サミュエル・ホイ「半斤八両


声優の広川太一郎さんが
33日にガンで亡くなったと知ったのは昨日の朝である。
ショックでショックで、なんとも声が出なかった。

広川太一郎さんといえば、
多くの人たちが映画“
Mr.BOO!”のマイケル・ホイの吹き替えを
想い出さずにはいられないのではないだろうか
?
かくいう僕もその1人である。

僕がこの映画をはじめて観たのは、中学1年生の夏休みである。
ある日、地元の市民会館で
ブルース・リーの“死亡遊戯”と
2本立てで“Mr.BOO”が上映されたのである。
いまはこういう上映会があるのかどうか知らないが、
僕が少年のころはよく市民会館でこういう映画の上映会や
フィルムコンサートが催されたものだ。

この上映会に僕は友人数人と出かけたのだが、
お目当ては“
Mr.BOO!”ではなく“死亡遊戯”であった。
いまのナウ
なヤング諸君はわからないだろうが、
僕らが少年時代、ブルース・リーはまさにヒーローのなかのヒーローであった。
僕も友だちとオモチャのヌンチャクを振り回しながら、
よくブルース・リーごっこをやったものである。

“死亡遊戯”はブルース・リーがクライマックスシーンだけを撮影した後、
急逝したため長いこと未完となっていた伝説の映画であった。
その映画をついに観ることができるということで、
その日は勇んで会場に向かったことを憶えている。

上映会ではまず“Mr.BOO!”が上映された。
そこそこに面白い作品ではあったが、
こちとら目的はブルース・リーである。
“死亡遊戯”である。
正直いって“
Mr.BOO!”の上映中、
何度も早く終わらないかなと思った。

そんな僕が“Mr.BOO!”のDVDセットを買うほどまで
この映画に入れ込むようになったのは、
広川太一郎さんの吹き替え抜きには語れない。
とにかく広川太一郎さんの吹き替えによって、
この映画の面白みが何倍も何十倍も増したことは間違いないと断言できる。

以前、たしか
NHKBSで“Mr.BOO!”が字幕入りで放映されたことがあった。
もちろん広川さんのナレーションはナシである。
これがどうにもこうにもイマイチ面白くないのである。
あらためて、やっぱり“
Mr.BOO!”は
広川さんの吹き替えがないとつまらないなということを実感させられた。

Mr.BOO!”の主題歌『半斤八両』を唄っているのは、
このシリーズでもおなじみのサミュエル・ホイである。
世間的には“
Mr.BOO!”に出ている
マイケル、リッキー、そしてサミュエルでホイ
3兄弟といわれているが、
実はホイ兄弟は
5人兄弟だという。
マイケルが長男で、いつもトボケた役柄のリッキーが三男、
サミュエルは四男なのだそうだ。
次男はスタンリーといって製作やマネージメントを担当していたという。

とはいえ“
Mr.BOO!”にはこの次男もこっそりと出演している。
マイケルとサミュエルが尾行のため忍び込んだ
ウォーターベッド完備のラブホテルの店員役といえば、
きっとコアなファンはうなずくに違いない。
逆にまったく知らない人には、なんのこっちゃの文章でスマヌ。
許してたぼれ。

Mr.BOO!”の主題歌『半斤八両』は軽快なメロディラインの歌なのだが、
歌詞は実に辛辣だ。

 俺たちは貧しい労働者 金のために働く奴隷

 あまりに惨めで心が沈んでしまうよ

 この世は生き地獄 幸せとは縁がない

 生きるだけで大変だ

 努力すれば成果があるなんて

 こんな不景気じゃそんなの夢物語だ クソったれ

  (映画の字幕より)

とまあ、こんな感じの歌で歌詞だけ見ればまるでパンクである。

この映画がつくられた1976(ただし日本での公開は1978)は、
まさに世界中でパンクムーブメントが巻き起こった年である。
このサミュエル・ホイの『
半斤八両』を
香港パンクというフィルターをかけて聴いてみると、
当時の香港の世相が見てとれるようで興味深い。

それはさておき、
僕に“
Mr.BOO!”のDVDセットが発売されたと教えてくれたのは、
去年まで勤めていた会社の同僚である。
この同僚は僕の
2歳下なので、まさしく同年代。
この同僚も広川太一郎さんの“
Mr.BOO!”の吹き替えを聞いて育った
「太一郎チルドレン」の
1人だったのだ。

いまからちょうど
3年前のある日のこと。
仕事の合間に世間話をしていたとき、
「タカハシさんって“
Mr.BOO!”大好きですよね。
なんでも
DVDがセットで発売されたらしいですよ」と
その同僚は僕に仰天情報を教えてくれた。

僕はすぐさまその言葉に対し、
1つだけ確認をした。

「広川太一郎さんの吹き替えは入っているの?

「もちろんですよ」と元同僚。

「買う、すぐに買う。買ったら、貸すからさ」といって僕は、
その日のうちに注文した。

自宅で好きなだけ広川太一郎さんの吹き替えが聞けるのである。
Mr.BOO!”のDVDセットは、
まさに至福をもたらしてくれる宝箱のようであった。

広川太一郎さんの吹き替えでもう1つ忘れられないのが
トム・ハンクスとダリル・ハンナが共演した映画“スプラッシュ”である。
広川さんはこの映画のテレビ版で
ダリル・ハンナ演じる人魚を執拗に追い回す海洋学者の吹き替えを行った。
この吹き替えがまた、広川節炸裂の名吹き替えだったのである。
機会があったら、ぜひまた観てみたい作品の
1つだ。

この“スプラッシュ”をはじめ、
もし広川さんの名吹き替えをまとめた
“広川太一郎アンソロジー”のようなものが
DVDで発売されたら、
僕は迷わず買うだろう。

広川さんの吹き替えは、広川太一郎さんだけにしかできない、
まさに一代限りの名人芸であった。

僕は広告屋としてのキャリアをスタートさせたとき、
いつかは実現してみたいことの
1つに
広川さんのナレーションで
CMをつくるということを考えていた。
何度か実現に向けて試みたことはあったのだが、
残念ながら実現することはできなかった。

基本的に僕は、夢は叶うと考えて生きている。
が、しかし、もう広川さんと一緒に仕事をすることは永遠に叶わない。
正直いってすごく残念で悔しい。

いまから10数年前だと思うが、
たまたま本屋さんで「ブラボー
! 広川太一郎!!」と帯に書かれた本を見つけた。
「ブラボー
! 広川太一郎!!」と書かれていては見過ごすことはできない。
僕はろくすっぽ中身を確かめもせず、
そそくさとその本をもってレジに向かった。

その本は、声優さんたちのプロフィールが掲載された、
いわば声優名鑑のようなものだったのだが、
そのなかに広川さんのプロフィールとは別に、
ちょっとしたコラムが掲載されていた。

その文中にこんなことが書いてあった。
とある西部劇映画のラストシーン。
2人の男が仕事で大成功を収め、
意気揚々と帰っていくというこのシーンのオリジナルは、
ただ
2人の男が馬上で高笑いをしているというものだったそうである。

それに広川さんは
「いーんじゃないかな。いーんじゃないかな」とアテレコしたという。

僕はいかにも広川さんらしいそのエピソードを読みながら、
「いーんじゃないかな。いーんじゃないかな」と語る広川さんの声を聞いた。
そんな気がしたのだ。

広川太一郎さん。

本当に惜しい人を亡くした。
広川さんが与えてくれた数々の楽しい想い出に感謝するとともに、
心からご冥福をお祈りしたい。合掌


2008.03