尾崎紀世彦「また逢う日まで」
真夏にこんな話題もなんだが、
僕がリアルタイムで憶えている最古のレコード大賞は
1971年、尾崎紀世彦が受賞した『また逢う日まで』である。
作詞・阿久悠、作曲&編曲・筒美京平のこの曲は、
僕より下の世代の人たちもきっと何度も聴いたことがあると思う。
この曲についていちばんの想い出は、
子どもの頃のことではない。
いまから10年前の年末のことである。
当時、僕は「たいこめの会」というものに参加していた。
たいこめとは「鯛釣り船に米押しだるま」を語源とする言葉遊びで、
逆さに読むと違った意味となるところに面白みがある。
僕は知らないのだが、
かつて山本コータローがパーソナリティを務めていたTBSラジオの
「パックイン・ミュージック」において、
このたいこめが大ブームになったという。
このときの熱心なリスナーの1人が、
コピーライターのOさんである。
そして僕は、とある雑誌に掲載されたOさんのたいこめに関するコラムで、
たいこめなる言葉遊びと出会った。
その後、Oさんがたいこめの連載を別の雑誌ではじめた。
投稿型の連載で僕の作品も何度か掲載された。
この連載は半年ぐらい続いて終了した。
これを残念に思った投稿常連の方が発起人となり、
たいこめの会が発足した。
Oさんも、もちろんそのメンバーの1人となった。
たいこめの会は毎月3作を発起人である事務局に送り、
全作品のなかから5作を選んで一番いいと思う順から5点・4点・・・1点と採点し、
総合得点の多い者順に表彰されるという形式で行われた。
僕も「悩みつつダライ・ラマ」→「魔羅苛立つ、罪やな」とか
「徹夜はイカンよ、朝キツそう」→「ウソつき、さあ4回はやって」
などというバカネタを得意になってつくり、
毎月の成績に一喜一憂していたものだ。
たいこめの会は発足以来、毎年忘年会を銀座で行っていた。
銀座といっても高級クラブにてではない。
大衆的な居酒屋のパーティルームにてである。
宴会の終盤はいつもカラオケになった。
我々にたいこめという遊びを伝授してくれたOさんの歌のうまさは、
まさに素人離れしていた。
僕はコピーライターとしても超一流のOさんの、
超一流なカラオケにいつも拍手喝采を送ったものだ。
1997年の忘年会で、Oさんが唄ったのが
尾崎紀世彦の『また逢う日まで』である。
僕はこの年齢も職業も性別も何もかも違うのに、
たいこめという遊びだけでつながっている
仲間たちとのまた逢う日に思いを馳せながら、
Oさんの熱唱に手拍子を打っていた。
しかし残念ながら、僕はこの忘年会を最後に、
たいこめの会の皆さんとは逢っていない。
ついついタイミングが合わず、
出席できずじまいに1年また1年と年が過ぎてしまったのだ。
そして数年前、たいこめの会も会としての活動を停止した。
たいこめ同志たちと「また逢う日」はもう永遠にこないかもしれない、
なんて考えがよぎりそうだが、人生はまだまだ続く。
ライフ・ゴーズ・オン・ブラ〜♪である。
いつか、また皆さんと会えることもあるだろう。
いよいよ明日で僕は会社を辞める。
僕は大仰なのが苦手なので、
最後は「また逢う日まで」とさりげなくお別れをいいたい。