荻野目慶子「愛のオーロラ」


今日94日は、
たしか女優・荻野目慶子の誕生日だったと記憶している。
なぜ、そんなことを憶えているのかといえば無論、
荻野目慶子のファンだったからである。
高校3年生のときのことだ。

さて、94日といえば忘れられない想い出がある。
1985年のこの日、僕はパトカーに乗せられ、
原宿署から表参道の交番まで市中引き回しをされたのだ。

ことの発端は、この前の週の土曜日。
僕は友人と新宿で飲んでいた。
そして、どういうワケか六本木に行ってみようということになった。
僕は今も昔も夜の六本木は詳しくない。
もともと好きな街ではないのだ。
なので六本木で飲んだことなどホンの数回しかない。

このとき一緒にいた友人は、僕以上に六本木に疎かった。
広島から出てきた彼は、
六本木という街に対して憧れを抱いていた。
2人で勢いづいて六本木に行ったものの、
僕らの居場所はどこにも見つからなかった。

仕方なく僕らは、
週末でにぎわっている六本木の街をうろうろすることにした。
うろうろしているうちにナニか楽しいことが見つかると思ったのだ。

六本木の繁華街からちょっと外れたところに、
自転車が置いてあった。
僕らは、どちらからともなくその自転車を盗もうと考えた。
落ちていた石ころで鍵を壊そうとしたら、
いとも簡単に鍵は自転車から外れた。

僕らは意気揚々と盗んだ自転車に2人乗りし、
六本木から原宿へと走り出した。
表参道に入ってしばらくしたとき、
表参道の交番にいた警官が僕らに気づいた。

僕はまさか追っては来るまいと思い、
後ろを気にすることもなく明治通りを右折し新宿方面へと向かった。
土曜日の夜風は気持ち良く、
僕らはまさに自由な気持ちに酔いしれていた。
盗んだ自転車は、
僕らにとってこの上ないおもちゃであった。
このままどこにでも行けそうな気分だった。

しかし、代々木のちょっと手前で、
後方から強烈なライトを照らしながら何かを叫んでいる男の声が聞こえた。
さっき、交番にいた警官だった。
交番の警官はご苦労なことに、
表参道からずっと僕らを追いかけて来たのである。

自転車を止められ、僕らは職質を受けた。
警官は、その自転車が盗難車であるとすでににらんでいた。
もはや万事休すである。
が、こんなところで捕まるワケにはいかない。
僕と友人は目配せし、いっせいに走り出した。
僕は線路沿いの左へ走り、
友人は明治通りを渡って右方向へと走り出した。

何百メートルか全力で走った後、
後ろをふり返ったら誰も追いかけては来ていなかった。
僕は逃げ通せたと思った。

次に心配になったのは友人である。
アイツは逃げることができたかなと思いつつ、
僕は迂回しながらさっき職質を受けた現場に近づいて行った。
ら、現場にはパトカーが止まっていて、
何人もの警官が立っていた。
友人の姿は見えなかったが、
僕はその状況からして友人は捕まったと思った。

翌日のお昼ごろ、西武新宿線沿線の
電話もないアパートに住むその友人を訪ねた。
友人は横になっていた。
案の定、捕まってさんざん脅されて帰って来たという。
明らかに友人はおびえていた。
友人の父は銀行員だったのだが、
このことが公になったら父親のクビだって危ないぞと
警官にいわれたのだそうだ。

僕が知っている限りでは、まずそんなことになるワケがない。
しかし、おびえきっている友人に、
そんなことをいっても逆効果だと思った。
彼にしてみれば、オレだけが捕まって
オマエはずるくも逃げたということになる。

僕は子どものころから、
友だちが悪いことをして見つかったとき、
オレだけじゃなくてアイツもやったと告げ口をされ、
芋づる式にあげられた経験が何度もあるので、
こういうときの人間心理には長けている。
まったく自慢にはならないが。

友人がいうには、
94日の夕方6時に僕を連れて原宿署に出頭しなければ、
父親の職場に警察から連絡がいくとのことだった。

かくなる上は仕方ない。
僕は覚悟を決めて出頭することにした。

そして迎えた94日。
僕は友人とともに原宿署に出頭した。
てっきり原宿署のなかでカツ丼を食べさせてもらい
取り調べを受けるものと思っていたら、
いきなりパトカーに乗せられた。
そして夕刻の混雑している明治通りをパトカーで、
僕らを最初に発見した警官のいる表参道の交番へと連行された。

交番へ行く道中、
いろんな人がパトカーのなかの僕の顔を見た。
道行く人々の目には、僕は凶悪犯に映ったであろう。
こんな経験はめったにできるものではない。
せっかくなので、
僕は映画のなかの主人公になったつもりで凶悪犯を演じた。
気分はロバート・デ・ニーロだった。

取り調べは小1時間ほどで終わり、
警官から説教された程度で無事解放された。

僕らはそのあと渋谷に行き、とりあえず祝杯をあげた。
友人は極度の緊張と心配から解放されたこともあったのだろう。
珍しく泥酔した。

自転車泥棒といえば、
イタリア映画の“自転車泥棒”を想い出す。
僕はこの映画が大好きなのだが、
ロバート・デ・ニーロの“ディアハンター”と並んで、
観るたびになんともいえない気分になってしまう。

ラストシーン、自転車泥棒を働き、
連行されて行く父親を見つめる少年の表情は、
僕が観たどんな子役の表情よりも印象に残るものだった。

荻野目慶子も子役としてデビューし、
糸井重里氏が司会をやっていた
NHK教育テレビの“YOU”に出演したり、
映画“南極物語”のイメージソング『愛のオーロラ』で歌手デビューしたり、
交際していた映画監督が自宅で自殺したり、
亡くなられた超大物映画監督との交際を綴った本を出版したりと、
波乱に富んだ半生を送ってきた。

荻野目慶子はたしか僕より1学年上だったと思うので、
今日でめでたく
43歳である。
人間やはり
40を過ぎてからが勝負である。

他人の何倍もの密度で生きてきたであろう荻野目慶子のこれからの活躍を、
同じ世代の
1人として陰ながら応援したい。

それにしてもまあ、『愛のオーロラ』って、
なんかお昼のメロドラマのようなタイトルだわね。


2007.09