佐藤隆「コスモポリタン」


今日525日は敬愛するアメリカの作家
レイモンド・カーヴァーの誕生日である。
レイモンド・カーヴァーは
1939年生まれなので、
生きていれば
68歳である。

カーヴァーが亡くなったのは
198882日のことで、
そのあまりにも早すぎる死を悼んだものだ。

僕がカーヴァーに出会ったのは1985年、
19歳のときであった。


日本におけるレイモンド・カーヴァーの認知度を高めたのは、
作家の村上春樹氏の功績によるところが大きい。
彼の翻訳によってカーヴァーの小説が日本に紹介され、
そして多くのファンを生んだことは間違いない。
村上春樹訳の本だからという理由で、
カーヴァーの本に興味をもったという人も多いと思う。

日本におけるレイモンド・カーヴァーの最初の本
“ぼくが電話をかけている場所”が中央公論社から出版されたのが
1983年、
そして大傑作“ささやかだけど、役にたつこと”が出版されたのが
カーヴァーが亡くなった翌年の
1989年。

そんなことからレイモンド・カーヴァーという作家は、
年齢こそ僕よりかなり上ではあるが、
なんとなく「僕らの時代の作家」というイメージが強い。
それだけにカーヴァーに対する思い入れも深い。
たまにふと読み返したくなるのだ。
なので今、僕のカバンの中には、
いつでも時間が空いたときに読めるよう
“大聖堂”という作品の新書版が入っている。

没後もカーヴァーの作品は日本で出版され続け、
いまなおその作品の多くが語り継がれている。
僕はそうした作家の素晴らしい作品に割りと早くから触れられたことを、
実に幸運だったと思っている。

“僕が電話をかけている場所”といえば、
僕は
1987年の614日の朝を想い出す。
連日モータースポーツネタで恐縮なのだが、
この日はル・マン
24時間レースが行われており、
前日の夜からテレビ朝日で生中継していた。
当時、大好きだった松本恵二というドライバーが出場していたこともあり、
僕は午後
11時の放送開始と同時に熱心に観ていた。

のだが、途中で寝てしまった。
そして僕は電話の音で目が覚めた。
つけっぱなしのテレビのブラウン管には
ル・マン
24時間レースの模様が映し出されていた。
時刻は朝の
4時半ぐらいだった。

こんな時間に電話?と訝りながら、僕は受話器を取った。
電話の主はまったく知らない女性であった。
ヒロコという名のその子は、群馬県の沼田市に住んでいるといった。
僕は一度も行ったことがない。
どうして僕を知っているのか?と聞いたが、
彼女はその質問には答えなかった。

そのかわり、いろいろな話をした。
その日は
2時間ぐらい話をして電話を切った。
彼女はこれから軽井沢に遊びに行くといっていた。

受話器を置いたあと、
僕はなんだかさっきまでの電話が
現実のこととは思えなかったことを憶えている。

1週間後、その子からまた電話があった。
僕らはまた
1時間ぐらい話をした。

そして、彼女から定期的に電話がかかってくるようになった。
相変わらずその子がどうして僕のことを知っているのかは教えてもらえずじまいだったが、
僕にとってはもうそんなことはどうでもよくなっていた。
僕は、その子のことを好きになっていたのである。

彼女から電話番号を教えてもらい、
僕からも電話するようになった。
それはたしかに群馬県の市外局番だった。

一度も会ったことのない女性を好きになる。
それは不思議な感覚だった。
でも、僕は彼女と電話で話すのが、なにより楽しかった。

一度、電話のなかで佐藤隆の『コスモポリタン』という曲の話になった。
彼女と僕は同い年で、音楽の好みも似ていた。
電話をしながら、彼女は『コスモポリタン』をかけた。
受話器越しに佐藤隆の聞き覚えのある歌声とメロディが聞こえてきた。
『コスモポリタン』を聴きながら
「なんだか一緒にいて、聴いているみたい」と彼女は
受話器越しに親密な声で語りかけてきた。
僕も同感だった。

結局、僕らは一度も逢うことなく連絡をとらなくなった。
連絡をとらなくなった理由は、
彼女がつい最近中絶をしたという話を聞いたからだ。
僕がバーチャルな恋愛をしている間に、
彼女は彼女でリアルな恋愛を僕の知らない誰かとしていたのだ。

僕をどういうキッカケで知ったのかは、
ついにわからずじまいだった。

彼女は、いまいったいどうしているのか?とたまに思うときがある。
しかし、彼女の電話番号も忘れてしまった。
僕から連絡をとることはできないし、
彼女から連絡があるとは考えられない。
謎は永遠に謎のままなのである。

いま想い出しても、不思議な体験だった。
この話を何人かの友人に話したら、
それは小説にしたほうがいいと異口同音にいった。

事実は小説より奇なりというが、
まさに奇妙この上ない僕の実話を、
レイモンド・カーヴァーならどう書くか?

レイモンド・カーヴァーの誕生日の今日、そんなことを思った。


2007.05