ルースターズ「C.M.C」


先日、友だちと僕がちょこっとだけ出演した映画について話していたら、
ビックリするような話を聞かされた。
この友だちの友だちも映画に出たことがあるという。
その映画の名は“爆裂都市”。
1982年に公開された石井聰互監督の伝説的作品である。

“爆裂都市”は荒廃した未来都市を舞台に、
ロックバンド同士の対立や暴力団と労働者たちの対立を軸とした破天荒な映画で、
いまはすっかり俳優としての活動がメインとなっている陣内孝則の初主演作品でもある。
陣内以外にも、
ステージ上で全裸になったり豚の臓物や頭を投げたりと
過激なパフォーマンスで世間を騒がせまくっていたスターリンや、
めんたいロックの雄・ルースターズ、
さらにはいまや芥川賞作家となった町田康こと町田町蔵といったバンドマンとともに
戸井十月、上田馬之助、麿赤児、篠原勝之、
南伸坊といった「濃い」面々が脇を固めていた。

当時まだまだ日本のロックシーンというのはメジャーではなくて、
陣内率いるロッカーズや遠藤ミチロウ率いるスターリン、
大江慎也率いるルースターズなどをテレビで観られる機会はほとんどなかった。
唯一、テレビ神奈川を例外として、
動く彼らを観ようと思ったらライブに出かけるしか方法はなかったのだ。

そんな動く彼らを一堂に観られるということで、
僕も仲間たちと“爆裂都市”を勇んで観に出かけたことを憶えている。

その想い出深い映画に友だちの友だちが出ていたとはニャンとも奇遇なことなのだが、
この友だちの友だちとの奇遇はそれだけではない。
なんと、この友だちの友だちは僕が大好きなエンケンこと遠藤賢司が少年の頃、
エンケン宅の近くに住んでいたというのだ。

つくづく世間は狭いなと思うのだが、
僕はこうした世間の狭さは嫌いではない。

生きていてナニがイチバン楽しいかといえば、
僕は人との出会いである。
ひょんな共通点から知り合いになり、
いろんな話をしているうちに別の共通点を見つけ、
さらにはその共通点が点から線へ、
線から面へと発展していく。
その驚きと興奮は、
僕にとってなにものにも代えがたい人生の醍醐味である。

人生の価値なんてひと口で語れるほど単純でないのは重々承知だが、
僕はこういう出会いをいくつ重ねられたかによって
人生の価値は大きく左右されると考える。
願わくばこれからもたくさんの人と出会い、
そしてたくさんの共通点を見つけ、人生を楽しく彩っていきたい。

映画“爆裂都市”を観てしばらくした後、
僕は一緒にこの映画を観にいった仲間
2人とルースターズのライブに出かけた。
ヴォーカルの大江慎也は翌
1983年に体調を崩し、一時バンド活動を離れるのだが、
この当時はまだ元気にパワフルなステージを魅せてくれていた。

ルースターズはその後、
大江慎也の病状の悪化による脱退や大幅なメンバーチェンジにより、
ただ1人残ったオリジナルメンバーのギタリスト、
花田裕之がヴォーカルをとることで活動を続けたのだが、
1988年の7月に惜しまれつつ解散した。

解散ライブのステージでは大江、花田、
そして現在は佐野
(元春)くん率いるザ・ホーボーキング・バンドのベーシストである井上富雄、
吉川晃司と布袋寅泰によるユニット、コンプレックスをはじめさまざまなバンド、
ミュージシャンとのコラボレーションで知られるドラマーの池畑潤二というオリジナルメンバー
4人が集結し、
大江が療養中の
19837月に発売された12インチシングル『C.M.C』を演奏した。

高校3年生の夏、
僕はよく一緒にルースターズのライブに行った仲間の家に集まっては
この曲を何度もくり返し聴いたものである。
コーラにポテトチップス、そしてセブンスターと『
C.M.C』。
42歳になったいまもこの曲を想い出すと、あの夏のことがよみがえってくる。
僕らは扇風機がかき回す生温い風に吹かれながらコーラを飲み、
ポテトチップスを齧り、セブンスターを吹かし、
ルースターズを聴きながら何時間も過ごした。
受験勉強なんてするヒマがなかった。

僕が通っていた高校は自由な校風だったので、
進学校とはいえど受験勉強についてもそんなに急き立てられた記憶はない。
「受かるも落ちるも君次第だよ」というスタンスで先生たちも僕らに接していた。
特に高校
2年生のときに担任だったモトノブ先生は、
さほど教育熱心な先生ではなかった。

モトノブ先生は日体大の体育学部出身で、千葉真一と同級生だったという。
さらに同級生には東京オリンピック体操競技の金メダリスト、山下治廣氏もいたそうだ。
モトノブ先生も体操競技をやっていた。
しかし、その後モトノブ先生は競技者ではなく教育者の道を選んだ。

さらに僕らの高校は、髪の毛についても特に決まりはなかったので、
僕は好き放題な髪型をしていた。
そんな僕に対してよくモトノブ先生は
「カツトシもいっぺん、オレのように慎太郎カットにしてみろ。
楽だし、気持ちいいぞ」といっては白髪まじりの短髪をなでていた。
慎太郎カットの慎太郎とは、現東京都知事の石原慎太郎のことである。
慎太郎カットはモトノブ先生が若い頃、
ナウなヤングたちの間で流行ったヘアスタイルなのだ。

このモトノブ先生との最大の想い出は、
僕がルースターズのライブに行った翌日に生まれた。
ちょうどこのライブ当日はテスト前ということで部活動も自粛となり、
全生徒が早めに帰宅しテスト勉強をする期間中であった。
そんな状況下のなか僕と仲間
2人は、
テスト勉強なんかそっちのけでルースターズのライブに行っていたのだ。

ライブ翌日の午後、ホームルームが終わり帰ろうと支度をしていたら、
モトノブ先生が「おい、カツトシちょっといいか」といって
僕を校舎の中庭に連れ出した。
先生に連れ出される間「オレ、なんかしたかな」と考えていたのだが、
思い当たるフシはない。
はて、なんだろうという僕に対し、
モトノブ先生は「どうだ、最近は」と元気よく聞いてきた。
僕はなんて答えていいのかわからず、
とりあえず「ええ、バッチリです」というスットコドッコイな答えを返した。

「テスト勉強は進んでるか」

「ええ、まあボチボチと」

「昨日はナニを勉強した」

「えーっと、倫理と物理をちょっと」

「ずっと家にいて勉強してたのか」

「えっ、いや、あの、その」

「なんだ、どっかに出かけてたのか?

「あっ、はぁ、まあ、なんというか、ちょっと出かけてました」

「どこに行ってたんだ」

「ちょっと、ライブなんぞに」

そう正直にいったあと、
僕はテスト勉強期間中に遊びに出かけたことに対して、怒られると思った。
しかし、モトノブ先生はそんな僕の心中を楽しむかのようにニヤリと笑った。

「やっぱりな。昨日、おまえを○○駅のホームで見かけたんだよ」

ライブがあった会場の最寄り駅だった。
その駅は地元から
45分ぐらい離れている。
なのに偶然、モトノブ先生もそのとき、そこにいたのだ。
僕はつくづく世の中の狭さを痛感した。

そして昨日その駅でナニをしていたのを思い出し、ゾッとした。
僕はホームで電車を待っている間、勢いよくタバコを吸っていたのだ。
停学。
その
2文字が僕の脳裏からモクモクとわき上がり、
グイグイと目の前にせり出してくるのがわかった。
もはや万事休すである。
ここは潔く縛につこうと決意を固めた次の瞬間。

「おまえな、世の中どこに誰がいるかわかんないんだから、
あんまり目立つようなことをしてオレを困らせんなよ」と笑いながら、
モトノブ先生はジャージのポケットからハイライトを取り出し、
100円ライターで火をつけ、うまそうに煙を吐き出した。

僕は背筋を伸ばし「はっ!! 気をつけます」と大きな声で
体操競技であれば
10点満点間違いなしの返事をした。

この日のことは、いまも鮮明に憶えている。
僕は教育者でもなんでもないので偉そうなことはいえないのだが、
少なくとも僕にとって教育とはこういうことである。


2008.03