レベッカ「ラヴ・イズ・CASH」


今日は朝から新宿に打ち合わせのため出かけていた。
新宿三丁目界隈を歩いていたら、
50メートルぐらい前方に
西一
(にしはじめbyいなかっぺ大将)に似た男を発見した。

この西一
(便宜上こう呼ばせていただく)
なにを隠そう以前一緒に仕事をしていたことのある営業マンなのである。
たしか僕より
6歳だか7歳上だった。

僕が最初に西一と会ったのは、いまから17年前。
僕が
23歳で彼が30歳になるかならないかの頃である。
西一は結婚願望の強い男だった。
「今年こそは結婚を」といい続けているうちに、
あっという間に
30代が過ぎ、40代半ばを迎え、
(たぶん)もうすぐ
50代を迎えようとしている。

彼と会うのは約4年ぶりなのだが、
その間に彼は結婚できたのだろうか
?
よほど追いかけて声をかけようと思ったのだが、
走って追いかけるのも
大きな声で呼び止めるのも恥ずかしかったので、
そのまま失礼させていただいた。

午後から西口へ移動し、
別の打ち合わせをお昼ごはんを食べながらしてきた。
お昼ごはんは
NSビルで食べた。
僕は新宿西口の高層ビルのなかで
NSビルが昔からいちばん好きなのである。
昔はよくアイディアにつまると、
NSビルの最上階に登って下界を見ながらアタマをひねったものだ。



広告づくりで必要なことのひとつに
俯瞰でモノを考えるということが挙げられると思う。
近視眼的に一部分だけを見つめていては、
いいモノがつくれない。
そんなことから、
高いところに登って考えればいいアイディアが浮かぶのではないかと、
ほとんどこじつけのような理由で何度も
NSビルを訪れたものだ。


いまから
20年ぐらい前は、
現都庁のあたりは広大な空き地だった。
ここでさまざまなロケやイベントが行われたものだが、
なかでも印象に残っているのは
レベッカの
3枚目のシングル『ラヴ・イズ・CASH』のプロモである。
広大な夜の空き地のなかで、
チンケな花火をバックに唄い踊るシーンがあり、
妙にそれが頭に焼きついているのだ。

マドンナの『マテリアル・ガール』を巧みにパクった
『ラヴ・イズ・
CASH』はレベッカの出世作で、
この曲に続いてリリースされた『フレンズ』でレベッカは
当時の日本のミュージックシーンに確固たるポジションを築いた。

よく知られている話ではあるが、
レベッカというバンド名の名付け親で初代リーダーでもあった
小暮武彦はヴォーカルの
NOKKOのボーイフレンドであった。
まあ、よくある話である。
しかし、小暮は後に一緒にレッド・ウォーリアーズを結成する
小沼達也とともに『ラヴ・イズ・
CASH』のリリース前に脱退している。
脱退理由は「音楽的方向性の違い」というが、
その言葉どおりには受け取れない。

実際、レベッカを売り出すに当たって、
レベッカのマネージメントサイドが
NOKKOと小暮との仲を引き裂く必要があったというような発言を
かつて小暮自身が雑誌ロッキング・オンにて語っていたことを憶えている。

新宿西口の広大な空き地で元気よく「ラヴ・イズ・CASH」と唄い踊っていたころ、
サトウノブコという一人の女性として、
NOKKO
の心中はどんなものだったのだろうか?

2007.07