佐野元春「ガラスのジェネレーション」

“リスペクト清志郎”が開催された翌週の311日、
同じ日本武道館で行われたのが佐野元春の
20th Anniversary Tour”のファイナル公演である。

佐野元春(以下「佐野くん」)というアーティストは、
僕の人生にもっとも影響を与えた人である。
僕がコピーライターという職業を志した大きな理由のひとつに、
佐野くんがかつてコピーライターをしていたということがある。


佐野くんが
1980年、『アンジェリーナ』でデビューしたとき、
僕は中学生。
以来、僕はずっと佐野くんの音楽を友として生きてきた。
佐野くんの言葉、
1つひとつを宝物のようにして生きてきた。

僕がコピーライターになろうと思ったのは、
高校
2年生のときである。
そのとき、僕はひとつの目標を立てた。
佐野くんのように、
誰かの人生の宝物となるような言葉を書ける人間になろう、と。
この目標は、いまだに実現できた実感はない。
なので、これは僕の人生の永遠の目標である。

20th Anniversary Tour”武道館公演の
オープニングで演奏されたのは『ガラスのジェネレーション』であった。
まさに僕らの世代の僕らの歌である。
この曲で歌われた「つまらない大人にはないたくない」というフレーズは、
僕の人生の生き方を決定づけたといっても過言ではない。

この『ガラスのジェネレーション』という曲。
ポップなメロディラインとは裏腹に、
たくさんの怒りがこめられたプロテストソングと僕は理解している。
「ガラスのジェネレーション さよならレボリューション」の
“レボリューション”とは、
佐野くんたちの前の世代、いわゆる全共闘世代を指し、
「見せかけの恋ならいらない」の“恋”は“議論”のことだと思っている。

つまりこの歌は、
僕のなかでは全共闘世代への佐野くんからの決別宣言ととれるのだ。


僕は、昔学生運動で暴れていたと自慢たらしく語る大人が大嫌いである。
大好きな原田芳雄さんが主演した“”我に撃つ用意あり”という映画にも、
そんなシーンが入っていることからこの映画だけは
1回だけしか観ていない。


いまから
56年前、
僕と友人がとある酒場のカウンターで政治的な話をしていたら、
口をはさんできたヤツがいた。
全共闘世代の、まさに僕が大嫌いなタイプのヤツだった。

話を聞いているうちにムカついてきた僕は、
猛烈に議論をふっかけた。

そして、最後には論破してやった。

誤解を恐れずにいえば、全共闘世代の学生運動なんて、
僕らの世代のタケノコ族やローラー族となんら変わらないのである。
「あの頃は、あんなことをやっていたね」ぐらいの話でしかないのである。
学生運動をやっていたぐらいで、
自分より下の世代を見下すヤツが許せないのである。

きっと佐野くんも、
全共闘世代に対して怒りと苛立ちを覚えていたのだと思う。
「君はどうにも変わらない 悲しいけれど」の“君”とは、
“社会”そのものを指しているように聴こえる。

そして最後に導き出した結論が、
「つまらない大人にはなりたくない」だったのではないだろうか?

佐野くんがデビュー20周年を記念して発表した曲が、
『イノセント』という曲である。


「ありがとうと君にいえるのがうれしい
 本当のことは誰もいわないけれど
 ひとつだけ気づいていてほしい
 君が好きさ 君を愛してる
 君がいなければこの世界は
 そう何の意味もないだろう」
(作詞佐野元春)

40代半ばにして、
こんな思春期の少年のように無垢な言葉を書ける佐野くんは、
さすがだなとあらためて思った。

今年、佐野くんは50代となり、僕は40代となった。

50代になっても60代になっても佐野くんには、
もっともっと素敵な作品をいっぱいつくってほしい。
そして、いつも僕を触発し続けてほしいものだ。

2007年の元旦、佐野くんは幕張メッセで行われる
COUNTDOWN JAPAN”のステージに立つ。
もちろん僕も行く。

元旦に元春。
うーん、実にいい一年になりそうな予感がする。


2006.12