ルパート・ホルムズ「エスケイプ」

すべてはピナコラーダからはじまった。


こんな出来損ないのキャッチコピーのような一文を読まされても混乱するだけだろうが、
とにかくすべてはピナコラーダからはじまったのである。

僕がピナコラーダをはじめて知ったのは、中学2年生のときである。
当時ラジオからよく流れていたルパート・ホルムズの全米ナンバーワンヒット
『エスケイプ』という曲の歌詞のなかに「ピナコラーダ」という言葉があったのだ。

このときピナコラーダが、ラムとパイナップルジュース、
ココナッツミルクをベースにしたフローズンカクテルであることはまったく知らなかった。
ただただピナコラーダという言葉だけが頭にインプットされたのである。

次に僕がピナコラーダについて意識したのは、22歳の冬である。
このとき僕は、自然気胸なる病気で入院していた。
左胸にチューブを差し込まれ、
自由に立って歩くこともままならないという状況のなかで読んだ小説のなかに、
ピナコラーダが登場したのだ。

その小説は村上春樹の“ダンス・ダンス・ダンス”であった。
ハワイでピナコラーダを飲むということが、
なにかを象徴的するかのように何度も描かれていた。

僕は冬のやわらかな日差しが差し込む病室のなかで、
まだ口にしたことがないピナコラーダについて想いを馳せた。
いつかは僕も、こんな風にピナコラーダを飲むことがあるのだろうかと思ったのだ。

それ以来、ピナコラーダを飲む機会なんて何千回とあったのだが、
一度も飲んだことがないまま僕の人生において最初で最後の
42歳の1月を迎えた。
翌月は
43歳になろうとしていた。

そんな1月のある日、突然ピナコラーダについて想い出し、
ふと思い立って“ダンス・ダンス・ダンス”を読み返してみた。
そして、さらには“羊をめぐる冒険”を読み返した。
“ダンス・ダンス・ダンス”は“羊をめぐる冒険”の続編的な小説なのである。


そんなことをしながら
1月が過ぎ、2月も中旬になろうとしていたある日、
友との何気ないやりとりのなかで、
僕は“羊をめぐる冒険”や“ダンス・ダンス・ダンス”に登場する
<羊男>や<いるかホテル>のことを口にした。

きっとそこにはスピリチャルな何かがあるのだと思う。
たとえば<いるかホテル>のような。

ひょっとしたら<羊男>に会えるかも知れない」ということを、
さしたる理由もなく言葉にした。
僕にとって、それは笑い飛ばす類いの冗談でしかなかった。
しかし、それが結果的には僕の「羊をめぐる冒険」のはじまりを示す号砲となった。
以来、奇妙なことが僕のまわりで次々と起こっている。

ここにAという事実がある。
その
ABという現象を呼び、さらにはCという偶然につながり、
Dという過去に直結するという奇妙なことは、
誰にでも大なり小なり、多少の経験はあると思う。
かくいう僕もそんな経験をたくさんしてきている。
なかには誰も信じてくれないだろうと思えるような経験もいくつかある。
だから、僕は多少のことでは驚かない。
奇妙なことは、
人生のなかでは往々にして起こり得るものだということを経験上知っているからだ。
しかし、今回の「羊をめぐる冒険」は僕が過去に、
僕のささやかな人生において経験してきた奇妙な事柄の連鎖をはるかに超えている。
AからZまでつながったことが今度は別のαやβやσと連結し、
さらにそれが縦軸・横軸の平面上ではなく
螺旋状に上へ上へと伸びているように思えてしまうほどの
なんとも不可思議な連鎖がここずっと続いているのだ。

その奇妙な現実を前に、僕は恐怖感すら覚える。
だが、その恐怖感は背筋が寒くなるようなものではない。
人類が何か未知なるものを前にしたときに感じたであろう恐怖感に近い。
いったい、何が「羊をめぐる冒険」なのかについて、僕はここには書かない。
というか、書けない。
それはすごく長い話だし、あまりにも入り組みすぎている。
とても、この限られた時間とスペースのなかで書ききれるような話ではないのだ。
でも、いつか。
象が平原に還り、
僕がより美しい言葉で世界を語りはじめることができるようになったとき、
僕はこのことを
1つの文章にまとめてみたいと思っている。
いつかその日が来るまで・・・今日は、意味不明な文章を書き綴ることをお許しいただきたい。

この僕の「羊をめぐる冒険」において外すことができないのが、
文京区湯島にある“緬羊会館”と“寿”というラブホテルである。
といっても、緬羊会館に勤めている素敵な女性と
“寿”にて愛と快楽のアドベンチャーワールドを体験したなどという
ウッシッシな話ではない。
緬羊会館と“寿”というラブホテルは、
僕の「羊をめぐる冒険」における磁場のようなものに思えて仕方がないのだ。
そして、そこには僕の人生において重要な、
スピリチャルな何かがあるような気がして仕方がないのである。

“寿”は決してファッショナブルなラブホテルではない。
外見からして古い。昭和の香りを色濃く残している。
きっと内装だって古びているに違いない。
お風呂はひょっとしたら昔ながらのタイル張りで、お湯の出も悪いかもしれない。
仮に僕が誰かをここに誘ったとしても、
「私こんなホテルじゃ絶対イヤ」といわれてしまいそうな
・・・こんなことをいっては関係者の皆さんに失礼なのだけれども、
実際そう思わせるような、どことなく「いなたい」感じのホテルだ。

しかし、なぜか心惹かれるのである。何かが僕の心にひっかかるのである。
なんて、何をさっきから夢みたいなことを書き連ねているんだ!!
そう突っ込みを入れた読者よ! 友よ!! あなたは正しい。
事実、この「羊をめぐる冒険」においてどこまでが現実でどこからが空想の世界なのか、
僕もさっぱりワケがわからなくなっているのである。
そんな毎日が
43歳の誕生日の前後からずっと続いているのである。

僕は努めて現実的になろうと考えた。
外の空気をたくさん吸おうと思った。
そして先週の土曜日、朝の6時に起きて久しぶりに早朝ジョギングへと出かけた。
向かった先は、浅草だった。
なぜ、浅草へ
?といわれても答えられない。
ただなんとなく浅草まで行ってみようと思ったのだ。
浅草にはそれこそ何十回も行っているが、
朝の浅草を訪れるのははじめてだった。
なので、せっかくだから、
まだ人気の少ないであろう雷門を通ってみようと思い、足を向けた。
雷門の先の仲見世通りは人もまばらだった。
僕はその仲見世通りを見ながら「オーケー! これが現実だ」と思った。

朝の
7時半過ぎは、仲見世通りも人通りがほとんどない。
何も間違ってはいない。
100%の現実である。
そんなことを思いながら、
浅草神社の敷地内にある新門辰五郎親分ゆかりの被官稲荷神社
をお詣りしようと
雷門をくぐった次の瞬間、ふと目についたのが“旅館ことぶき”である。

僕はこの“旅館ことぶき”と例のラブホテル“寿”のことを思って愕然とした。
いったいどこまで「憑いてくる」と思ったのだ。

ということで、僕の「羊をめぐる冒険」はまだまだ続いている。
いったい、これが何を意味しているのか、
そして僕はどこへ行こうとしているのかはわからない。
それはきっと時間が答えを教えてくれるのであろう。
僕はその答えを見逃したり、聞き逃したりしないように目を凝らし、
耳を澄ましていようと思う。
大切なことは、たいてい小さな声で語られたり、
かすかなサインで示されたりしているものなのだ。
これは、僕にとって1つの人生訓である。

土曜日、浅草から帰宅した後、
着替えて今度は定宿である東京ドームホテルへと向かった。
素敵な女の子と真っ昼間っからデートするためである
・・・ワケはない。
だいたいにして、定宿といっても僕にとって東京ドームホテルは
「おトイレをたまに借りる」程度のつながりでしかない
()

では、なんのために東京ドームホテルに行ったのかというと、
打ち合わせの相手と待ち合わせをしていたという
色気も素っ気もない話が真実なのである。

金曜日の雪がウソのように、
まるで春の訪れが近づいていることを誇示するかのように、
空は心地よく晴れ上がっていた。
東京ドームホテルの脇の遊園地では、
ゴーオンジャーショーをやっているようでドカーンとか、
ギャオーンとかガチャーンとかいう大音響が聞こえてきた。
僕はその大音響を耳にしながら、ある子どもたちのことを思った。
そして、その子どもたちに素敵な春が訪れることを西のほうを見ながら願った。

東京ドームホテルではたくさんの結婚式が行われているようで、
ドレスアップした人たちであふれていた。
僕はそんな穏やかな光景を見ながら、
今年結婚する後輩デザイナーのことを思った。
そして、彼女にも素敵な春が訪れることを願った。
と、ここで終わらせれば、
ある種のキレイな終わり方をすると思うのだが、
どうしても書いておきたいことがある。

ここからは自己療養としての文章である。

昨日のお昼ことである。
とある本を探しに、近所の本屋さんへと出かけた。
お目当ての本は残念ながら
2軒の本屋さんをまわっても見つからなかった。
しょうがないので、後楽園WINS脇にある本屋さんに行こうと思い、
ホテホテと白山通りを歩き出した。
春日町の交差点前には警察車両がたくさん止まっていた。
いったい何だろうと思い近づいて行ったところ、
どうも午後
1時から区民センターでとある政治的な集会が開かれることになっていて、
その集会に反対する団体が抗議行動を起こしているらしかった。

抗議行動を起こしている人たちは
「過去の歴史において日本は悪くない。韓国はウソつきだ」
ということを訴えているようであった。
その団体の指導者らしき人が、車の助手席に乗ってマイクでがなっていた。
「言論の自由に基づいて」という大声がはっきりと聞こえた。
僕はその言葉を聞いて、虫酸が走った。
思わずツバを吐きたくなった。
ルー・リードの『ワイルドサイドを歩け』が僕のなかで鳴り響いた。

なぜか!? 僕は「言論の自由」などと声高に叫ぶ人間が大嫌いなのである。
これは僕の偏見かも知れないが、とにかく大嫌いなのである。
ならば、マイクでがなるな。肉声で語れ。
日曜日のお昼どきの穏やかな空気を切り裂くようなことはやめろ。
僕はそう思いながらアタマのなかで『ワイルドサイドを歩け』を鳴り響かせつつ、
その車の脇を通り過ぎた。

たしかに言論の自由も、結社の自由も、信教の自由も憲法で保証されている。
だが、だからといって何をしてもいいわけではないのだ!
あの指導者らしき人のいう自由って、いったいなんなんだ!!
などとブツブツ頭のなかで考えながらWINS脇の本屋さんで用事を済まし、帰路についた。

後楽園駅前の公園を通り抜け、
春日通りに出ようとしたらさっきのマイクのがなり声はまだ続いていた。
このとき僕がいたところからその抗議行動の現場までは
300メートル以上離れていたので詳しい状況はわからなかったのだが、
マイク越しに聞こえてきた話を要約するとこういうことだった。

抗議活動をしている人に対し、その抗議の対象である集会に参加する人が、
何かをいったらしいのである。
それに対して、マイクの主は激高していた。
「我々はゴキブリじゃないだ!! おい、聞いてるのか。そこのババア!!
そこのサングラスをかけたババア、あんたにいってるんだよ」と叫んでいた。
僕はその言葉を聞いて、さっき以上に虫酸が走る思いがした。
今度はビートルズの『ヘルター・スケルター』がアタマのなかで大音響を上げた。
自分たちをゴキブリたらしめているのは、あなた自身ではないかと思った。
イデオロギーの違いや意見の対立というのは、いつの時代もある。
いま、この瞬間にもそれは世界中のあちらこちらに存在している。
そして、それはきっと
200年後も存在し続けるであろう。

だが、どんな世の中であれ、どんな理由であれ、
僕は人が人を口汚く罵倒する「自由」はないと思う。
それは言論の自由ではない。声高に叫ぶごとがすべて正義なわけではない。

オマエミタイナ奴ニ言論ノ自由ハ与エテアゲナイ。

僕は心のなかでそうつぶやきながら、心のなかでツバを吐き、
アタマのなかでうなりを上げる『ヘルター・スケルター』の
ハードでパンキッシュなサウンドを
BGMに中央大学前の坂をのぼった。

ご静聴ありがとう。

2009.03