岡林信康「手紙」

先日、いわゆる“放送禁止歌”に対する私見を書いたが、
今日の朝日新聞の夕刊を見てビックリした。
記事によると明日、
60年代から70年代にかけ発表されながら、
差別的表現を含むなどとして
長らく『放送禁止』とされていたフォークソング」
(721日付朝日新聞夕刊より引用)が明日、
TBSのラジオ番組で一挙に放送されるという。

朝日新聞の記事によると、
この番組の制作担当者である
TBSラジオの三条毅史氏は
「差別用語などに過剰な反応をして臭いものにふたをする態度は、
かえって危険。歌全体に込められたメッセージを伝えたい」
とコメントしている
(同朝日新聞夕刊より引用)

この記事のなかで、
まっ先に取り上げられていたのが、岡林信康の『手紙』である。

岡林信康といえば70年代、
フォークの神様と崇め奉られていたアーティストであるが、
僕にとって岡林信康という人は、神様でもなんでもない。
正直いえば、いまひとつピンとこないアーティストである。

以前、NHKの“ふたりのビッグショー”という番組に、
泉谷しげると岡林信康が出演したことがある。
この番組中、泉谷は岡林のことを「師匠」といっていた。
しかし、泉谷が好きという身びいきを差し引いても、
この番組における岡林のパフォーマンスは、
何ひとつ泉谷を勝るものがなかったと僕は思っている。

誤解を恐れずにいえば、
岡林信康というアーティストは昔はすごかったかも知れないが、
現在進行形のアーティストではないということだ。

過去の実績を宝にするのはいい。
しかし、それが現在進行形ではなく過去形だとしたら、
それは痛いと思う。

僕のまわりにも、
昔はいい仕事をしていたのだけれどもねえ、という声を聞く
クリエイターがたくさんいる。
さらには「俺は昔、こういう仕事をやってどうのこうの」と
能書きをたれる人もいる。

これらの人たちに共通していることは、
過去に生きているということだと思う。

生意気かもしれないが…。

岡林信康の『手紙』は、差別部落出身者であるが故、
愛する人と結婚できず自殺したといわれる女性の遺書をもとにつくられた曲だ。

前にも書いたように、
僕は高校生になるまで部落差別があるなどということを知らなかった人間なので、
差別問題について何ひとつ偉そうに語る資格はないかもしれない。

しかし、一人の人間として発言させていただければ、
いったいいつまで江戸時代の身分制度を引きずればいいのだ。
世の中はもう
21世紀なのだ。

愛する人と結婚できない世の中は、真の民主主義国家といえるのか?

愛する人がいたら、一緒にいたい、一緒に暮らしたい、
一緒に人生を歩みたい…それが人間だと思う。

差別…この世の中から、
そんなくだらない価値観が一掃されることを心から願う。

2007.07