桜田淳子「リップスティック」


これまでの猛暑がウソのように、今朝はやたらと涼しかった。
まるで季節が一足飛びに秋へと移行したかのような心地よい空気のなか、
僕は週末恒例のジョギングへと出かけた。
ヨタヨタと走りながらいつものように東京ドーム前を通り、
靖国通りに抜けてまずは武道館を目指した。

今日はNTV24時間テレビである。
こんな時間から並んでいる人なんているのかなと思いつつ歩を進めたら、
朝の
8時前だというのに20人近くの人が座り込んでいた。
ご苦労なこってある。

聞けばNTV24時間テレビというのは今年で30回目らしい。
1回目の放送は僕が中学1年生の夏だった。
今年、
70キロマラソンにチャレンジするという
欽ちゃんこと萩本欽一がメインパーソナリティを務め、タモリも出演していた。

タモリはそのころまだ(テレビ的には)駆け出しの芸人だったのだが、
そのネタはけっこう反社会的というか社会風刺のものが多かった。
それなのにチャリティ番組に出演し、
番組のラストの代々木公園までのパレードで、
沿道の人々に欽ちゃんたちと一緒に「ありがとう」なんていっているタモリに対し、
ちょっと違和感を覚えたものだ。

ヘソ曲がりといわれればそれまでであるが、
とにかく僕は「ナンか違うな」という印象をもったのである。

これに対し、さすがだなと思ったのは
タケちゃんことビートたけしのコメントである。
ツービート全盛期のころ、タケちゃんのもとにも出演依頼がきたらしい。
しかし、タケちゃんサイドはそれを断ったという。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」というようなネタをやっていながら、
そんなチャリティ番組に出たら
自分の芸がウソになるというのがタケちゃんの見解だった。
この件について「オイラにだってモラルはあるぜ」と
タケちゃんが語っていたことを憶えている。

そんなタモリではあるが、
こんなことをテレビでやっていいのかと思わされたことがある。
1981年の24時間テレビのことだったと記憶している。
深夜の時間帯に、タモリが赤塚不二夫とともに
SMショーを行ったのだ。

たまたまこの年の
24時間テレビのなかで、
代々木公園でのフリーコンサートにおける
佐野
(元春)くんの映像が流れるということで観ていたところ、
タモリのそんなコーナーが流れてきた。
僕は唖然としながらも、「やっぱりタモリはこうでなきゃ」と思った。

なんやかんやいって、僕はタモリの芸が好きなのである。
数あるタモリの名人芸のなかで秀逸なのは、
やはり故寺山修司のモノマネであろう。

声帯模写という芸は昔から数多くあったが、
思想までマネるという芸はタモリが最初だったと思う。
タモリによる寺山修司のモノマネは、
声や口調が似ているのはモチロンのこと、
いかにも寺山修司が語りそうなことをもっともらしくマネていた。

1993年、
寺山修司の没後
10年を記念しトリビュートアルバムが発売されたのだが、
そのなかにタモリによる寺山の声帯模写が収録されていると聞き、
僕は発売と同時に購入した。
タモリによる寺山節は、健在であった。

タモリといえば“笑っていいとも”を思い浮かべる人が多いと思うが、
その名物コーナー「テレホンショッキング」の第
1回目のゲストは桜田淳子であった。
僕がいま毎朝、欠かさず観ている“独眼竜政宗”で
政宗の正室・愛姫を演じている桜田淳子を見るたび
「この人、いまどうしてるんだろう」と思わずにはいられない。
余計なお世話だけど。

24時間テレビがスタートした1978年の夏、桜田淳子はまだまだ大スターだった。
たしか『リップスティック』という曲がヒットしたのはこの頃だったと思う。

この曲、僕はどうしてもコロッケのモノマネを想い出してしまうけど。


2007.08