プリンス「リトル・レッド・コルヴエット」


僕が10代の頃、
夢中になった女優の
1人に手塚理美がいる。

手塚理美
(当時はさとみ)は中学1年生のとき
ユニチカの
2代目マスコットガールとして芸能界にデビューした。
ちなみに初代ユニチカのマスコットガールは風吹ジュンである。
ユニチカの趣味と僕の趣味はピッタリだ。

僕はつい最近知ったのだが、昨日は手塚理美の誕生日だった。
一昨日に引き続き、ほかに
67日生まれの著名人を調べたら、
あのプリンスもそうであった。

僕がプリンスを知ったのは高校3年生の春。
奇しくも手塚理美も出演していた
“ふぞろいの林檎たち”が放映されていた時期である。

小林克也さんが司会を務めていた“ベストヒット
USA”のなかで、
プリンスの『リトル・レッド・コルベット』が紹介され、
これはいままでにないタイプのアーティストだと思ったのだ。
僕のまわりにはプリンスのことを
「気持ち悪い」といって毛嫌いしていた者もいたのだが、
僕は「あの音楽性はすごいと思うけどな」とプリンスを擁護していた。

1984年、プリンス人気は
アルバム“パープル・レイン”の大ヒットで一気に爆発した。
このアルバムからの第
1弾シングル『ホエン・ダヴズ・クライ』は
まさに
1984年を象徴する1曲で、
この年の全米年間シングルチャートでも
1位を獲得している。

僕はプリンスの音楽性の高さは認めていたが、
正直いってそんなに熱心なファンではなかった。
なのに、
1986年、プリンスが来日公演を行うというニュースを聞き、
これは行ってみようという気まぐれを起した。
会場は横浜スタジアム。
ライブ当日、僕は会社を早退して、横浜スタジアムへと向かった。
横浜スタジアムに入るのは、このときがはじめてだった。

日もいい感じで落ちてきたころ、
プリンスの“
Hello Tokyo”という声とともにライブはスタートした。
その瞬間、横浜スタジアムは、まさに巨大なダンスフロアと化した。
僕はスタンドの席だったのだが、ためしにノリノリの体を止めてみたところ、
足元がグワングワンという感じで揺れていたのだ。

僕は地震でもないのに
巨大なスタジアムが揺れるなんてことが信じられなかった。
しかし、それはたしかな現実だった。

ライブ自体は申し分のないぐらい素晴らしいものであった。
来てよかったと心から思った。

この来日公演を最後に、
プリンスの成功を支えたバンド「レヴェリューション」が解散した。
僕はこのバンドの女性ギタリスト、ウェンディのファンでもあった。
ビートルマニアである僕は
基本的にリッケンバッカーを弾いているギタリストは大好きなのだが、
ウェンディはそれに加えかなりの美貌の持ち主だった。
この来日公演のパンフに掲載されていた
ウェンディのセミヌードは実に美しかったことを憶えている。

手塚理美は1982年、
NHK朝の連続テレビ小説“ハイカラさん”のヒロインを務めていた当時、
篠山紀信によるおヌード写真集“四季の花火”を発表した。
この写真集について、
NHKが「朝の連続テレビ小説のヒロインが・・・」とクレームをつけたというが、
それはおかしいと思う。
出演に際し、ヌードにはならないといった契約書を交わしていたならともかく、
そうでないのならば余計なお世話だ。
この写真集・・・僕も神保町の書泉ブックマートで買ったが、
実に美しいおヌードだった。

手塚理美は1990年、真田広之と結婚し2児をもうけたが、
夫の女性関係などが原因で
1997年に離婚した。
その夫の交際相手が葉月里緒菜
(現里緒奈)である。

葉月里緒菜も
1998年、
篠山紀信によるヌード写真集を発売した。
価格は
4,500円ぐらいだったと思う。

「葉月里緒菜の写真集に4,500円は払いたくないが、
1,500円ぐらいだったら見てみたい」という同志2人を募り、
僕はこの写真集を共同購入した。

全然、美しくなかった。
その写真集は共同購入者に元へいったきり、
2度と見ることはなかった。


2007.06