大塚博堂「春は横顔」

いま仕事で進行しているものの多くは、
今年の春に世に出る。
こう寒い日が続くと、
早く春にならないかなと思う。
その春の到来を待ちわびながら、
日々広告制作に勤しんでいる今日この頃の僕である。

 またしても季節は春になり

 華やかな舞台をつくり上げ

 いじらしい女でいたヒトを

 きらめきのスターにしてしまう

 僕はただのファンに戻って

 群れから見つめているしかない

 春は横顔 読みきれない謎に悶々

 ハラハラまた悶々さ

この詞は、マックスファクターの
1981年春のキャンペーンソング『春は横顔』(作詞・阿久悠)である。
歌っていたのは大塚博堂。
『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』のヒットで知られる
フォークシンガーである。

僕が大塚博堂の名を知ったのは、
この『春は横顔』を聴いてである。
はじめて聴いたのは、
たしか(ビート)タケちゃんの『オールナイトニッポン』のなかでだったと思う。

いい歌だなと思った。

同時期、資生堂の春のキャンペーンソングであった
矢野顕子の『春咲小紅』もいい歌だったが、
僕はそれ以上にいい歌だったと思う。
そしてこれからもっと、いろんな曲を聴きたいと思った。


しかし、大塚博堂はその年の
5月、
脳内出血により倒れた。
そして
4日後、この世を去った。
享年
37歳。
実に惜しまれる死であった。

大塚博堂は、
大塚博堂としてデビューする以前、
渡辺プロダクションにスカウトされ、
「大塚たけし」の芸名でデビューした。
しかし成功には至らず、
大塚博堂の名で再デビューしたのが
1976年のことである。

実質的にはわずか5年という短い活動であったが、
大塚博堂の名は多くの人々の心に刻まれている。
ジョン・レノンにしてもそうだが
「さあ、これから」というときに人生が終わってしまうのは、
本当に無念であろう。

それを考えれば、
原田芳雄さんや泉谷しげるが出演した映画のタイトルではないが、
生きてるうちが花なのよ、死んだらそれまでよである。

僕が生きている世界など、ささやかなものであるが、
そんなささやかな世界のなかでも、
僕を必要としてくれている人たちがいる。

そんな愛すべき人たちのためにも、
きっちり前を向いて歩いていこうと思う。

疲れたら、立ち止まればいいのだ。

春は、必ずやってくる。


2007.01