大木英夫・二宮善子「あなたまかせの夜だから」


僕は幼稚園に行っていない。
保育園にも行っていない。
2軒隣の家に住んでいたおばあちゃん(実の祖母ではない)
遊んでいたくて行かなかったのだ。

朝からおばあちゃんの家に入り浸り、
一日中遊んでもらっていた。
おばあちゃんは手鞠づくりを趣味としていて、
少しずつ鞠ができ上がっていく様を、
僕はまるで魔法を見るような思いで見ていた。

ある日、おばあちゃんがお昼寝をしていて
つまらない思いをしていたことがあった。
なにか面白いことはないかと部屋のなかを探してみたら、
色とりどりのクレヨンが見つかった。
僕はそのクレヨンをつかって、絵を描きはじめた。
部屋の壁にである。

おばあちゃんがお昼寝から目覚めたとき、
茶の間の壁は僕の前衛的な絵で埋め尽くされていた。
不思議とそのとき、誰からも怒られた記憶がない。
僕が子どもの頃は、実にのどかな世界であった。

さらに驚くのは、
その壁がずっとそのままにされていたことである。

僕が大人になってから、
おばあちゃんの息子さん
(といってもウチの父親よりも年上である)と会ったとき、
「あの絵はまだそのままにしてあるぞ。重要文化財だからな」といって大笑いされた。

自分のことながら、実にいいハナシだと思う。

おばあちゃんの家に行っていないときは、
よく自分の家でレコードを聴いていた。
もともと祖父がレコード好きということもあって当時、
わが家にはかなりの枚数のシングルレコードがあったのである。

このなかで気に入って聴いていたのが、
大木英夫と二宮善子という人が唄っていた
『あなたまかせの夜だから』である。

聴き入っているうちに、すっかり歌詞も憶えてしまい、
来客があったときはよく、
おもちゃのボーリングのピンをマイクがわりにして
お客さまの前で披露していたものだ。

 ハァ〜ン ネオンまたたく街角は燃える心の交差点

 いかしてる いかしてる ピンからキリまでいかしてる

 ハァ〜 あなたまかせの夜だから

 ハァ〜ン すねて甘えてまたすねる そんなムードが俺は好き

 しびれちゃう しびれちゃう 可愛い笑顔にしびれちゃう

 ハァ〜 あなたまかせの夜だから

  (作詞・青江ひとみ)


読者よ!友よ
!! 
まだ就学前の小僧がこんな大人の歌を
得意満面で唄っているところを想像してほしい。
お客さまはヤンヤヤンヤの大喝采で、お小遣いをくれた。
僕は味をしめて、
お客さまがくるたびに歌謡ショーを行い、ギャラを稼いだ。

さらに僕は、よりショーアップを目指して
次なるレパートリーをマスターした。
今度は津山洋子と大木英夫の『新宿そだち』である。

 
 女なんてサ 女なんてサ 嫌いさツンツンしてさ

 ネオンの数よりいるんだぜ

 だけど気になるあのそぶり

 今日も会いたい 新宿そだち

 男なんてサ 男なんてサ 嫌いよはっきりしてよ

 好きなら好きだと聞きたいの

 駄目よ浮気じゃ出直して

 本気に燃えます 新宿そだち

  (作詞・別所透)

歌詞を書いていて、クラクラしてきた。
我ながら実におそろしい子どもである。

僕の家はお金の管理に厳しく、
稼いだギャラやいろんな人から頂戴したお小遣いは
すべて貯金箱に強制的に入れさせられた。
いまでも憶えているのだが、
この貯金箱はかなり大きいサンタクロースの貯金箱であった。
きっと、あのなかには千円札や五百円札で
限りなく10万円に近いお金が入ったはずである。


一度だけ、隣に住んでいたユキオちゃんという
3歳上の子にそそのかされて、
貯金箱のなかから千円札を
1枚抜き取り、ミニカーを買ったことがある。
たしかフェアレディのパトカーとジープだったような気がする。

この僕のささやかな企てはすぐに親にバレ、貯金箱ごと没収された。

「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね
 ええ、夏、碓氷から霧積へ行くみちで 渓谷へ落としたあの麦藁帽ですよ…」とは、
映画“人間の証明”でも印象的に使われていた西條八十の詩であるが、
あの貯金箱は、あのあといったいどうなってしまったのだろう?

いまだに謎のままである。


2007.03