クイーン「レディオ・ガ・ガ」


マドンナの歌声をはじめてライブ演奏で聴いたのは、
1985713(現地時間)に行われたライヴ・エイドにてであった。

アメリカ側の会場となったフィラデルフィア・
JFKスタジアム。
午後の陽光に照らし出され『ホリディ』を唄い躍るマドンナの声は、
レコードで聴くよりずいぶんと野太いものに感じた。

ライヴエイドはアメリカ側が前述のとおり
JFKスタジアムを、
そしてイギリス側がロンドン・ウェンブリースタジアムを会場として
合計
12時間にわたり開催された、1980年代最大のロックイベントである。

日本でもその模様は生中継されたのだが、
相次ぐ放送トラブルに加え、
フジテレビスタジオからのくだらないトークが幾度も延々と続いたことにより、
正直いって僕はこの放送を楽しめなかった。

このライヴエイドではザ・フーの再結成、
元レッド・ツェッペリンのロバート・プラント、ジミー・ペイジ、
ジョン・ポール・ジョーンズの共演をはじめ、
さまざまな話題を集めたステージパフォーマンスがあったが、
圧巻だったのはやはりクイーンであろう。

一説によるとクイーンは、
この時点ですでに解散を半ば決定していたのだが、
ライヴエイドにおけるパフォーマンスが大好評を博したことにより、
存続することになったという。

このステージでクイーンは
全出演アーティストのなかでもっとも多い
6曲を演奏。
その圧倒的なステージは、
提唱者のボブ・ゲルドフも絶賛したと伝えられる。

なかでも印象深かったのがこのライブエイドの前年、
1984年の大ヒット曲『レディオ・ガ・ガ』である。
この曲の終盤、フレディー・マーキュリーのリードに合わせ、
ウェンブリースタジアムにつめかけた超満員のオーディエンスが
一体となって手拍子をするその様は、
まさにロックンロール音楽がもつパワーをまざまざと見せてくれた。

僕はクイーンの熱心なファンとはいえなかったが、
フレディー・マーキュリーが亡くなった日のことはよく憶えている。
19911125(日本時間)のことであった。

その前日、新聞にショッキングな記事が掲載された。
フレディーがエイズに感染しているというものだった。
そして「この恐ろしい病気に立ち向かう」という
フレディーのコメントも記事では紹介されていた。
その翌日、フレディーは劇的にこの世を去ってしまったのである。

このニュースを聞いたのは、たしかお昼のニュースでだったと思う。
僕はこの日、会社を休んでいた。
ズル休みである。
なぜか
!? この日は、クラブチッタ川崎で
ポール・ウェラーのソロとしての初来日ライブが行われる日だったのである。

ポール・ウェラーの音楽とともに育った僕だ。
そんな大事な日に、働いている場合ではない。
だいたい仕事に行っていたら開演時間に間に合わない。
ということで、大事をとって
()休んだ次第である。

フレディーの死に関しては、
死亡前日に記事が出た時点ではすでに亡くなっていたという業界筋のヨタ話もあるが、
そんなことはどうでもいい。
知ったかぶりして業界の裏情報を得意げになって話すヤツが僕は大嫌いだ。

フレディーの死後もクイーンの人気は衰えることはなかった。
クイーンのアルバムは
2005年時点で
全英アルバムチャートで合計
1,422(27年間)にわたりチャートインしたという。
この記録はビートルズやエルヴィス・プレスリーを上回る記録で、
ギネスブックにも認定されている。

さらに初期のヒット曲を中心に集めた“グレイテスト・ヒッツ”は
イギリス国内においておよそ
540万枚(200611月時点)を売り上げ、
ビートルズの“サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド”に大差をつけて、
イギリスの音楽史上もっとも売れたアルバムとなっているという。

ビートルズと異なり、クイーンはいまも解散はしていない。
伝説ではなく、現在進行形のバンドなのだ。

ライヴエイドから22年後の今日、2007713日。
僕は会社を辞める。
いまのところ特別な感慨はない。
淡々としたものだ。
この会社にとって僕は伝説の人になんかならなくていい。
この会社が広告の仕事を続ける限り、
僕は現在進行形のライバルでありたい。


2007.07