴッド・オブ・パンクスなのである。

1960年代の後半から70年代の半ばにかけて、
ロックはどんどんテクニックが高度化してきた。
プログレッシブ・ロックなどは、その最たるものである。

上手にギターが弾けるとか、
サウンドを綿密に構成できるとか、
音楽に対してアカデミックな知識があるとか、
そんな条件ナシにはバンドを組んじゃいけないという雰囲気が漂っていたなか、
突如としてイギリスに出現したのがセックス・ピストルズである。

ピストルズは、マルコム・マクラレンが経営していた
ロンドンのブティック“
SEX”に出入りしていた
スティーヴ・ジョーンズ、ポール・クック、ジョニー・ロットン、
そして“
SEX”の店員だったグレン・マトロックの4人で結成された、
いわばド素人バンドである。

テクニックや音楽理論などをすっ飛ばした
ストレートでシンプルなピストルズの音楽は、
たちまちイギリスはもとより世界中の若者を熱狂させた。

僕の敬愛するポール・ウェラーもピストルズのライブを観て、
自分もバンドを結成しようと思ったという。

ピストルズの『アナーキー・イン・ザ・UK』を聴いて、
僕はアナーキーという言葉を知った。
僕が小学
6年生のときだった。
そのときはアナーキーという言葉の意味することが
さっぱりわからなかったが、いまではよくわかる。

僕のなかでアナーキーとは、
無政府というよりも無秩序といったほうがピンとくる。

昨日、増上寺の本堂のなかで写真を撮りまくっていた人たちが、
アナーキーなんて言葉を知っているのか知らないのかはわからないが、
少なくても秩序を乱す人はアナーキストだと思う。

僕はボヘミアンではあるが、アナーキストではない。
少なくてもボヘミアンは、
自分の好きなことをやりたいようにやっても、
決して他人に迷惑をかけるようなことはしないのだ。


2007.04