パンタ 「反逆の軌跡」


先日、知り合いの社長から、こんな話を聞いた。
とある、老人にこんなことをいわれたのだそうだ。

あなたは社長ですか? 
 社長さんでしたら、ひとつお願いしたいことがございます。
 今の日本では家庭でも学校でも子供を教育できなくなっています。
 そんな子供たちでもいずれは就職し、働くのです。
 あなたが社長さんなら社員はあなたのいうことを聞くでしょう。
 会社が『教育の最後の砦』だと思って、ぜひ社員教育をよろしくお願いします。
 会社の教育が家庭に浸透していくことで、日本の教育を変えていくのです」

僕は思わずうなってしまった。
社員教育が家庭教育につながるという、
発想のしなやかさにである。
その一方で、日本の教育というのは、
もはやここまできてしまっているのかと
改めて愕然とさせられた。

この老人の方の言葉は、
この国を憂う悲痛な叫び声に聞こえる。

わが社の社員を見ても、
どうしようもないなと思うヤツが多い。
ゴミは分別できない。
食べたものは散らかしっぱなし、
出したものも出しっぱなし。
それが人の親だったり、
部下を抱える上司だったりするからビックリだ。
僕はよく、この人たちは
自分の家でもこんな風にしているのだろうかと考えてしまう。

「会社は経営者の器以上に大きくならない」というが、
もし会社を大きくしたいと思うのであれば、
まずは会社の上の者たちから人間的成長を追い求めなければならない。
人間的成長の第一歩は、
自分を律することと他人を思いやることだと僕は思う。


僕は小学生のころ、とてつもないガキ大将だった。
野球をやるにしても、ポジションは全部自分で指示した。
他の遊びにしてもそうで、
すべて自分の思うがままにまわりの人間たちを動かした。

小学3年だか4年生のとき、
クラス担任の指示で僕はクラス全員から仲間はずれにされたことがある。
僕は
2月生まれなので、
クラスの男子のなかでは一番誕生日が遅かった。

いちばん下の人間のいうことを聞くのはおかしいという理由で、
担任はそんな人間のいうことを聞くのはやめなさいとクラス全員にいったのだ。

この理由はヘンだと思うし、
そもそも教師が率先して仲間はずれをつくっていいのかと思う。
当時も、そう思った。

しかし、クラスメイトたちは担任にいわれるがままに、
その日から僕を仲間はずれにした。
それがいつまで続いたのかは憶えていないが、
夏休みのある日、僕が学校のプールで泳いでいたら、
クラスメイトたちが隣の学校の生徒と野球の試合をしていた。
その日のプール監督だった先生が、
クラスメイトたちが生き生きと声を上げているグラウンドを見ながら
「なんでカツトシは入ってないんだ」と聞いてきた。

僕はなんて答えたのか憶えていない。
ただ、涙をこらえるのに必死だったことだけは憶えている。

元頭脳警察のパンタは1981年、
それまでの攻撃的な音楽性を一転し、ソフト路線をとった。
ラヴソングばかりを集めたアルバム“KISS
が出たとき、
「パンタを殺してオレも死ぬ」などとぶっそうなことを口にしたファンもいるという。

その後、さまざまな音楽性で試行錯誤を続けたパンタだが、
「やっぱり、これぞパンタ!」とファンを喜ばせたというか
安堵させたアルバムが
1985年にリリースされた。

『反逆の軌跡』である。

そのタイトルソングの
Don't Forget Yesterday 忘れんなよおまえの昨日の悔しさを」(作詞・PANTA)
というフレーズを聴くたびに、
僕は少年時代の悔しい想い出の数々を想い出したものだ。

方法論は理不尽で乱暴きわまりないものであるが、
結果的に仲間はずれにされた経験を通じて、
僕は他人に対するおもいやりと自分を律することの大切さを知った。
そういう意味では、そのときの先生に感謝している
・・・わけはない。

頭脳警察の代表曲のタイトルではないが
「ふざけんじゃねえよ」である。
僕はいまだにその教師を許していない。
だから小学校の同窓会など、一度も出たことがない。

どんなに時が流れようと、
子どもに対する大人の絶対的な間違いは、
永遠に間違いのままなのだ。

 

2007.02