ロキシー・ミュージック「モア・ザン・ディス」

今日は大晦日。
大晦日といえば、少年時代から
日本レコード大賞と紅白歌合戦を楽しみにしていたものだが、

1982年の放送はほとんど観ずにずっとラジオを聴いていた。
NHK-FMで渋谷陽一がDJをつとめ、
その年にヒットした洋楽を一挙
OAする番組があったからだ。
そして早めのごはんを済ませるやいなや自分の部屋にこもり、
タバコをふかしながら
FM雑誌に載っていたOAリストを片手に、
興味がある曲を次から次へとカセットテープにエアチェックしていた。

そのなかの1曲がロキシー・ミュージックの
『モア・ザン・ディス』
(邦題:夜に抱かれて)である。
この曲はロキシー・ミュージックの最高傑作といわれる
アルバム“
AVALON”のオープニングナンバーであり、
たしかパイオニアかなにかの
CMソングにもなっていたはずだ。

それまでロキシー・ミュージックは、
名前は知っていたものの、あまりピンとくるバンドではなかった。
しかし、この曲は僕を夢中にさせた。
そして、何度もエアチェックしたテープを聴いたものだ。

ブライアン・フェリーのビブラートの効いた歌声は、
なかなか他のヴォーカリストではまねできない。
ブライアン・フェリーの歌声だけで、
ひとつの世界ができ上がってしまう。
ブライアン・フェリーが歌った
ジョン・レノンの『ジェラス・ガイ』も、
ニール・ヤングの『ライク・ア・ハリケーン』も
原曲をしのぐほどの名曲である。

すごいヴォーカリストというのは、
カバーソングすらもオリジナルソングに変えてしまうものだなと、
前述の
2曲を含む1983年発売のライブアルバム
THE HIGH ROAD”を聴いて思ったものだ。

ところで和製ブライアン・フェリーといえば誰か!?と問われたら、
僕は迷わず菅原洋一を推薦する。
菅原洋一のビブラートの効いた歌声も、
まさに彼だけの世界をつくり上げてしまう。

1987年の紅白歌合戦で菅原洋一は、
その年映画とともに大ヒットしたロス・ロボスの“ラ・バンバ”を熱唱した。
菅原洋一と“ラ・バンバ”という組み合わせは、
まさに異種格闘技!!
誰もが驚く選曲であったと思うのだが、
そこは菅原洋一、見事に自分の世界をつくり上げていた。

この年の紅白歌合戦のベストアクトは、
僕のなかでは断トツで菅原洋一である。

1123日、法政大学で行われたエンケンのライブの際、
偶然“歌いまくる
40歳”トモフスキーのステージを観たことをきっかけに、
怒涛のごとく書き始めたこのブログも今年でおしまい。
“書きまくる
40歳”タカハシは、来年は41歳になる。
いつまでも“書きまくる不滅の男”を目指し、
来年も、というか明日も書きつづける。

のだけれども、一応、節目でもあるので、今年最後のご挨拶を。

僕の駄文にお付き合いしてくださった皆さま、本当にありがとうございました。

来年も、というか明日からもよろしくお願いします。

では、皆さま良いお年を。


2006.12