堺正章「さらば恋人」


一昨日の土曜日、早朝から僕は新宿二丁目にいた。
とはいっても、近くにあるソープランドでウッシッシと
早朝サービスを受けていたワケではない。
ましてや二丁目界隈でボーイハント
(?)をしていたワケでもない。

あるお寺を訪ねていたのである。
太宗寺という、まさに新宿二丁目のど真ん中にある浄土宗のお寺である。

太宗寺の境内には江戸に入る6本の街道の入口に安置された、
いわゆる「江戸六地蔵」の第三番の地蔵菩薩像がある。
この地蔵菩薩様の右側にあるお堂のなかには
都内最大とされる閻魔大王像と、奪衣婆像が安置されている。

太宗寺の閻魔大王様は本当に大きい。
そしてめちゃめちゃ怖い。
いまではすっかり大人になり「もう悪さはし尽くしたぜ」などとうそぶきつつ、
怖いモノ知らずを気取っている僕でさえビビるぐらいなのだから、
子どもが見たら引きつけを起こしてしまうのではないかというぐらいの、
それはそれは大迫力なのである。

事実、かつては子どものしつけの一環として、
この閻魔大王様をお詣りする人が多かったという。

それはさておき、
僕がなにゆえ日曜日の早朝からこの太宗寺を訪ねたのかというと、
「恥の多い生涯を送ってまいりました」と
閻魔大王様に懺悔しようと思い立ったワケではない。

いわゆる「ロス疑惑」で何者かに銃撃され亡くなられた、
三浦一美さんの葬儀がこの太宗寺で執り行われたからである。

先週の土曜日の夜、7時のNHKニュースを観ようとテレビをつけたところ、
冒頭で三浦和義氏が自殺したというニュースが流れた。
僕は愕然とした。
三浦氏と自殺という行為が、まったく結びつかなかったからである。

僕は以前、何度かロス疑惑についてここで私見を述べた。
くり返しになるので詳細は省かせていただくが、
僕は一貫して三浦氏の無罪を支持してきた。

よく以前、ロス疑惑について誰かと話すと決まってほとんどの人は
「いやぁ、あの人は絶対に殺ったと思う」といい、
「じゃあ、タカハシくんは絶対に殺ってないと信じているのか
?」と聞いてきた。
それに対して僕は、
少なくとも巷間伝えられるような
「モデル出身の別の女性と一緒になりたいがために妻を殺して保険金で家を建て、
同棲をはじめた」という動機づけに無理があること、
そして殺ったという決定的な事実が出てきていない以上、
客観的に判断して「三浦氏クロ説」は無理があるという持論を述べてきた。

そんな話をしているうちに相手もヒートアップしてきて、
当事者同士でもないのに口論寸前にまでなったこともある。
が、僕は自説を曲げなかった。

「殺った」のか「殺らない」のかは、もちろん三浦氏本人じゃないとわからない。
マスコミを筆頭に多くの人たちはただ周囲で怪しいと騒いでいただけで、
裁判においても有罪と判断するに足りる
決定的な事実は検察側から提示されることはなかった。

仮に多くの人がそう信じたように本当に「殺った」のだとしたら、
それは三浦氏の完全犯罪であり、
犯罪者として三浦氏の勝利だといっても過言ではない。
疑わしきは被告人の利益に。
少なくともこの国の司法制度ではそういうことになる。

「三浦クロ説」を唱える人の多くは、
三浦氏の女性関係の乱れを
1つの論拠としてきた。
たしかに、これは事実といわなければならないだろう。
現に当の三浦氏も認めている。
島田荘司氏が書いた“三浦和義事件”の後記には、こんな記述がある。

「東京拘置所の面会室で筆者に向かい、
自分の若い頃は若気のいたりだったと三浦和義氏は苦笑した。
これは主として女性問題のことを言っている。
このひと言で、日本人は彼の不行儀を許すだろうか。」

でも、僕は思う。
三浦氏が
30代前半だったころ、
経営している会社が億単位の倍々ゲームで成長しているという状況のなか、
いい方は女性の方に失礼かもしれないが
「オンナ遊び」に興味が向かないオトコが果たしてどれだけいるのだろうか
?
妻も家族も大切に思っている。
しかし、
(これまた失礼ないい方かもしれないが)それとは別口で
「適当に」女性と遊んでいるオトコを僕は何人も知っている。

三浦氏が女性に関して異様なまでに、
というか僕には絶対に真似ができないほどマメだったことは間違いない。
だが、女性関係は女性関係、殺人は殺人なのである。
浮気をした男性がすべて殺人犯だとでもいうのだろうか
?

ロス疑惑について、もし我々が語ることがあったとすれば、
それは「殺った」「殺らない」などという推論ではなく、
一連の報道からあの市中引き回しのような逮捕劇に至るまでの
事実に対する冷静な検証ではなかっただろうか。

僕はNHKのニュースを呆然と観ながら、
あらためてそんなことを考えていた。

そうしているうちに、きっと今回の自殺に対して、
「もう逃げられないと思って自殺したに違いない」という推論を
したり顔で語る輩がまた出てくるんだろうなと思ったら、
だんだん腹立たしくなってきた。
本人でもないのに、いったい誰がそんことをわかるというのだ。
君は閻魔大王様か
? お釈迦様か?

そんなことを考えていたら、
今度はあまりにもムカついてきたので気分転換がてら、
なにか楽しい番組はないかと
CSのチャンネルをカチャカチャと動かしていたら、
あの“西遊記”をやっているのを見つけた。
堺正章、夏目雅子、岸辺シロー、西田敏行が主演した
30年前の“西遊記”である。
そして、この日の“西遊記”は奇しくも最終回であった。

故・夏目雅子さんと三浦和義氏には、浅からぬ因縁がある。
夏目雅子さんが亡くなられたまさに
911日の夜、
三浦氏はいわゆる「一美さん殴打事件」による殺人未遂容疑で
東銀座の東武ホテルの地下駐車場にて逮捕されたのである。

“西遊記”は懐かしく、そして楽しかったが、
僕は夏目雅子さんと三浦氏の奇妙な因縁がアタマから離れなかった。
そして、それは深夜ベッドに入ってからもずっと続いていた。

眠れず、ヘンに冴えきってしまったアタマのなかで明日の朝、
僕なりの方法で三浦氏を見送ろうということを思いついた。

それが、日曜日の朝の太宗寺詣りだったのである。

僕はずっと三浦氏の無罪を支持してきたが、
正直いえば三浦氏というのはちょっと理解不能なところがある。
僕はロス疑惑に関する書籍は、たぶんそのほとんどを読んできたと思うが、
そのなかでも特に印象に残っているのが沢木耕太郎氏の書いた
“馬車は走る”という本に収められている“奇妙な航海”である。
もし、興味がある人はぜひ読んでみてほしい。
ラストに三浦氏ととある女性に関する信じられないエピソードが書かれている。

僕は最初この作品を読んだとき、
このエピソードは沢木氏の創作ではないかと思った。
が、ノンフィクション畑の第一線でずっと活躍してきた沢木氏が
そんなことをする理由がない。
仮に読み物的に面白いとしても
ノンフィクションライター・沢木耕太郎としてのメリットは
なにひとつないはずだという結論に達し、
僕はその信じられないようなエピソードを事実として信じることにした。

そして、このエピソードが本当のことだとしたら、
三浦氏というのはまさに怪物だなと思ったし、
僕なんかが理解しうる範囲を超えた人物だと思った。

と、こんなもったいぶった書き方をして、
そのエピソードについて具体的な記述をしないのは、
書き手としてはアンフェアかもしれない。
でも、このエピソードも含めロス疑惑については
(もし少しでも興味があるのであれば)1人ひとりが自分で調べ、
自分で考えてほしいと思うのだ。
そして、あらためてロス疑惑とはなんだったのかを
1人ひとりが考えてほしい。

2003年、最高裁で「一美さん銃撃事件」に関する無罪が確定した際、
三浦氏は記者会見にて
「あらためてロス疑惑とはなんだったのかと問いたい」ということを話していた。

その問いかけに対し、
マスコミを含め、多くの人々は答えを出していないように思う。

太宗寺のお詣りを済ませたあと、
僕はまさに
100パーセントの秋晴れといっていい青空を見上げ、
ホテホテと歩き出した。そして、このまま自宅まで歩いて帰ろうと思った。

歩いているうちに、
なぜか堺正章の『さらば恋人』がアタマのなかに浮かんできた。
特に熱烈なマチァアキファンだった記憶はないのに、
不思議なことに歌詞のすべてをはっきりと憶えていた。

 さよならと書いた手紙 テーブルの上に置いたよ

 あなたの眠る顔みて 黙って外へ飛びだした

 いつも幸せすぎたのに 気づかない二人だった

 冷たい風にふかれて 夜明けの町を一人行く

 悪いのは僕のほうさ 君じゃない

 

 ゆれてる汽車の窓から 小さく家が見えたとき

 思わず胸にさけんだ 必ず帰って来るよと

 いつも幸せすぎたのに 気づかない二人だった

 ふるさとへ帰る地図は 涙の上に捨てていこう

 悪いのは僕のほうさ 君じゃない

  (作詞:北山修)

果たして、ロスへ移送される飛行機のなかで、
そして死の直前、三浦氏の胸に去来したものはなんだったのだろうか。
『さらば恋人』をアタマのなかで口ずさみながら
僕はふとそんなことを考えた。

でも、次の瞬間、こう思い直した。

推測は止そう、と。


2008.10