クインシー・ジョーンズ「愛のコリーダ」


僕が大好きな芸人に松尾貴史がいる。
松尾貴史がまだキッチュと名乗っていたころ、
はじめて観た大島渚監督のモノマネは実に衝撃的だった。
たしか“爆笑一気族”という番組でのことだったと思う。

キッチュは大島監督のモノマネだけではなく、
多彩な人たちのモノマネをレパートリーとしていたが
そうしたレパートリーを集結させ、
一人で“朝まで生テレビ”を映像化したことがある。
田原総一郎、大島監督、野坂昭如、西部邁、和田勉、
舛添要一などなどの面々を一人ひとりモノマネで演じ、
それを合成・編集して
1つの番組にしたのだ。
タイトルは“朝までナメてれば”。
いかにもキッチュらしい贋物番組であった。

この番組のハイライトは、
やはり大島監督の「バカヤロー」である。
討論の最中、激昂した大島監督が、
西部邁に向かって「バカヤロー」と怒鳴るシーンに、
僕はゲラゲラ笑ったものだ。

大島監督は映画監督としてももちろん著名ではあるが、
論客としても有名だった。
“朝まで生テレビ”にも放送開始当初から出演している。

その大島監督が渡航先のロンドンで
脳出血により倒れられたのが
19962月であった。
その後、
3年にわたるリハビリテーションを経てつくり上げたのが“御法度”である。
新撰組をこよなく愛する僕ではあるが、
この映画はいまひとつピンとこない。
いろんな部分で違和感を覚える作品となっている。

大島監督の“愛のコリーダ”が、
公開されたのは僕がまだ小学生のころである。
なにやらすごい映画らしいということは伝え聞いてはいたが、
具体的なことは何ひとつ知らなかった。

この映画のタイトルからとったという
クインシー・ジョーンズの“愛のコリーダ”が大ヒットしたのは僕が中学
3年生のとき。
このときはもう映画“愛のコリーダ”についての基礎知識はもうバッチリだった
()

が、僕はずっとこの映画を観ることがなかった。
2000年にリバイバル上映されたことは知っていたが、
それも見逃してしまった。

そんな僕がようやく“愛のコリーダ”を観たのは、
昨年のことである。
近所のレンタルビデオ屋で
DVDを見つけ借りてきたのだ。

1976年の公開当時、当局のお達しによりずたずたに編集されたものを、
フランスより逆輸入というかたちでリバイバル上映されたオリジナル版を
ソフト化したものである。
ノーカット版とあったが、もちろんボカシはかけられていた。

性描写については、いろいろな意見があると思う。
しかし、この映画に限ってはボカシを入れる必要はないのではというのが、
最初に観たときの印象だった。
そんな自分自身を検証するため、翌日また観た。
感想はまったく同じだった。

これは性的興奮を煽る作品ではないと思ったのである。

いまのようにアダルトビデオが当たり前の時代のはるか前、
ハードコアという手法で表現の限界に挑んだ
大島監督の反骨心に僕は心から敬意を表する。

今年3月、映画の著作権問題について問うた
伊藤俊也監督の“映画監督って何だ!”を観る機会があった。

そのラストシーン、麻痺した右手ではなく、
左手で筆をとり大島監督が和紙いっぱいに
「絵画監督って何だ」と書く場面が流れた。

大島監督を見たのは本当に久しぶりだった。

書き終えた後、大島監督は笑顔を見せた。
その笑顔は神々しいほど美しかった。


2007.06