オフコース「せつなくて」


一昨日のエンケンのライブは実によかった。
7時開演。
オープニングナンバーはエンケンの弾き語りによる『猫が眠っている』。
それから延々
1時間半近く、エンケンは1人で演奏を続けた。

15分の休憩の後、第2部がはじまり鈴木茂、林立夫、
そして細野晴臣の順でゲストが紹介された。
そして、まさに夢のような組み合わせによる、
夢のような演奏が
1時間以上にわたって繰り広げられた。
なかでもやはり素晴らしかったのは『夜汽車のブルース』。
エンケンの初期の名曲でライブの定番ソングなのだが、
いままで聴いたどの演奏よりも素晴らしかった。

アンコールで演奏したのは『寝図美よこれが太平洋だ』という曲。
この曲はエンケンが飼っていた
“寝図美”という猫を連れて海を見に行ったときのことを唄ったもので、
エンケンの還暦記念で今年の
1月発売された10枚組のボックスセット
“遠藤賢司実況録音大全 第一巻”には
鈴木茂、細野晴臣、松本隆という面々とのリハーサル時の音源も収められている。

エンケンがMCでいっていたのだが、
“寝図美”は飼っていることが大家さんにバレてしまい、
細野宅へと引き取られたという。
そして細野晴臣が
YMOで栄華を極めているなか、亡くなったそうだ。

今日、67日は僕が飼っていた猫の命日である。
僕が高校
1年生の1981年の今日亡くなった。

この猫がわが家に来たのは僕が小学
5年生のときだった。
右目と左目の色が違う真っ白い猫だった。
親戚の家で生まれた子猫の一匹を両親がもらってきたのだ。

僕はその前に飼っていた犬が
わずか
1か月で死んでしまうという悲しい経験をしたことがあるので、
動物を飼いたいとは思っていなかったのだが、
この猫はもらわれてくるなり僕になつき、
僕もとてもかわいがった。

夜になると僕の部屋にやってきて、一緒に眠った。

夏休み、旅行に行くのに猫と離れ離れになるのがイヤで、
旅先にまで連れて行ったこともある。

僕は多くの時間を、この猫と過ごした。
この猫を通じて、かわいがる気持ちや心配する気持ち、
うれしい気持ち・・・そんないろいろな気持ちをさまざまな体験のなかで学んだ。
いってみれば僕の
10代の前半を共に過ごした仲間である。

この猫が亡くなる直前の午後、
外から帰ってきたとき、なんか猫のお腹がグルグル鳴っているような気がした。
心なしか調子悪そうにも見えた。
僕は気になったのだが、
この日は日曜日だったこともあり、病院にも連れて行けなかった。


8時過ぎ、夕食を食べ終えて、
僕が自分の部屋でラジオを聴いていたとき、
弟が猫の様子がヘンだと伝えにきた。

玄関から飛び出して行ったと思ったら、
バタッと倒れたという。

僕は急いで猫のもとに駆け寄った。
猫は苦しそうに、今まで聞いたこともないような唸り声を上げ、
その真っ白い体を痙攣させていた。

僕は両親に「病院に連れて行かなきゃ」といってうろたえた。
僕が両親の前でうろたえたのは、これが唯一のことである。

僕は何をどうしていいのか、頭の中が真っ白になった。

いまのように動物病院があちらこちらにある時代ではない。
しかも日曜日だ。
どうしようもなかった。

僕はとりあえず段ボール箱の中に座布団を敷き、
簡易式のベッドをつくった。
そして、苦しそうな猫の姿を呆然と見ていた。

もう助からない。
僕はそう思わざるを得なかった。
人生ではじめて直面する、愛しい者の死であった。
助けてあげられないなら、
せめて看取ってあげようと思ったのだが、
猫は人知れず死んでいくという話を思い出した。

死んでいく姿を見られたくないから、
外に飛び出して行ったのだろう。

そう思うと僕がそばにいることによって、
猫を余計に苦しめることになる。

僕はそっと猫のそばを離れた。
10時半過ぎだった。

翌朝、猫は死んでいた。

具合悪くなった猫が外に飛び出したことを弟から教えられたとき、
ラジオから流れていたのがオフコースの『せつなくて』である。
この曲についての詳細は知らない。
ただヴォーカルは小田和正ではないような気がする。

切ないという感情は、本当に切ない。
自分ではどうしようもないことが世の中にはあるということを
否応なしに突きつけられるからである。

こと愛する者の生死は自分ではどうしようもない
・・・僕が大切に飼っていた猫は、
自らの死と引き換えにこの世の現実を僕に教えてくれた。

ありがとう。


2007.06