PINK「プライベート・ストーリー」


気がつけば
2008年の8月も、残すところ10日余りとなった。
あれをしなければ、これもしなければ、
そういやあれもしていない、これもまだだなどと日々焦りつつ、
大したことは何ひとつせずに夏は過ぎようとしている。

気がつけばこのブログも8月に入ってから一度も書いていなかった。

これはズバリ「堕落」であると猛反省をし、慌ててこの一文を書いている。

一昨日の午後、僕は渋谷にいた。
もっと詳しくいえば渋谷の道玄坂の、ラブホテル街にいた。
「真っ昼間から、あんたも好きねぇ〜」と突っ込まれても仕方がない行動なのだが、
別に僕はご休憩・サービスタイム・午後
5時まで5000円也のために
道玄坂に行ったワケではない。

昨年の1026日のブログで、
僕はいわゆる「東電
OL殺人事件」に対する私見を書いた。
たまたま先々週、友人とその話題になった。
その会話のなかで、
被害者の女性がその前で客引きをしていたというお地蔵さんの話題が出た。
しかし、僕はそのお地蔵さんのことを憶えていなかったのだ。

この事件が起きたのは19973月。
その
3年後の20005月に
ノンフィクション作家・佐野眞一氏による“東電
OL殺人事件”が出版された。
発生当初から、この事件に対して深い興味を抱いていた僕はその本をすぐさま購入し、
まさに貪るような勢いで読んだものだ。

いまもこの事件に対して僕は、えん罪という見方を変えていない。
無実のネパール人が強盗殺人の罪により無期懲役囚として横浜刑務所に収監されていることに対し、
自分なりに問題意識をもっているとずっと思ったいた。
のに、事件のディテールを忘れかけていることにショックを覚えずにはいられなかった。

これではイカンと思い、すぐさま佐野眞一氏の本を再読した。
そこには確かにお地蔵さんのことが書かれていた。

僕はこの事件現場には何度か足を運んだことがあるが、
このお地蔵さんのところには行ったことがなかった。
これは行ってみなければならない。
いやいや、そんな甘いことをいっていたら、
「あれもしなきゃ、これもしなきゃのリスト」が増えるだけで、
実際に行くのはいつになるかわかったものではない。
すぐに、絶対行くべきだと考え、一昨日、
道玄坂のホテル街にあるというお地蔵さんを探しにホテホテと出かけた次第である。

佐野氏の本によるとそのお地蔵さんは道玄坂を登り、
道玄坂交番のところを右折した左側にあるという。
僕はすぐに見つかるだろうと思いつつ、
真夏の午後の日差しが照りつけるなか、
したたり落ちる汗を拭きつつサングラス姿で道玄坂を登った。
そして坂を登りきる手前にある交番を右折し、ホテル街へと入っていった。

しかし、すぐに見つかると思われたお地蔵さんの姿は見当たらず、
気がつけばホテル街をつっ切って、東急本店横の通りに出てしまった。
おかしいな、見落としてしまったかなと思い、
僕はいま来た道を引き返した。
かなり慎重に探したつもりだったのだが、
それでも目指すお地蔵さんは見つからなかった。

おっちょこちょいの僕のことである。
ひょっとして通りを
1本間違えたかなと思い、僕は別の通りに出た。
しかし、ここにもお地蔵さんの姿はなく、
気がつけば事件現場と踏切ひとつ隔てた神泉駅の反対側に出てしまった。

この時点でハンカチ、Tシャツはおろか、
Gパン、パンツのなかまで汗でびしょびしょだった。
だが、ここで諦めるワケにはいかない。
僕は重要な取材のために訪れたジャーナリストの心境で、
またまた神泉駅からホテル街へと足を向けた。

真夏の午後、サングラス姿の40男が、
1人で、ラブホテル街をキョロキョロしながら歩いているのである。
これは怪しい。
どう見ても怪しすぎる。
お地蔵さんを探している間、
僕は何度もホテル街の入口付近にあるタバコ屋さんの前を通り過ぎた。
タバコ屋さんの前には、
新しく発売されたマルボロのキャンペーンガールが立っていた。
通りがかりの人に、
新しいタバコを奨めるのが仕事のギャル
(←死語)である。

そのギャルの眼に、
サングラス姿で真昼のホテル街をキョロキョロとしながら何度もうろつく僕は、
どう映ったであろうか
?

さすがに、ここまでうろちょろしても見つからないということは、
僕の現場検証に問題があるということがハッキリしてきた。
そこで、僕はさっきから何度もうろちょろとしている通りから、
ちょっとそれた通りをチェックしようと思った。
で、道玄坂の交番から右に折れたところで、
左に折れる細い道にためしに入ってみた。
ら、あったのだ。お地蔵さんが。

見つけてしまえば、
なんでこんな狭いところにポツンとお地蔵さんが建てられているのか不思議ではあったが、
目の前のお地蔵さん自体は想像していたよりずっと大きなものであった。

僕は探し求めていたものを見つけた安堵感を感じつつも、
半ば呆然としながらお地蔵さんの前に立ち尽くした。
いまから
11年前の春、39歳の人生を閉じるほんのちょっと前まで、
被害者の女性はここに夜ごと立ち、道行く人に声をかけていたのである。
ここで彼女は何を思い、何を感じ、何を求めたのだろうか
?

もちろん僕にはわからない。
あらめてその場に立ってみると、
きっと彼女の心のなかはこうだったのであろうなんて
推論することさえはばかれる思いがした。


お地蔵さんを見つめながら、
僕はジャックスの『堕天使ロック』という曲を思い浮かべていた。

 

 見つめる前に 跳んでみようじゃないか

 俺たちにできないこともできるさ

 さあみんなでロカビリーを踊ろう

 

 心は変わりやすいけれど

 ほんとは何も変わっちゃないのさ

 まわりだけがぐるぐるまわるのさ

 

 子供のころはよかったじゃないか

 裸でも生きていられたぜ

 さあみんなでツイストを踊ろう

 

 ないものねだりだけども

 俺たちの地平線まで

 さあみんなでゆこうぜ出発だ

 

 ころがってゆけ くずれてゆけ

 おちるとこまでおちてゆけ

 咲いた花が一つになればよい

  (作詞・つげ春乱)

 

つげ春乱というのは、
ジャックスの実質的なリーダーであった早川義夫さんの変名である。
この曲がレコーディングされたのは
1968年の620日である。

もし、この事件を映像化する企画があったら、
そして僕がそれを指揮する立場であったら、僕は絶対にこの曲を使いたい。
誤解を恐れずにいえば、被害者となった女性に対し、
これほどぴったりなレクイエムはないと思うからだ。

お地蔵さんに手を合わせたあと僕はもう一度、事件現場を訪れた。
現場となったアパートも、
いま犯人として無期懲役の刑に服させられているネパール人が住んでいたアパートも、
いまなおそのまま残っている。

この場所に立つたびに思うことなのだが、
ここに立つと“いま”という概念があいまいになる。
21世紀の今日に至っても、
まるでここだけがずっと時が止まっているかのような錯覚を覚えるのだ。

事件から早くも11年半が経とうとしている。
世の中的にはきっと、ああそんな事件があったね、
というぐらい風化しているかもしれない。
でも、事件は解決していない。
少なくとも僕のなかでは、まだ解決していないのだ。

あらためていう。
僕は犯人とされたネパール人の無実を信じる。
そして、無実のネパール人を、
高裁判決で逆転有罪にした日本の司法に対し、
いいようのない不信感を抱き続けている。

「心は変わりやすいけれど ほんとは何も変わっちゃないのさ
 まわりだけがぐるぐるまわるのさ」
「ころがってゆけ くずれてゆけ おちるとこまでおちてゆけ
 咲いた花が一つになればよい」という
40年前のジャックスの歌がリアルに響いた夏の午後、
汗だくになり、歩き疲れた僕は、とりあえずタバコが吸いたくなったので、
東急本店の屋上に上がった。
そして、自動販売機で三ツ矢サイダーを買い、
乾ききったノドを潤しながらタバコに火をつけた。

僕はめったにジュースの類いを飲まない。
飲むとしたら、お茶か水か、もしくはビールかバーボンである。
本来であれば、大きなひと仕事を終えた
(っても、誰に頼まれたというものではなく、
僕が勝手に動いただけなのだけれども
)
安堵感とともにビールで被害者の霊に献杯といきたかったところなのだが、
そのあと用事を控えていたので仕方なく
(っちゃあ三ツ矢サイダーには失礼だが)
サイダーでお茶を濁した次第だ。
でも久々に飲んだ三ツ矢サイダーは子どもの頃、
夏休みに飲んだ懐かしい味がし、とても美味しかった。

東急本店の屋上といえば、
1984年に公開された映画“チ・ン・ピ・ラ”で象徴的に使われた場所である。
“竜二”でセンセーショナルなスクリーンデビューを飾りながら、
映画の公開直後に亡くなった金子正次が遺した脚本をもとに、
“竜二”の監督を務めた川島透が
柴田恭兵とジョニー大倉を主演につくった“チ・ン・ピ・ラ”は、
金子正次の脚本を冒涜したといってもいいほど、
まったく違う作品に仕上げられ、当時かなり物議をかもした。

僕も正直いって、この作品に対しては期待していただけに、
その仕上がりに失望させられた
1人である。

この“チ・ン・ピ・ラ”の主題歌に使われたのが、
PINKの『プライベート・ストーリー』である。
PINK1983年にデビューしたバンドで、
僕は桑田佳祐のラジオ番組でこのバンドのことを知った。

PINKの『プライベート・ストーリー』はたしか、こんな歌詞だった。

(手元にレコードがないので、作詞者が誰なのかわかりません。乞うご容赦です)

 
 ガラス越しに街は踊る

 金のヒール探して

 ベルが響くつかのまストップ・モーション
 光と闇のすきまで

 どこか知らない街
 君と出会った夢のような話を

 青いカタルシス飛びかう言葉
 路地に捨てたため息

 ビルの陰で裂ける欲望
 古い壁ににじんで

 どこか知らない街
 君が盗んだ夢のような話を

 聞かせて Your Private Story

 果てない Your Private, Your Private Story

 

この歌を思い浮かべながら、
僕はさっき見てきたばかりの景色の数々を思い返した。

2008.08